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小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(08)






 鮮やかなアーデントレッドのエリーゼが停車した。
 大株主だったロマーノ・アルティオーリの孫娘の名前が付けられたその車は、ノーフォーク州ヘセルでファクトリーチューニングされた直列4気筒DOHC16バルブのトヨタ製エンジンと、6速マニュアル・クロスミッションを搭載しながら、わずか876kgという当に英国が誇るスポーツカーブランド『ロータス』のライトウエイトスポーツカーだった。
 エンジンを切ると、圧縮された空気が一斉に解放される様な低い音がして、その情熱的な紅色の扉が開いた。
 すると広幅のサイドシェルが、まるでバスタブのように見えるコックピットから、まるで求愛するタンチョウヅルのような優雅でスラッとしたハイヒールの美脚が覘いた。


〔内戦の中央アフリカ ――デイリーテレグラフ現地特派員潜入レポート―― ジャングルでゲリラ活動を続けていた反政府軍の拠点が一夜にして壊滅〕

 アレイスターは署の休憩室のソファーに沈みながら、マルボロを片手に通勤途中のキオスクで手に入れたブロードシート(全国紙)を広げてた。
 向かい側に座っていた同僚の視線がまるで邪魔だと言わんばかりだった。仕方なく新聞を広げ持ったまま、そこから少し離れたテレビが見えるソファーに移動した。
 テレビではニュースバラエティ番組が放送中で、国際紛争問題に詳しいとされるコメンテーターが、今朝のデイリーテレグラフの「反政府軍ゲリラ壊滅」の記事について解説している。彼は証拠や根拠を全く示す事もなく、合衆国の特殊工作員やMI6の仕業だと断定していた。
「実際問題、米英が介入するならば政治的な何らかの動きがあるはずだし……これはそういった感じとはほど遠い……ゲリラ組織内の内紛じゃないのか?」
 アレイスターは同僚には聞こえないような小さな声で、テレビに噛みつくように呟いた。

「アレイスター、来客だ。応接室にお通ししておいたぞ」
 髭面の主任警部が部屋に入るなりそう言った。

 大量の捜査資料を小脇に抱えるとマットとアレイスターは応接室に向かった。

「――お忙しい最中、捜査にご協力いただきありがとうございます。実は……」 
 アレイスターは来客の女性に会うなり早速切り出した。
 後ろで束ねた黒紫髪が、どことなくエレガントさの中にも凛とした力強さを感じさせる女性は、ハリウッド女優のミシェル・ロドリゲス似のラテンの香りがするプエルトリコ系アメリカ人だった。
「構いません、ちょうど短期留学から帰国した娘を空港まで迎えに行って、ウォータールーの寄宿舎まで送っていった帰りなんです。――あ、済みません自己紹介が遅れましたね。ブラックサインコーポレーションのレナ・シュミットです」
「こちらこそ遅れて済みません。アレイスター・コリンズと言います。ところで娘って事は、お子さんいらっしゃいましたっけ?」
「ええ、5年ほど前から、様々理由で身寄りも無く教育を受けられない子供達を何人か里親として引き取って、子供達の才能に見合ったより良い教育を受けるチャンスを与えてます。今日送迎したのはその一人なんです。優れた教育を受ける事で子供達が将来立派な社会人となって社会に貢献してくれることを願って居るんです」
「ご立派な活動ですね。実は私も実は里親に育てられたのでとても共感します」
 アレイスター自身も幼い頃の事故で父母を亡くし、里親によって育てられていたのだった。
「で、娘さんは、どちらへ?」
「娘はモーリー・カレッジ・ロンドンの演劇コースを専攻しています。17歳の誕生日記念にサマーホリデーを利用して中央アフリカのカメルーンに2週間の短期留学してました。初めての海外留学は彼女にとってとてもエキサイティングな体験だったようです。人間的にも一回り成長して帰ってきたみたいで、ちょっとだけ見違えました」

「――あの、」
 アレイスターが申し訳なさそうに話し始めた。
「済みません、実は今現在捜査中の事件についてなんですが……」

 アレイスターは現在捜査継続中のメネスの涙強奪事件や、アリシマ邸襲撃事件、そしてリチャード・ガストン殺害事件についての捜査状況を説明した。

「なるほど。つまり、それら全ての事件に私どものブラックサインコーポレーションが関与していると言いたいのでしょうか?」
「いえ、そうとは言ってませんが……」
「私共も、警備運送途中の強奪や警護対象者の警護の失敗で、かなり信用が失墜したのは否めないのです。実際損害賠償費用だって大変です。当然会社としては事件解決のために捜査には全面協力させてもらいますが、我々としましては風評被害は避けたいので、警察の方でもマスコミ対策はお願いします。デイリー・メールやザ・サンみたいなタブロイド(大衆紙)にあること無いこと書き立てられるのも困りますからね」
「わかりました。MPSとしましても充分すべて機密事項守秘義務の遵守を徹底しています。今後とも捜査協力よろしくお願いします」
 そう話しながらも、アレイスターには疑問が残った。
 まるで全ての事件がブラックサインコーポレーションに繋がっていくパズルのように思えるのだ。しかし其れを解くための糸口が全く見いだせない。――明確な証拠すら無い。
「レナさん、差し支えなければ娘さんにもお会いしてお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
 アレイスターは別のアプローチを探っていた。
「ええ、構いません。さっき車で送っていったばかりなので……寄宿舎はランベス・ノース駅の近くなのでここから割と近いんですよ。よろしければ電話で呼びましょうか?」
「確かに、ウォータールーでジュビリーラインに乗り換えれば直ぐですね。ところで娘さんのお名前は?」
「アンヌ。アンヌ・シュミットよ」
 そう言いながらレナはスマホを取り出した。

 程なくしてアンヌという娘がやって来た。
 若干東洋系の顔立ちの残る翠眼の美少女だった。髪はブロンドのロングヘア、背丈はさほど高くなくやや細身、しかしながらしっかりとした骨格からは何かスポーツ経験のある活発な女性という印象だった。
 そう、ちょうど年齢といい体型といい、クラブハウス『シン・禁断の惑星』(ネオ・フォービドゥン・プラネット" Neo Forbidden Planet ")の歌姫のジューシー・パインと(17歳という同年齢な所為かも知れないが)、何処と無く雰囲気が似ていた。
「君が、アンヌかい?」
 アレイスターが質問した。
「はい」
 静かで落ち着いた、そしてはっきりした声でその少女は答えた。
「アフリカに行っていたんだって?どうだった?」
「とても素晴らしかったです。自然も素晴らしかったし……でもロンドンと比べるとちょっと暑かったですね。其所に住んでいる人達とも交流出来て色々学びました。――私は今、モーリー・カレッジで演劇を勉強しているんですが、この留学体験で演劇に対する見方がガラリと変わるような気がしてます。それくらい素晴らしい経験でした」
 彼女は嬉しそうに眼をキラキラさせながら話した。
「成る程ね。そう言えばニュースで中央アフリカの事やってたけど、治安とかは大丈夫だったかい?」
「あっ、はい。一度だけカバンを盗まれたけど、金目の物は何も入ってなかったし、外では偶に銃声とか聞こえたけど夜間外出とかはしなかったので大丈夫でした」
 アレイスターの問いに平然とした顔で答えた。
「――そう、今日は態々どうもありがとう。アンヌ、また今度アフリカの楽しい話し聴かせてくれないかい? レナさんも本当にありがとうございました。今後とも捜査の過程でご協力をお願いする事になると思いますが、その際はよろしくお願いします」
「はい!勿論です」
 そうきっぱりと答えたレナとアンナの親子を、アレイスターはエレベーターまで見送った。


 二人がMPSの庁舎を出ると既に辺りは暗く、正面のテムズ川には青白くライトアップされたロンドン・アイと旧ロンドン市庁舎が浮かび上がっていた。
 レナは駐車していたロータスエリーゼのリヤトランクを開け、中から幌を収納した大きなバッグを取り出した。
 二人で素早く幌を取り付けると即座に車に乗り込み、テムズ川を右手に見ながら堤防道路(A3211)を北上した。
 通り過ぎてゆく街灯の明かりがアーデントレッドの車のボディに反射して、瑞々しい鮮やかな輝きでビクトリア・エンバンクメントを彩った。
 車はウォータールーブリッジ手前を左に鋭角に曲がってサボイ・プレイスに入った。サボイの小径の左側は駐停車スペースで多くの車が止まっている。レナはその一画の空きスペースに車を停めた。
「――中間テストは取り敢えず合格よ」
 レナが言った。
 助手席に座っていた娘はそれを聞くと、多少緊張した顔で窓の外をキョロキョロと確認した。
 そして右手で自分の右頬の辺りをつまむように引っ張った。すると、まるで焼きたてのピザにトッピングされたチーズのように皮膚全体が伸びながらちぎれた。それはまるでハリウッド映画の特殊メイクの人工皮膚のようだった。ちぎれた人工皮膚の右目の部分にはドローンのカメラ等のオブジェクトトラッキング技術を応用した視点自動制御のスパイカメラが仕込まれていた。そして顔全体の人工皮膚を取り去った中から、顔の右側に傷を負った別の少女の顔が現れた。アカリ・アリシマだった。
「その変装についても、まあまあ及第点ね。あと、中央アフリカであなたのミッションの記録データを本部で確認したけど合格よ。良くやったわ」
 レナの自分に対する評価が余程嬉しかったのだろう。アカリは少し微笑みながら、続けざまにブロンドの鬘と左目のカラーコンタクトを外し、車のセンターコンソール後ろのドリンクホルダーに放り込んだ。
「MPSで犯罪事案管理システムのデータを入手しました。あと、カメラにはMPSの内部の詳細とか机の上の書類とか色々収めておいたから、これも解析お願いします」
 アカリはブロンドの鬘を指さして言った。鬘の内部に超小型のデータストレージが組み込まれていた。それは先ほどの庁舎訪問の際に、巧妙な手口でリモートハッキングして庁舎内部からファイヤーウォールを突破して入手した極秘データだった。
「わかったわ、BSC本部ですぐに取り掛かるわ」
 そう言うとレナは懐から一通の封筒を出してアカリに手渡した。
「次の訓練の詳細よ」
 封筒を受け取ったアカリは、ポケットから右眼用の眼帯(アイパッチ)を取り出し、それを付けると車のドアを開け、薄暗いカーティング・レーンの坂道の方へと消えていった。


――――物語は09に続く――――

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