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巨匠という病

巨匠ってなんだろう

なんか色々考えてしまった

最近映画関係の人たちと関わることが多くあった。

彼らの動きを見ていて、ひと昔の日本画壇みたいだなと思ったりした。表向きは実力主義を標榜しつつ、無意識に権威主義に追従する感じ。たぶんいまだに派閥闘争とか〇〇派みたいなもの同士でイスの取り合いをしている感じがする。そんなの当たり前なのかもしれないけど

映画の巨匠とかいう人もいて、それも、なんか、すごいことになっていた。ちょっとここでは言えないけど、客観的に見てて、たいへんあことになってた

巨匠って、一般的にはある専門分野、特に芸術方面の大家、ということなんだけど、もう少し噛み砕くと、①代表作がある、②そのジャンルで年功序列の上の方にいる、③業界に影響力が強くある、そんな芸術家を指す言葉だと思う

だけど、巨匠って立ち位置って、正直すごく時代錯誤だなぁとも思う。一昔前ならいざ知らず、今の若い人からすれば(権威に気に入られて一気に売れたいみたいなクリエイターを除けば)わざわざ近づきたいと思う人は少ないんじゃないかな

現代では創作の分野もどんどん細分化しているし、特定のジャンルの中で明確な序列が生まれづらい。年功序列で潰されるようなことも(表向きは)ない。そして序列が生まれたとしても表面化しづらい。某格付けチェックみたいに「おまえ若いし3流だからスリッパと水道水でいいよな?」なんてやるところは、もはやないと思う

序列やジャンルという垣根が消えてフラット化していく現代のなかで、「巨匠」と呼ばれる人たちは「権威主義の象徴」「逆らえない人」といった負のイメージのほうが強くなっている気がする。クリエイターの感覚としては、むしろ苦手とか、むしろ胡散臭さのほうが強い気がする。国の関係者とか意識的に「権威」を利用するような職種を除けば、多分、みんな若干だけど忌避するニュアンスがあるんじゃないかと思う。僕はある

それは多分、巨匠の周りには奴隷が集まるからだと思う。教祖と信者と言った方が近い。凄い作品と一緒に、精神的な奴隷が周りに集まる。そして巨匠の周辺には王国が出来上がっていく

悲しいのは、巨匠本人がどう振る舞おうと関係ないというところ。一度巨匠という病に感染すると、たとえ本人が権威を拒否したくてフランクに振る舞っても、信者はそれを敬虔に受け止める。「先生が今ハンバーガーを食べたいとおっしゃっている!!タクシーで買ってきてください!!」みたいな馬鹿げたことが本当に起こる。本人はなんとなく言っただけかもしれないのに。そして今度はこう言う「先生はハンバーガーを食べないとアイデアが湧かないので、近くのマックの場所をリサーチしておかなければ!!」マジかよ

実際に僕も奴隷の側にいたことがあるので、権威に逆らうのは本当に辛いこともわかる。だけど、今思えば「先生ハンバーガーなんてどこにも売ってないっすよWW」みたいなことができれば良かったのかもしれない。いややっぱり無理だよね……しかも相手がご高齢だったりすると、それが冗談なのかガチなのかボケなのか、もう本当にわからない。そうすると、黙って従っておくのが最適解になる

巨匠って現代においてどういう立ち位置なんだろう、って思う

そのことが素晴らしい作品を生み出す力になるのかもしれないけど、巨匠と呼ばれる人たちは、自分の見られ方について本当はどう思っているんだろう


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