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「陽は昇る」/マルセル・カルネ//語り継がれる「歴史的価値」を掘り下げてみる

映画「陽は昇る」は、映画史に語り継がれる名作として知られている。

確かにマルセル・カルネの巧みな演出と、ジャン・ギャバンの魅力が融合してパワフルな一作だった。

正直、私にはドンピシャ好みな作品ではないのだけど(どちらかというと苦手だった)、色々と解剖してみた。いろんなところから情報を引用して、解剖しながら、映画がより素晴らしいものに感じられるようになったので、学ぶのマジで大事。

「陽は昇る」の映画史における位置づけ

映画「陽は昇る」は、第二次世界大戦直前のフランスで製作され、1939年に公開されたマルセル・カルネ監督の代表作。フランスの詩人、ジャック・プレヴェールが脚本を手掛け、ジャン・ギャバン、アルレッティ等、当時の名だたる俳優が出演している。

貧しい人々の生活と愛慕、裏切りなどを描いており、フィルムノワールの傑作として評価。映画史において欠かせない作品とされている。その時代背景を気にしながら見ることから免れないし、映像の陰影の美しさは息を呑むものがあり、確かに心を強く惹きつけずにはいられないものがある。

魅力的な存在感を放つ、名優ジャン・ギャバン

むさ可愛い

ジャン・ギャバンは、映画「陽は昇る」の主人公ピエールを演じている。彼の荒削りながらも温かみのある演技は、労働者階級の男性の生きざまを生々しく描き出し、味わい深い。

ギャバンの演技は、弱さと強さを併せ持つ人間性をしっかり表現しており、むさ苦しくても可愛い男はいるんだなと驚いた。(ちなみに個人的には「大いなる幻影」のジャン・ギャバンの方が好き)

無骨ながらも温かみを持ち合わせた彼の演技は、ピエールの内面に深く踏み込み、人間の本質を丹念に探っている。また、労働者階級出身であった彼の過去が、役柄との相互作用を生み出すことで、作品にリアリティーを持たせているのだろう。

受賞歴と評価

「陽は昇る」は、公開当時から批評家の高い評価を受け、数々の賞を獲得した。特に演出と演技の卓越性が称賛されている模様。

その後も、映画評論家などによる分析を通じて、この映画が持つ歴史的・美学的価値が再確認されている。映画学の講義やシネマテークの回顧上映で取り上げられることも多く、マルセル・カルネの作品群の中でも特に重要な位置を占めていることがわかる。フィルムノワールの先駆的な地位も確立している。


マルセル・カルネの演出

マルセル・カルネ監督

マルセル・カルネは、その独自の演出手法と視覚表現で知られている。徹底したリアリズムの追求と、視聴者の感情に訴えかける緻密な映像構成を大切にしているのだそう。登場する人物たちの葛藤や当時の社会情勢を映し出し、視覚芸術における新たな地平を拓いた。

どういうことか。

戦時下の影響と「詩的リアリズム」

天井桟敷の人々

マルセル・カルネは、第二次世界大戦の戦時下という時代背景の中で、「天井桟敷」をはじめとした映画製作に取り組んでる。この時期は、材料の不足や表現の規制といった困難が数多く立ちはだかっていたはずだが、カルネはその状況を丁寧に見つめて作っているように見えた。

貧しい人々の生活のリアリティに迫る映画運動「詩的リアリズム」の一環として作られているそうだが、確かにリアリズムは随所に感じられる。

登場人物たちの設定や、パトロンを必要としながら生活しなければならない女性の存在など、そこに関わる倫理観の入り組み方に社会全体の困窮が垣間見れる。

一方で、私はこのリアリズムを「時間の描き方」で感じた。カットで割愛されるリズムや人々の行動、場所の移動が非常に丁寧に描かれている。物語だけリアリスティックにしても、その「リアリズム」は表現できないのだろう。


色彩と光の使い方によるストーリーテリング

光と影が素晴らしい

カルネ作品において、光の使い方は物語を語る重要な要素である。

「陽は昇る」においては、独特の光のコントラストが効果的に使用されていた。陰鬱な色調で重厚な雰囲気を作り出しつつ、光を巧みに操ることで、希望や解放の瞬間を際立たせているのが印象に残った。視覚を通じて感情の起伏を表現し、言葉にならないリアリティを創出しているところに心を掴まれてしまう。「うおおお」と唸ってしまうカットが幾たびも登場した。

マルセル・カルネは、自身の創作において完璧を求め、映画内部の視覚芸術としての完成度の追求に余念がないそうだ。自己の美学を突き詰めるナルシス主義的アプローチというべきか、そのこだわりは、映画をアートとして見ることを許し、後の映画製作における美学の指針となっている。

フランス映画を見ると、「物語がまどろっこしいけど、美しいな」と思うことがよくあるが、もしかしたらマルセル・カルネ作品発祥かもしれないと思う。どうなんでしょう。


映画製作背景

キャバレーは「チャイニーズブッキーを殺した男」を思い出した

マルセル・カルネ監督と脚本家ジャック・プレヴェールは、当時の政治的な圧力や検閲を巧みにかいくぐりながら映画を制作したという。

「芸術性を高めつつ社会的メッセージを組み込むことによって、映画は単なる娯楽作品ではなく、芸術と政治、そして人間の魂が交わる場所としての役割を果たしている。」とAIに聞いてみると二人をこう表現した。スゲーな。

「映画には社会性が必要か」という問いは私はいつもぶち当たる壁だが、どう考えても答えは「YES」であり、その描き方が下品か上品であるかの差でしかないように思う。ちなみに「陽は昇る」は社会的である映画の基本となるような作りに見えた。つまり下品ではなく、非常に上品で理想的な形とも言える

窓越しっていうのがいい。

また、マルセル・カルネが映画監督として活動していた時代は、映画技術が大きく発展していた時期である。音声の導入やカメラワークの革新によって、映画はよりダイナミックでリアルなものとなり、それはカルネの作品の多層的な物語に深みを加える結果となった。これが後世に影響を与えているのは明らかで、1939年に公開されたにもかかわらず全く古さを感じないのもびっくりする。(演技とかセリフとかは古臭くて恥ずかしい時もあるけど)

ひとまず、こんなところでいかがだろうか。

間違っているところもあるかもしれないので、「そんなんじゃねえぞ!」などあったら教えてもらえたら嬉しい。


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