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【10代編】ASD・ADHDの半生記

漫画の感想ばかり書いていたが、自己紹介も兼ねて半生記を書こうと思う。
…これでも端折ったつもりだが、思い出をダラダラ書いたら1万文字超えてしまった。次の記事からは、具体的な出来事は端折りつつ、自分が持つASD・ADHDの特徴を書く事に重点を置きたい。


現在の処方薬

・コンサータ
・インチュニブ
・ミルタザピン
・ベルソムラ
・サイレース
・スルピリド

発達障害に加え、二次障害でPTSD性の鬱病も併発している為、以上の処方である。
以前はラツーダを処方されていたが、血液検査の結果、肝機能の数値がやや高かったらしく、代わりにミルタザピンが処方される事になった。

家庭環境

会社員の父、専業主婦(当時)の母、3歳上の兄が居る。漫画の趣味は、この兄から影響を受けたものが大きい。

両親はお見合いで結婚した。父は母の事が気に入っている様子だったが、母は明らかに父を嫌っており、よく激しい口論をしていた。喧嘩している両親の怒鳴り声が怖くて、泣きながら止めに入った記憶もある。

私の家庭はごく一般的な中流家庭だったが、父方の実家が太く、都内にいくつかマンションを持っていた。我々はそのうちの一つに住んでいた。
中学に上がって間も無く、祖父母が持っている土地にマイホームを建て、そちらへ移り住んだ。

丁度その時分、父方の祖父母が他界した。先に祖母が、数年後に祖父が続けて亡くなった。祖母は突然死だった。何もかも祖母に頼り切りだった祖父は、みるみる内に老いさらばえ、認知症の進行が加速した。
父は3人兄弟の次男だった。兄と弟は碌に働いた事も無く、ほとんど祖父母の金に頼って生活していた。どちらも結婚していたが、伯父は子宝に恵まれず、叔父は何度も結婚と離婚を繰り返していた。

生前、祖母は私の兄に全ての不動産を相続させたいと、常日頃から口にしていたらしい。しかし、急逝した為に遺書は残していなかった。
長男だが子供が居なかった伯父夫婦は、それが面白くなかったのだろう。祖母を亡くし判断力を失った祖父に、不動産を全て自分達に相続する内容の遺書を無理矢理書かせた。間も無く祖父は亡くなった。
私の母は当然遺書の内容に強く反発し、裁判に発展した。しかし、父は母ほどの気概は無かったようで、一度だけだが「兄弟でこんな喧嘩をしたくない」と嘆いているのを耳にした。

元々仲が良くない両親だったが、これを契機に関係は更に悪化していく。
父は昔から毎晩酒を飲んでおり、酔うと絡んだり怒り易くなるきらいがあった。それがどんどん酷くなっていった。マンション住まい時代は、子供部屋が1つしか無く、鍵も無かったので、父から理不尽に怒鳴られても逃げ場が無かった。
しかし、引越してからはそれぞれの部屋が与えられたので、夕飯の時間になると、父が酔っ払う前に急いで食べ物を食べ、すぐ自室に籠る様になった。兄も同様だった。

大体はそれで平穏が保たれたが、たまに父の「おい!開けろ!」という呂律の回っていない怒声と共に、ドアが壊れんばかりに蹴ったり殴ったりする音が聞こえた。私は、恐怖に怯えながらも無視を決め込んだ。
ところが兄は、反抗期が激しかったのと、子供の頃から口喧嘩で相手を負かす(今で言う論破ってやつか)事が得意だったのと、恐らく怒りの矛先が母に向かない様にしたかったのだろう(母は自分の部屋を作って貰えなかった)、父の挑発に乗り、しばしば大喧嘩をしていた。

こんな具合に、お世辞にも良い家庭環境だったとは言えないが、DVや肉体的な虐待、ネグレクト等は無かった。とは言え、それも結構ギリギリだった。母から「お父さんが怒鳴って、振り上げた拳で壁を殴った。本当は私を殴ろうとしたんだと思う」という話を聞いた事があった。
母はこれらのストレスで突発性難聴を患い、精神も病んで、最低限の家事しか出来なくなってしまった。そして私が大学に進学する頃、夜逃げの様な形で父を置いて引越し、両親は離婚した。

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