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丸目と台目の点前の違い

 我が家には百円で落札した葭棚がある。
 届いたものには仕付棚もなく、中柱が流木のような枯木の雰囲気ある独特の物で、雰囲気はやや藪内好に似ていた。

 しかし、誰の好みものか分からない。

 その上、台目の点前をするのに、棚がないのは不便である。そこで、板を購入して、手許にあった煤竹を利用し、なんとか仕付棚を取り付けてみた。

葭棚 道舜好

 これで一応の恰好がついたので、ひとまず「道舜好」ということで、お茶会へ行こうで使いはじめようとしたが、私は台目の稽古を受けたことがなかった(笑)

 師匠の書付の写を持っているので、台目棚か葭棚を探したがなかった。しかし、台目席の稽古が載っていたので、一応、頭に叩き込む。

台目稽古

 さて、この棚は大きすぎて、師匠のところに手では持ってはいけない。そこで写真を見せながら、師匠に話を伺う。

師「あんたが写したのに書いてなかった?」
私「台目席がありました」
師「なら、点前は分かるわね」
私「はい。畳が狭いので、自分が下がって、向こう隅を目印にして、いつもと同じように点前をするということですね?」
師「なら、大丈夫ね」

 師匠が仰る「写したの」とは、師匠の書付のことである。そこには様々な点前の手順が書いてある。最初の頃は順番が詳細に書いてあり、後半は図と注意点だけになっていくもので、「順番を覚えるのではなく、違うところを覚える方が分かりやすく、合理的である」ということが分かる。これは人に教えるときも同じである。
 
 書付にありはしても、台目棚(葭棚)と台目席は違うかもしれないので、確認を取りたかったのだ。

私「台目席と葭棚は同じ点前でいいですか?」
師「台目のお席と葭棚は違うわよ」
私「だとすると、水指を置く位置が違いますね?」
師「そう! 台目の席は右置きだけど、葭棚は広間で使う棚だから真ん中」
私「なるほど」

 水指の位置が違うと気づけたのは、酒井宗雅が松平不昧公に猿曳棚の飾り方を紹鷗袋棚でもできるか?と確認してた故事から、内隅と外隅の違いが水指の位置によるものであることに気づいていたからである。まぁ、そのときに、ウチに内隅狙い・外隅狙いがないことにも気づいた訳だが。

 つまり、台目棚は台目ではないということになる。あくまで広間で台目の雰囲気を味わうためであり、点前自体は普通の点前となる訳だ。

 その後は、先代が師匠を台目席に連れて行ってくれて稽古をしてくれた話になった。師匠のために態々台目席を借りてくださり稽古をしたのだという。

先「あんたに写しておけば、大丈夫でしょ」

 と仰ったそうだが、二度とやることはなかったそうだ。先代が亡くなってしまったからだった。

 重ねて言うが、当流には「内隅狙い・外隅狙い」というものはない。少なくとも、私は師匠から習っていない。母も習っていない。時折、他流から変わった先生方の中にやられている方も居るが(苦笑)

 当流にあるのは「台目狙い」だけである。

台目狙いの意味

 台目狙いというのは台目席でのみ行われる点前で、一尺四寸下がって点前をする形式を言う。これは、台目席では、点前座の貴人畳の短辺の真ん中の延長線上に水指を置くことができず、炉縁から向こうの短くなった奥行きの真ん中の延長線上と畳の右四分の一の線の交差位置に水指を置き据える。

 そうすると、普段の点前座のスペースが取れなくなる。そのため、点前座が炉の真横にはみ出てくるのだ。そうなると人間が丸畳のときの位置から下がって、点前をすることを言う。やはり道具本位なのだ。

都流における丸目畳と台目畳での点前の位置の違い

 普段は貴人畳と道具畳の接点の炉の対角線に垂直になりながら、右脚の外側を炉の勝手付を狙って坐るのだが、台目狙いでは、貴人畳に接している客付の対角線に体の右側を添わせる。

 京間の畳は短辺三尺一寸五分。葭棚の袖や台目の覗きは一尺四寸五分。炉の一辺は一尺四寸。台目の覗きとほぼ同じである。

 では、なぜ一尺四寸も下がるのか。畳が小さくなったことで、点前座が狭くなったというのであれば、七寸も下がれば点前はできる。実際水指が近づいた距離は七寸なのだ。しかし、下がるのは一尺四寸である。

 これは囲いがあるからだ。
 囲いは天井まで伸びていて、客からの視界を遮る。故に風炉は見えず、七寸ごときでは点前も中柱に邪魔をされて見えなくなってしまう。

 だからこそ台目囲いに覗きを開けているのであり、そうしないと道具を見せることができないからで、水指を右側に据えるのは覗きから見えるようにするためだということが分かる。

 当流では台目席の場合、席入りで道具畳に客が入って拝見することはない。台目棚(葭棚)ならば普通に拝見するので、台目棚と台目席の違いははっきりしている。

 また、台目席では運びが多い。
 台目棚だと置き水指にすることの方が多い気がする。この辺りは好みにもよるが、女性主体だと運びはあまりやられないからかもしれない。

 そして、もう一つは拝見に出すときの亭主の向きである。

 拝見に器物を出すときは清めて出すが、当流では、これを斜めのまま行う。

 しかし、台目席のみ、真横を向くのだ。かなり、他流の点前に似てくるが、いつもと位置が違うので、分かりやすい。

 炉の場合、真横を向くと柄杓の切留が体の中心にあるのだが、台目では炉畳の炉蓋畳でないところにすっぽりと体が収まる。この位置ならば、囲いの陰に隠れることなく、客は亭主の動きを知ることができる。

 この通り、台目の点前は「台目だからこそこその点前」となっている。ここにいたって、私はようやく腑に落ちた。

 だから、私は「千家の点前に違和感を覚える」のだと。

 私が違和感を感じるのは実は千家系の点前であることが多い。武家茶ではこの手の違和感を感じたことがない。

 これは千家を批難しているのではなく、私の中で引っ掛かっていたものの正体を明らかにできた……というだけの話だ。

 この点前では、普段拝見に道具を出すときでさえ斜めにしかならない当流にあって、真横になる。なぜ他流は常に真横を向くのか、理解できなかった。

 これはもしや、明治時代の点前の改変に原因があるのではなかろうか?と疑いたくなる。

明治の改変

 明治時代、茶道界は大変であった。
 
 それまで庇護してくれていた武家が没落したことで俸禄が無くなった。財閥の後ろ盾のあった両千家といえども苦しい時期だったという。
 
 その中で、女学校で教えることに着目したのは素晴らしい先見の明であったと思う。しかし、問題もあった。

 茶道の規矩は成人男性の寸法を基準に考えられており、袴を付けた男性だからこその動きが多いことである。

 現在の千家の炉点前の動きを当流の炉点前の動きと比べると正面に向き直る回数が倍半分の関係であることが分かる。これは恐らく、袴をつけないため裾がはたけやすい女性のための簡略化である。

 それに伴い棚物や水指の位置が近くなっている。これは、向き直らずに手が届くように前に出したものと思われる。江戸間の位置に合わせたのかもしれない。

 余談だが、建水から蓋置を出すときに合ごと上げるのはどうしてなのか知りたいと思う(笑)

 棚物も十六目とし、大分手前に寄せた。これにより、女性も手が届き向き直らずに点前が続けられるには台目狙いがぴったりということになる。

 ところが、内隅狙い・外隅狙いというものは江戸時代から存在する。如心斎の頃には既にあり、覚々斎と如心斎の狙い方が違うと不白流の茶友から教えていただいた。

 となると、内隅狙い・外隅狙いは、「人本位の点前の統合」の中で少しずつ変化していったということにならないか?

 もう少し如心斎の内隅狙い・外隅狙いを調べてみよう。

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