意識の低い外食学概論0
noteの世界ではじめまして。
私はご飯とお酒の世界で生きている大丈夫と申します。街の片隅にある小さな食堂や居酒屋を作る会社を経営しながら細々と暮らしています。
最近SNSで仲良くなった方、リアルの呑み友達の間でもnoteを書くのが少し流行っているので僕もやってみようかなと思いポチポチと入力し始めた次第です。何を書こうか迷いましたがとりあえず自己紹介ポスト。
居酒屋のマスターになる
小学校の卒業文集、将来の夢を書くコーナーに居酒屋のマスターになるって書いてるような少年でした。板橋生まれ片親団地育ち、悪そうなやつはだいたい同じ団地。そんな少年がギリギリで抱ける大志。
母親が水商売をやっていた&食い道楽だったこともあり恐らく周りの子供達と比べると外食も多く、居酒屋ってのが何なのかよくわからないけどなんていうか唯一身近な職場が飲食店だったからだと思います。
そんな感じで10代は厨房のアルバイトを転々としながら食べ歩きを趣味として生きていました。飲食店を転々としながら思った事。
料理の仕事は楽しい。楽しいんだけど飲食業界の大人達がとにかくダラしない。お金にダラしない。人間関係ダラしない。時間にダラしない。だから盗む。店に来ない。消える。
こんな人達ばっかりの業界で仕事したくないな...
『独立するまでの道のり 序』
外食業界に夢を見出すことができなかった自分が次に考えたこと。クリエイティブな仕事したい!モテそう!て事で何もわからず新卒で入社したのはアパレルの会社。しかしこちらでもどうしても夢を見出す事はできなくて1年経たずに退職。
退職後、次に何をするか。食いつなぐ為にできる事と言えば10代の頃からやっていた厨房仕事。やがて高時給を求め少しずつバーの深夜営業、キャバクラのボーイ、と夜の世界へ。しまいには普通の高時給で働く事もバカバカしくなり飲食も関係ないキャバクラ嬢の送り、出会い系のサクラ、ホテルの駐車場で◯◯、などなど。どの街でもフラフラしてる若者になぜか回ってくる少しだけヤバくて安定感の無いバイトに勤しみながら中央線沿線で青春を無駄遣いし自分探しその日暮らし。
何かをしたいけど何をしていいかわからない20代のスタート。
この頃から食べ歩き呑み歩きには拍車がかかり平日は毎日四文屋や古典酒場などで泥酔。週末になると今は亡き(有る)mixiで人を集めて呑み会をする。そんな毎日を過ごしていました。
人種のるつぼ、リアル人間交差点の中央線沿線の夜は主な職場だった渋谷や歌舞伎町の100倍楽しかった。
とはいえ、ろくに働いてもいないくせに飲み歩くので酒代はかさむばかり。その日暮らしでお金も貯まるどころかキャッシング三昧。自宅の家賃も払えなくなり庄屋で知り合った恋人でもないお金持ちの女性の家に転がり込みヒモ同然の生活。生活に危機感が無いのでバイトにもろくに出勤しなくなり酒浸りの毎日。
退職して半年も経たずに何曜日のゴミの日に出しても問題ないゴミに仕上がりました。素晴らしい寛容な時代。感謝してます。
『独立するまでの道のり 起』
ゴミみたいな生活をして1年くらい経って、自分に小さな変化が起きました。
飽きたな...
何事にも本気で打ち込んでない事に飽き飽きしてきました。人生に悩んでる若者全てに伝えたいんですけど、働きたくない時は思い切って働かないで良いと思います。勝手に飽きるんで。
キッカケなんて無く本当になんとなく。いつまでも人んちに寄生してる場合じゃないな、そろそろちゃんと働くか...みたいな
て事でモソモソと動いて近所の底辺不動産屋さんに就職して引越しもしました。なんで不動産の世界にしたのかというとキャッシングもエグい金額になってきてるしなんとなくお金稼げそうで、家から近い会社だったからです。後何社か面接を受けたけどゴミ職歴なのでここしか受からなかったんですよね。働かせてくれるならなんでもいいや。理由なんていつもそんなもんです。
**『独立までの道のり 承』 **
自分の入社した不動産屋さんはいわゆる〇〇興産みたいな感じの会社でした。入社して先輩達のお手伝い業務をする事半年、そろそろなんか任せてみるかと担当させられたのは飲食店がたくさん入ってるビルとかの管理。お前飲食店詳しいから、との理由でした。
管理といっても知識も資格もなんにもない若者ですのでその頃僕が1番時間を割いて過ごした人間は大家さんでもなくエンドのお客様でもなく[売上不振で閉店を余儀なくされてしまい行き詰まった事業主]たち。
そんな終わってるオジさん達と一緒にどうにかこうにかいくらかのお金を工面して未払いになってる家賃を補填したり、清算後、わずかばかりに残った保証金で速やかに物件を綺麗にしてなるべくスムーズに次の募集に繋げる。みたいな。そんな仕事をしていました。利鞘が出ればそれが収入に直結するもんで必死にやりました。そこそ楽しかったんですけど全然不動産業じゃないんですね。
この時、毎日のように倒産していく飲食店を眺める仕事に従事しながら、潰れていくお店にはいくつもの共通点がある事を見つけました。それがやがてメシの種になっていくんでそれは機会があれば追々ですね、別の記事にでも書いてみます。
**『独立までの道のり 転』 **
昼間は行き詰まった人々をなじり、時には励まし、成果を出したらビルオーナーおじさん達と酒盛り。それなりに楽しく過ごしていた底辺業でしたがあっさり終焉が近づいてきます。
不動産業の人達には馴染み深いかもですね。この時2008年くらいだったんです。色々あって資金繰りの悪化で倒産っていうかなんか良くない感じになるし色々整理してこの会社は畳むかー、みたいな感じになりました。下っ端だったから伝わってないのかあんまり悲壮感が無かったのが印象的でした。
その時の先輩達は今も業界で普通に生息しています。不動産の人は死なない。
退職金は弾んでくれるとの事だし、良い経験だと思い残務整理のお手伝いに勤しむ。っていうか社内の若手はみんな薄々感づいていたみたいでどんどんいなくなってたんですよね。なにそれ。おじさん達と酒ばっか飲んでたから全然気づけなかったですね。間抜けです。
倒産する会社に在籍しながら倒産する飲食店のフォローする毎日。二重人格なのかなって思いながら自分の将来も考えないといけない。何せ仕事が無くなるのです。働かないとまたゴミの毎日に戻ってしまう。自分にはそういう弱さがある。ほとんどチンピラ、戻るのはまっぴら。
知人のお金持ちになんか仕事を紹介してもらおうかな。
『独立までの道のり 結』
色んな事業をやってる地主さんに相談をしました。タイミングが良いのか悪いのか飲食業の会社を作って投資しているがイマイチ成果が出てないからそこで働いてなんとか良い感じにしてみて。報酬はまぁなんかうまくいった分だけあげるよ。飲食詳しいでしょ、よろしく。とのこと。
また飲食店か、でもまぁこの地主さんについてけば食いっぱぐれなさそうだな。と思い快諾。
とりあえず指定された店舗に出向く。前職で散々見てきた無くなっていく飲食店の雰囲気。新しい船もまた沈没船臭い。これは困ったな。まぁ自分は使える人間なので成果さえ出せばオーナーも捨てはしないだろう。頑張ろう。
運営業務をこなしながら改善点を洗い出す。人力ではどうにもならない物に必要な追加資金などを親会社に申請するがことごとく通らない。そんなに資金力が無い会社じゃないはずなのに何かおかしい。そう思った矢先、親会社からのこっちに来いとの通達が来た。本部に出向いてみる
「外食儲からない、資金も引き上げる。事業は解散。あなたは残りたいなら本部で見習いからスタート。それでok?」
この時2008年くらい。自分は世の中で何が起こってるかわからなかったけどどうやら本業の方でとんでもないマイナスが出たようで社長のわけわからん趣味みたいなお店にお金は出せないとの事。そんな社内の状況はよくわかんないし、そもそも店舗に情熱も愛情も無いので自分もじゃそれで良いんじゃ無いんですか、あんな店どうにもなりませんよみたいな事を伝えた。
そんな感じで転職して2ヶ月かそこらであっけなく解散が決まってしまった。24歳。実質在籍2社連続倒産。
働きたいだけなのに働く場所が無くなる。なんだかもうどうでも良くなってきた。もはやお得意となった残務整理をしながら自分の状況を整理した。
このまま親会社に拾ってもらうってのも有りだけどなんか親会社丸ごとなくなりそうだしどうしたものか。そんな会社で見習いからってのも無理。そもそも不動産業そんな潰れる?世の中何が起きてるんだろう。まぁいいや。とにかく自分の事だ。
どうしよっかな。飲食店以外なら何でもいいやと思いつきで流れた不動産業でせっかくならやれる事は何でもやろうと頑張ったつもりだった。流された先では結局たくさんの飲食店を見る事になった。たくさんの業界の人たちとも出会った。
離れたつもりでも自分の意思とは関係ないところであっちから近付いてくる。自分もついつい乗ってしまう。もう認めよう。自分は飲食業界で働くことを何よりも楽しいと感じてる。食べ歩きやいっちょ噛み程度は満足できない。そもそも最初に飲食業界を見限ったのも終わってるオジさんを見てきたせいだ。自分がそうならなければ良いだけだ。
そして何より今回この仕事を頑張ろうと思ったのも前職でたくさん無くなっていくお店を眺めながら薄っすら感じていた想いを実現したい気持ちがあった。
自分ならもっとうまくやれる
よし、外食業界で生きていこう。閉幕した事務所の退去立会をしながら考える。 周りの大人はあてにならない。どうせやるなら自分でやろう。小さくてもいいから自分のお店を持とう。大繁盛しなくてもいい、潰れることなくずっと働ける職場を自分で作ろう。
そんな感じでずいぶん遠回りしながら独立を決意。
そうして数ヶ月後には少しの貯金にたくさんの借金でお店を構えました。意外な形で少年の頃の夢を叶えて10年ちょっと。夢の続きを今だに見ている人間として、外食を愛し外食に愛された人間として最近の外食産業について色々と思いを綴るnote を書いていきたいと思います。
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