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國友公司『ルポ歌舞伎町』感想

これまで『ルポ西成』『ルポ路上生活』を著してきた國友氏の新刊。氏のルポの特徴は、その場に足繫く通うとか、数日間潜入するとかでは無く、実際その土地に居を移して住民として生活を送るというものだ。本作も歌舞伎町のヤクザタワーに転居し、取材対象として歌舞伎町の人々と出会うというよりは、同じコミュニティで生活する者どうしの出会い、さながらご近所付き合いのような形で人との繋がりが生まれていく。

ホス狂風俗嬢の話は、かつて風俗で働いていた経験があるので懐かしかった。といっても、私が主に働いていたのは池袋で(一度だけ鶯谷もある)、新宿で働いたことは無い。
風俗の待機所は主に3種類あり、①店が持っている雑居ビルの部屋をパーティションで区切り、座椅子と座卓が置いてある個室待機②区切りの無い集団待機③近くのネットカフェや漫画喫茶での待機が挙げられる。私は暇な時間は一人でゆっくり眠っていたかったのと、ネットカフェは金が掛かって嫌なのとで個室待機所のある店でしか働いたことが無いが、集団待機部屋のドアに「ホストの話はしないこと」という貼り紙があったことを思い出した。

私はホストにまったく興味が無く、服オタクゆえに風俗勤務をしていたのだが、友人の風俗嬢でホス狂が居た。本作でキャバ嬢と風俗嬢のメンタリティの違いについて言及されているが、風俗嬢の中でもホス狂か否かでメンタリティは大きく変わってくると思う。
友人は元々、若くして注目を浴びていた画家で、長く交際していた同じく画家の恋人が居た。彼女は問題のある家庭環境で育ち、つらい経験もしてきたが、出会った当初は少なくとも病的では無かった。話上手で、連絡もマメで、性に奔放で、ボーダーの気質はあったが。
恋人と別れてから、徐々に変わっていった。知的な男性が好きだった彼女が、ホスト通いを始めたのを知った時はとても驚いた。

私は自分の為だけに働いていたが、彼女は違った。担当ホストに貢ぐ為に、体調が悪くても毎日休まず朝から深夜まで働き、地方の風俗店へ出稼ぎに行くこともあった。
『アスカノ』のゆあてゃをそのまま生き写しにしたように、担当ホストと喧嘩を繰り返し、LINEのスクショを私に送って「こいつアホなん?」と愚痴ってくるたびに「アホ過ぎるから殺しちゃいなよ~」などと返信していた記憶がある。
彼女はリストカットはほとんどしていなかったが、酒と処方薬に溺れ、自殺未遂を繰り返した。すべて、これだけ身を削っても結局自分のものにはならない担当ホストに対する愛憎が原因だった。もしかしたら、輝かしい過去を持つ自分がすっかり画を描かなくなってしまった苦悩もあったかも知れない。
その後、担当ホストとは連絡が取れなくなり、体力的に限界を迎え、生活保護を受給することになった。元々好きでは無かったが、女の子の心身を蝕むホストという存在が大嫌いになった。

本書でも、ホストは敢えて風俗嬢にターゲットを絞っていること、最初は普通のOLだった女の子を風俗に堕とす手法などの生々しい描写にげんなりした。友人の担当ホストも、目の前で飛び降り自殺しようとした彼女に対し、その後も何かと理由をつけては金をせびり、「俺の為に働いてよ」とLINEを送っていた。
國友氏は、担当が勤務するホストクラブの入っているビルの屋上から飛び降りる女の子のことを、ホストは一生忘れることが無いだろうと書いているが、私はそうは思えない。

ストーカー退治のチャーリーの話は面白かった。こんな人が居るのかと驚いた。彼の“仕事”は犯罪だが、現在のストーカー規制法では守り切れない女性が何人も居るのは紛れもない事実だ。かくいう私も、2度ストーカー被害に遭ったことがあるので、彼らの存在が如何に害悪であるかはよく分かる。
依頼者から報酬は貰わず、加害者が自ら差し出した金でストーカー被害に遭っている女性たちを匿うシェルターを作り、精神面でも拠り所となる彼の信念自体は、ストーカー被害者にとって心から有難い存在であると思う。

カメラマンの篝氏が撮影した写真とともに辿る歌舞伎町の歴史も非常に興味深かった。私は、高田馬場と百人町のあいだにある家で中学生まで過ごした。新宿にも幼い頃から何度も訪れたが、歌舞伎町は子供が一人で行ってはいけない街だった。
かつて、私がその辺りで生まれ育ったと告げると、地方出身のジャンキーの恋人が目を輝かせながら「新宿でイラン人がトルエン売ってたの見たことある?」と訊いてきたことがある。70~80年代の話でしょ、何歳だと思ってんの。と返した記憶がある。
そのトルエン売りが居たのは南口だが、私が足繁く新宿に通うようになった中高生の時分には、既に綺麗で平和な現在の新宿の姿になっていた。

そんな中で懐かしかったのが、現在トー横と呼ばれるコマ劇場前の風景だ。コマ劇場は行った記憶が無いが、近くにあるミラノ座ではよく映画を観た。今はすっかりトー横キッズの溜まり場となっているが、昔は噴水があり、その後はホームレスの寝泊りする場所になっていた。
地方出身の人はよく「歌舞伎町ほど汚い街は無い」というが、私は幼い頃からゴミと悪臭、吐瀉物、どぶねずみ、酔っ払い、ホームレス、きちがい、落書きだらけの壁、下品なネオンに囲まれて育ったのでまったくそうは思わない。昔に比べれば、景色も治安もすっかり良くなったが、今でも大通りから一歩小道に入れば、ほかの地域には無い独特の猥雑な雰囲気が漂っている。
変わっていく歌舞伎町を憂う國友氏に対し、篝氏はこう述べる。

「シネシティ広場の前に東急歌舞伎町タワーができる。きっと街は華やかになり、歌舞伎町に縁がなかった人間も街を訪れるようになるはずだ。でも、俺が求めているような人間も新たに集まってくるに違いない。街がにぎやかになればそこには必ず暴力とエロが生まれるんだ。いくら綺麗な建物ができたって一寸先は闇なんだ」

この言葉にわくわくしたし、私もこの意見には賛成だ。行政がどんなに躍起になって「綺麗な建物」を建てても、アウトサイダーはけっして居なくならない。そして彼らのパワーはそう簡単にねじ伏せられるほどヤワでは無い。
SNSが発達し、裏社会は見えづらくなった。暴対法の強化により、暴力団も衰退の一途を辿っている。しかし、それに取って代わるように半グレや中国人マフィアが台頭している。綺麗になったコマ劇場前には、トー横キッズと呼ばれる10代の少女たちが夜遅くまで酒を飲んでたむろしている。
これからも歌舞伎町の姿を追い続けたいという國友氏の今後の著作が楽しみである。


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