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「Do Not Expect Too Much From the End of the World」/ラドゥ・ジューデ監督作品

映画館で見たわけではなく、Film Scope Proという配信プラットホームで見た。
配給会社に連絡し「映画とはなんたるかを毎度教えてくれるあなたの作品は日本で見られるかわからない。どうしても見たい」と伝えたら、豪速球で承認してくれて、それだけでラドゥ・ジューデ監督と、彼を支える人々が好きになってしまった。

「よし、見るぞ」

アニメの主人公がバイクを乗って、ヘルメットのシールドを下ろす気分。(古いか)
ポチッと映画が始まると、すげえ画面が荒い白黒の映画が始まり、やや下品な雰囲気が漂う。でも、それはある意味想定内。
けれど、話がどんどん進むにつれて不安が過ぎる。

「あ、なんか面白さも意味もわからない系の作品かも」

という予感は的中。しばらく戸惑ったまま映画が進んだ。
また意味がわからない系の映画に出会ってしまったのか…??
私の部屋で、3時間弱の旅が始まった。

主人公の女性

キャスト&スタッフ

監督・脚本 ラドゥ・ジューデ (脚本 Eva Sîrbu)  
製作 ラドゥ・ジューデ、アドリアン・シタル、アダ・ソロモン
撮影監督 マリウス・パンドゥル
編集 カタリン・クリストゥティ
キャスト Ilinca Manolache、Ovidiu Pîrșan、Dorina Lazar

Festival Scope Pro
Radu Jude

ラドゥ・ジューデ監督とは

彼はルーマニアを代表する監督兼脚本家である。パッとわかりやすい彼についての記述はあまり見つけられなかったので、ひとまずまた引用させていただく。

ブカレストで映画製作を学び、助監督としてキャリアをスタート。2006年には、50以上の国際賞を受賞した短編映画『帽子をかぶった管』を制作し、長編デビュー作である『世界で一番幸せな女の子』(2009年)は、50以上の国際映画祭に入選。その後、数々の作品を制作し、ベルリン映画祭やロカルノ国際映画祭で多くの賞を受賞。2017年にはドキュメンタリー映画も製作し、ロカルノ映画祭に招待。2021年の最新作『アンラッキーセックスまたはイカれたポルノ』は、ベルリン映画祭2021で金熊賞を受賞。2021から2022年にかけて短編映画、短編ドキュメンタリーを共に制作し、ロカルノ国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭、ベルリン映画祭にそれぞれ招待されている

Festival Scope Pro

上記のプロフィールはかなり端折っているが、とにかく多作で、作った作品は次々と大きな映画祭に入選し、国際的評価がめちゃくちゃ高い。なのに日本では「アンラッキー・セックス」以外公開されていない。残念無念。(どこかで特集を組んで上映してほしい)

彼が才能あふれる監督であることは脇に置き、彼の特徴は「超社会的」だろう。社会的と言っても「差別と貧困は良くない!手を繋いで生きよう!」みたいなものではなく(私が拝見したものは)風刺作品が多い。風刺が過ぎる故、ただのギャグにしか見えないのにゾワっと社会が怖くなるところもまたラドゥ・ジューデ監督の恐ろしいところである。つまり、彼は手練れだと私は思う。

「アンラッキーセックスまたはイカれたポルノ」を見た人も多いのではないだろうか。

「アンラッキーセックスまたはイカれたポルノ」の一場面

プライベートで撮ったセックス動画が学内に拡散してしまった学校の先生の戸惑いを描く第1章、ルーマニアを象徴するモンタージュ映像が連なる第2章、保護者会で彼女が学校を辞めるべきかどうかを話し合う第3章の、全3章仕立ての映画である。

あらすじだけ見るとほぼ何も起きない作品だが、この監督の凄さはシーンの密度にある。シーンごとに物語がしっかりある。それが積み重なることで、芳醇な世界が立ち上がる。画作りも構成も非常に独特で、ブラックユーモアに塗れて思わず笑ってしまうがやや罪悪感が伴うのも不思議。お隣というには遠いが、ルーマニアという国をせせら笑ってはいけない…という罪悪感。私たちの国も似たようなところがあるのだけど。

「Do Not Expect Too Much From the End of the World」は前作の余韻を抱えて観た。日本語の意味は「終わりゆく世界にあまり期待しないで」。

前作とは違い今作は「同じように苦しいことがありますが声に出していえません」系の話がしつこいくらい続き、冒頭は正直観るのがキツかった。

あらすじ

「多国籍企業」会議シーン

※一応ネタバレも含まれているので、ご注意を。

映画は2部構成で分かれている。
第一部:映像の製作アシスタントアンジェラが主人公。彼女は寝る間を与えられず働かされ、多国籍企業から依頼された「労働安全」ビデオのキャスティングするためにブカレスト市内を車でひたすら移動し、休み時間に自身のTikTokをアップしている。ビデオは、同社の従業員に作業関連事故のさまざまな危険性について認識を高めるために制作されるもので、睡眠を削りながらアンジェラはひたすら候補を探す。
第二部:労働関連事故で下半身付随になってしまった男キャスティングされた。カメラの前で自身の不注意のせいで事故が起きたという話をさせられるが、会社の過失によるものだと明かすと現場は一転。彼の意思は有耶無耶にされながら撮影は行われ、不安のまま終える。

Festival Scope Pro

映画の内容は、上記のあらすじ通り。
第一部では、アンジェラの鬱憤がたまるような仕事シーンの途中途中で、同じくアンジェラという名前の女タクシードライバーが主人公の1981年に公開された映画「Angela Moves On」のシーン抜粋が割り込む。当時の働く女性が感じている葛藤みたいなものを表現しているのだと想像するが、非常に優雅な映画で、下手すると本編より見やすく、理解しやすく「あ〜このシーンのままでいてくれ」と思うのだが、ガチャガチャした現代のアンジェラのシーンに戻ってしまう。正直キツイ。

しかし、この観るキツさが非常に大事なポイントになる。こんなに頑張ってアンジェラが働いているのに(そして私たちも見ているのに)&不条理な社会(?)に対して憤っているのに、偉い人たちがくだらないことばかりを話し、アンジェラ(そして観客)が考えていた内容をあっさりと覆し、馬鹿馬鹿しい方向へ舵取りをする。

そして、第二部に至っては据え置きのワンカット。ここで描かれる撮影スタッフのえげつなさ&無神経さよ…。

「ああ、なんてくだらなくて酷い世界なんだ!」

といつの間にか呆れ返っている自分がいた。
あ、いつの間にかこの映画に共感してる。まだ観たい!
と思うところで映画が終わる。

やばい、なんか結構面白かったぞ。と呆気に取られた。

しかし、大事な前情報があればもっと面白かったはずである。

ルーマニアという国

ルーマニアの地図

ルーマニアはロシアと戦うウクライナと隣接している国である。映画でもウクライナやロシアの話が登場するので、ニュース記事などを参考にしながらルーマニアの歴史をここで振り返らせていただきたい。

ルーマニアは地政的に東西文化がバチバチする場所にあり、ずっと大国の権力闘争に巻き込まれてきた多民族国と言われいる。

第一次世界大戦でようやく自他共に認める国家になったのだが、すぐに財閥の一人が独裁政治を開始。第二次世界大戦後には、ロシアに降伏し社会主義体制の国になった。

その後、共産党事務局長となったチャウシェスクは、国民に人気があったものの、工業の構築失敗によって借金を抱え、高い独裁欲も故にロシアから離脱気味に。しかし、ゴルバチョフが大統領になると、ルーマニアへの支援を拒絶。チャウシェスク政権が崩壊して多政党の共和国になり、2000年代にはNATOとEUの加盟国となった。

そして、ロシアのウクライナ侵攻以降、ルーマニアが面する黒海で、ロシアとアメリカが軍事艦隊などを展開するようになった。EUとNATO、アメリカにとってルーマニアが地政学的に重要であり、またルーマニアが原子力発電などへの投資対象ということもあって西欧諸国と蜜月関係に。ルーマニアはルーマニアで、経済的に発展させたいので西欧諸国にすり寄っている。

しかし、ウクライナに対する思いは欧米諸国と異なっている。

ウクライナ西部はかつてルーマニアと同じ文化圏にあったが、第二次世界大戦によって分割。ソ連崩壊後もウクライナの領地となってしまい分割されたままで、遺恨が残っている。現在、欧米諸国は「ウクライナは現在の領土のまま不可分である」という声を上げるが、ルーマニアからすると分割されたままなので、ウクライナの国境線には不満を抱えたままの人も多い。

そんな不満をロシアは掬い上げプロパガンダとして利用し、この声に心を寄せるルーマニア人も多くいる。

そんなこんなで、ルーマニア国内の親ロシア派や反ウクライナ派は、ウクライナ支援に反対し、お金と援助を求めてくるゼレンスキー大統領のルーマニア訪問を快くなく思っている。彼がただの元俳優であることも、不信の一因でもある。
ルーマニア政府がゼレンスキーを公的に迎えようとしても、親ロシア派の議員らによって却下されもし、これに対し政府は「反西洋主義の人々が足を引っ張っている」というような非難した。

つまり、何が言いたいかというと、政府は欧米諸国に近づいて経済力をつけたいが、対ウクライナに関しては西洋諸国と一致団結するわけにもいかない事情がある、ということである。

ルーマニアの背景を知って作品を見る

アンジェラのTikTokの画面

まだあまり映画について説明していないような気もするが…

ルーマニアの背景をわかって「Do Not Expect Too Much From the End of the World」を見ると、主人公アンジェラの背後にいる「多国籍企業」がどういう存在を象徴し、心優しい国民が理不尽な「多国籍企業」によって搾取されている構図が見えてくる。そして、一つ一つのシーンにそれぞれの人々の思想や国家関係、力関係などが描かれ、多くが暴力的な権力構造を抱えてる様子が演出されている。

もう一つ、親ロシア派のアンジェラが、お金も地位もなく、下品な女として描かれている。なんとも切ない。
さらに。
アンジェラが取材する、企業の過失で身体障害者になった人々がノンポリの善人に見える一方で、彼らに心を寄せるような撮り方は一切為されておらず、ラドゥ・ジューテの視点がもうめちゃくちゃ怖くなる。

さらにさらに。
途中で挟まれるタクシードライバーのアンジェラは「働く女性として」の社会的問題を投げかけているように見えるのだが、

「そんなフェミニズム、みみっち過ぎてどうでもいいぜ!」

とでも言ってしまいそうな勢いもありハラハラする。そんな解釈をしてしまう私が悪いのだろうか、葛藤する。

そして最後のカット、といっても第二部全てなのだが…

ここでみんなの正直な気持ちがぶちまけられる。
なんとも馬鹿馬鹿しすぎてやるせない気持ちで延々と続くシーンを見るのだが「馬鹿馬鹿しすぎてやるせない」気持ちは「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ」を見た時の気持ちとよく似ている。
こんなにも違う作品なのに、同じ虚脱感(しかしネガティブな)を味合わせるなんて、すげーなラドゥ・ジューデ監督!

「戦え!作品作りで、国や社会や隣人や社会的弱者の目なんか気にして撮ってるじゃねえ!(中指)」と殴られた気分である。

「社会や映画に対して思うところたくさんあるけど…話してみると、みなさん良い人だし中指立てたくないなあ」という私のような人間は抹殺されそう。

この作品は、画作りも、構成も、お芝居も、映画としての要素は皆んなちゃんと高クオリティなのもすごい。

ただそれは「監督にとって当たり前にできるはずのことを褒めている」ように思える。

否、それぞれが計算され尽くしていて分解できないから語れないが正しい。

適当に見えて、全然適当じゃない。
演出や思考に隙がないのである。

映画を見終わって、思わずRadu Jude監督宛にメールを送った。

「あなたの映画を見たら、もっと自分自身のことを掘り下げる必要性と邦画業界に翻弄される気持ちと決別しなくてはならない気持ちになった。見せてくれてありがとう!次回作楽しみにしてます!」

「くそうぜえ!」
と思われそうだけど、まあ良しとしよう。

※ルーマニアの歴史的背景で違うところがあればご指摘ください。書き直します!

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