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Herbst

Rainer Maria Rilke “Herbst”

Die Blätter fallen, fallen wie von weit,
als welkten in den Himmeln ferne Gärten;
sie fallen mit verneinender Gebärde.

Und in den Nächten fällt die schwere Erde
aus allen Sternen in die Einsamkeit.

Wir alle fallen. Diese Hand da fällt.
Und sieh dir andre an: es ist in allen.

Und doch ist Einer, welcher dieses Fallen
unendlich sanft in seinen Händen hält.


『秋』

葉は舞い落ちる、落ちる、遠いところから落ちるように、
空の中で遠い園が枯れたかのように。
葉は否定の身振りで以って落ちる。
 
そして夜夜の中で黒黒とした地球が
あらゆる星星からその孤独のうちへ落ちる。
 
われわれはみな落ちる。この手もそこへ落ちる。
ご覧、もう一方の手も落ちる。すべての手が落ちる。
 
しかしただひとり、この落下を
限りなくやさしくその両手ですくう者が居る。


 ・形式性は無い。「fallen(落ちる)」を多用している。
・秋になって木の葉が枯れて落下する様子を否定する仕草に喩え、神の手になぞらえる。そしてその落下を孤独、あるいは死へと向かうわれわれの生として捉える。しかしこの「落下」はただ孤独で救いがたいものなのでは無く、「限りなくやさしく」受け止めてくれる両手があるという。儚い枯れ葉をも受け止める、神の深い包容力を想わせる。
・「halten」は「手に持っている」「(掴んで)支えている」という意味の語だが、物理的に「掬う」動作と神が「救う」を掛け、「すくう」と訳した。
・リルケは『仏陀』というタイトルの詩も残している。上の詩からも無常観(第1連では空の中にある園、つまり天国ですら枯れている)や諦観(「われわれはみな落ちる」)のような思想が見られ、仏教的世界を感じる。自然界に神的なものを見出す態度も、キリスト教的というより汎神論的な自然観が伺える。

・同じ詩を訳している方の記事がnoteにあったので、載せてみます。当たり前ですが拙訳とまた異なる趣があり、また解説も分かりやすく興味深い内容ですのでぜひ読んでみて下さい。
・この詩を訳した当時、私はリルケに対しどこか硬質な、哲学者に近い印象を持っていたので、敢えて詩的な語彙ではなく散文的な語彙を選択するようにしていました。今読み返すと、この方の訳のような柔らかい語彙のほうがリルケに合っていると感じます。


無職を救って下さい。