モリケンタロ

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モリケンタロ

https://www.morikentaro.info 森健太郎です。アートの仕事をしています。長野、静岡、群馬、東京、福島など。虚構と現実。noteは日記みたいな感じです。

最近の記事

3月12日に11日のこと

もう事故から10年以上経った。風化だなんだと言われているが、すでにそういうフェーズも過ぎている気がする。世間が事故を忘れるのは早い。十年一昔というが、今の若い人にとっては記念日のような扱いだろう。とはいえ、むしろよく“もっている”とすら思う。先人の頑張りのおかげだ この10年でいろいろ変わった。私が学生だった震災直後は、混乱と後始末の中でみんな動いていた気がする。 今や瓦礫の除去は終わり、除染で除去された土はどこか遠くに運ばれ、生活の立て直しも“そろそろ”終わる。 現場

    • 隠れAIRは邪道なのか?

      今、僕の携わっている事業は、復興系の予算で広い意味でアーティスト・イン・レジデンスの形式を踏襲したプログラムをしている。もちろん最終的な事業目的は復興だが、その手段としてアーティスト・イン・レジデンスの形式が必要だという関係者と相談し、事業を実施している アーティスト・イン・レジデンスという仕組みはアート文化の発展に重要なものだ。その仕組みに社会が新たな価値を見出してくれることは、アート文化にとっても良いことのはずだ。しかし、そうやって事業をしていると、たまによく知らない人

      • 巨匠という病

        巨匠ってなんだろう なんか色々考えてしまった 最近映画関係の人たちと関わることが多くあった。 彼らの動きを見ていて、ひと昔の日本画壇みたいだなと思ったりした。表向きは実力主義を標榜しつつ、無意識に権威主義に追従する感じ。たぶんいまだに派閥闘争とか〇〇派みたいなもの同士でイスの取り合いをしている感じがする。そんなの当たり前なのかもしれないけど 映画の巨匠とかいう人もいて、それも、なんか、すごいことになっていた。ちょっとここでは言えないけど、客観的に見てて、たいへんあこと

        • 対話から逃げる相手への対処法

          雪が降り始めてきました 地方でプロジェクトをしていて、つくづく難しいよなぁと思うこと 例えば、対話から逃げる相手にどういうスタンスで対応すればいいのか、とか もちろん自分の身を守るために逃げる事は大切だが、仕事上の必要な議論でそれをされるととても困る 誤解してて怒ってたり、文句を言う人ならまだ対話の可能性がある。しかしごくたまに「逃げる」という対応で全てを有耶無耶にする人がいる。これがとても厄介 困った時に「逃げる」という選択は、「大声で恫喝する」手法と同じくらい、

        3月12日に11日のこと

          地域アートはポスト資本主義?というはなし

          少し前、「アートはポスト資本主義」というようなテーマの展覧会や座談会が目についた時期があった。当時はぼんやりと見ていたんだけど、最近、マルクス資本主義の解説動画を見てて、なんとなくそこがつながったような気がした 以下動画の要約 「資本主義は「資本を増やす」ことを前提に、物事の確率を計算し、時間を区切り、未来を予想し、投資する価値があるかを判断する。 資本主義では大量生産できる商品を対象にしていて、一点ものとして作られることを前提にした芸術作品のようなものはその理論に適用さ

          地域アートはポスト資本主義?というはなし

          展示会で毎日作品のスイッチを起動したり消したりする事

          裏方の仕事をしていて思う事 現代アートには、スイッチがついていたりする。展覧会では作家から「起動指示書」をもらい、その順番に作品を立ち上げていく。中にはエラーが出たり、想定外の動きをしたりもする 膨大な指示書に囲まれて、非専門家が作った電子工作のトラブルシューティングをする事は、その作業で開幕する場やインスタレーションと同じくらい、美的経験を持っているかもしれない、とふと思った ビデオアート、レディメイドな作品が生まれ、認知された頃から、アート作品に起動スイッチがあるの

          展示会で毎日作品のスイッチを起動したり消したりする事

          作品のテーマとして、信頼ということについて考えてみる(12/18

          僕は他人の作ったご飯を食べることができない。 潔癖症というわけではない。 ピンポイントで「お袋の味」とか「おばあちゃんの味」とか、「みんなで鍋を突く」みたいな行為が無理だ。 これ、わかる人にはわかるし、わからない人には全くわからないと思う。 一瞬でも「ダメ」と判定されたものは、もう味がしない。この性格のせいで苦労することも多い。特に、大人数がいるようなアートプロジェクトでは、「みんなで食事」とか「みんなでお酒」がなぜかコミュニケーションのスタンダードになっている。前時

          作品のテーマとして、信頼ということについて考えてみる(12/18

          アドバイスを 「妬み」と言われた話(12/17)

          少しフィクションを混ぜながら話をします 先日、「原発被災地域に調査に入って創作する」という趣旨のアーティスト達のプレゼンテーションを聞いた 原発の復興地域は「ふくしま12市町村」と括られ扱われることが多い。しかし取材などで取り上げられるのはほとんどが沿岸部の町だ。12市町村の中でも報道の格差が根強くある。「いつものところに、いつも取材が集まる」という問題だ その会に参加したほとんどの作家が、海辺周辺の、物理的に原発に近い場所をリサーチする計画だった。調査候補地として、イ

          アドバイスを 「妬み」と言われた話(12/17)

          僕らは普通にやっているけど、地域アートの現場で「現場感」を楽しむのは、実はハードルが高いことな気がする(11/28)

          僕は昔からパフォーマンスアートが苦手だ(あと小劇場 だからパフォーマンスアートの鑑賞にはずっと苦手意識がある。 もっと細かくいうなら「パフォーマンスを見ないといけない場」が苦手 そもそも、何が起こるかわからないものをじっと見ていられない性分だ 昔なら「つまんね」と途中で退席もしていたが、 今は関係者もいる手前退席もできないので、心を殺して最後まで見る。 そしてメンタルを消耗しながら、苦手意識を上書きしていく。何層も何層も積み重なった苦手意識はちょっとやそっとじゃ払拭され

          僕らは普通にやっているけど、地域アートの現場で「現場感」を楽しむのは、実はハードルが高いことな気がする(11/28)

          被災地でのアート事業で「調査される迷惑」を思い出した(11月7日)

          夜中に思ったことを書き残します。 ここ数日、頭が痛い案件が多い。 とあるプロジェクトについて、実施者からも「地元との多少の軋轢はしょうがない(むしろアートはそういうものだ)」みたいな言葉を聞いて頭を抱えた。 「アート」という言葉は社会にとって、特に特定の世代以降にとっては、まだまだ異物だ。そんな状況を鑑みず、強引なプロジェクト運営に走ると求心力を失う。 地方でのアート作品制作に関しては、「準備中には地元と多少の軋轢や問題が起こったものの、完成した作品を見て、反対してい

          被災地でのアート事業で「調査される迷惑」を思い出した(11月7日)

          騙すならうまく騙してほしい、というはなし

          日記 それなりに生きていると、いろいろな人に会う。中には無自覚に他人を利用しようとしたり、美味しいところだけもらおうみたいな人もいる。相手にフリーライドしてやろうと息巻いているような、やばい人間に遭遇したりすることもある。 騙して働かせるようなこと以外にも、他人のネームバリューを利用したり、人の金で好き勝手やろうとしたり そういう輩は、なるべく早く組織から引き剥がそうと思っている そういう人がいるだけで、周りのモチベーションを大きく下げるし、全体としてあがる成果も上が

          騙すならうまく騙してほしい、というはなし

          多数決は答えを導かない

          最近よく、多数決ってなんだろうと考えます。 少し昔の話になりますが、学生時代に作品制作をしていました。そこでは「多数決」「民主主義の仕組み」をテーマにしていました。多くの場面で「多数決」は、誰がみてもわかりやすく、簡単な決定の方法として用いられています。一方で、論理的な話し合いや参加者のモチベーションが一定でないような難しい場面……特に学校などでは「反論をさせない方法」としても用いられがちです。 当時の私の作品のテーマは「多数決や民主主義、もっと言えば”みんなで決める”と

          多数決は答えを導かない

          SNS時代は言葉が軽い(10/23)

          最近、切に気になること。 日本語が、言葉が、めちゃくちゃ軽い。 SNSの普及のせいかな? 世界のローカルシティを代表するような日本一の農村型地方イノベーションとITとNFTを組み合わせた雇用創出型次世代コミュニティ構築のマネージャー人材教育普及事業のプログラムオーガナイザー兼ディレクターです みたいなやつ。舌噛みそう 言葉から軽さを奪っているのは、間違いなく2010年代頃から爆発的に増えたSNSマーケティング( )の仕業だ。人目を引くような印象的な言葉は増える一方で、

          SNS時代は言葉が軽い(10/23)

          目的と成果は違うということ(10/21)

          展覧会の撤収も兼ねてしばらく休みをとりました。身の回りは相変わらずバタバタしてる。政治とか、周りの環境とか、補助金とか。いろいろある。 先日とあるミーティングに参加した。そのミーティングの主題は「アーティストのための仕事を作る」というものでした。すごく熱意のある主催者さんで、やもすれば熱意だけが先走るタイプでした。 会議でもまとまりのない話が続き、みんなのテンションが下がり始め、そろそろ会議はお開きにしようか?という雰囲気に。すると、突如主催者が参加した人たちに怒り始めま

          目的と成果は違うということ(10/21)

          中之条に出してる作品のこととか(10/9)

          今年の中之条ビエンナーレに作品を出しています。会期もぼちぼち終わるので、最後に作品のことを書きます。 今回の作品は、生肉が干し肉になる過程について肉自身が語る、というもの タイトルは「Mid Jerky」。元ネタはMidjourney(旅の途中)っていうAI画像生成ソフトの名前から。肉を使うことは、ヨーゼフボイスが動物の脂肪を使った作品を作っていることや、2011年の震災の直後の横浜トリエンナーレで島袋道浩が発表した『ハムはできるのか?:復興と発酵』という作品にも影響を受

          中之条に出してる作品のこととか(10/9)

          SNSでの〇〇アートも、地方の〇〇アートも、じつは同じかもしれないというはなし(9/27)

          最近「〇〇アートやってみました!」みたいな動画を山ほど見かける。ぶっちゃけ「え!?何が”アート”なの!?」みたいなことも多い。あと、地方のイベントとか見てると「〇〇アート体験会」みたいな、そういうのによく巻き込まれる。正直対応にちょっと困ったりもする。 そういう”アート”は、これまでの芸術の分野や文化庁なんかが想定している分類とは全然別のベクトルなんだけど、ちょっと調べただけで山ほど出てくる。例えば、パステルアート、AIアート、テクスチャーアート、アルコールインクアート、た

          SNSでの〇〇アートも、地方の〇〇アートも、じつは同じかもしれないというはなし(9/27)