11.狭い世界で生きることが怖かった
地元のショッピングセンター前に赤い三画コーンが3つ並んでいた。
それをぽんっ、ぽんっ、ぽーんと小学生らしき男の子がとびこえてゆく。飛び終えるとまたくるっとまわって同じようにぽんっ、ぽんっ、ぽーんと警戒にとんでゆく。
何往復も何往復も飽きずにしていた。
その子を見ているうちに、ふと
「ああ、あの子の世界はこの地元が全てなんだな。」
と思った。
そう思った瞬間に、
私はもう赤いコーンには熱中できないな、
とむなしさが胸に広がった。
小学生のころは全てが遊び場だった。
学校へ行くまでの道では、舗装道路の方が歩きやすいのに、近くの大きい石をがんばってよじ登ったり、自分の背丈以上の高さの柵の裏側をどうにか見ようとジャンプしながら歩いたり、横断歩道の白黒の白のところだけを踏むゲームをしたり。
いまでは、大きい石も大股でいけば軽く歩けるし、高かったはずの柵は自分の胸くらいの高さになっている。横断歩道の白だけ踏むゲームはいまでもたまにやっているけど
小学生のころは早く中学生になりたかったし、中学生のころははやく高校生になりたかった。まだ自分が知らない人に会いたかったし、未知のことに出会いたかった。
大学に入って、6年間ずっとやっていた柔道をやめて、サークルに入った。自分の大学、他大、どちらも大きいサークルでたくさんの人に出会い、今度は学生団体でいろんな大学の人、多くの社会人に会った。留学で海外の友達もできた。
私のいまの世界は中学生、高校生の時より確実に広がっている。だけど、今の私は中学、高校の時よりも満足感が低い。
たぶん、大学に入ってからずっとだ。
もちろん一時期、イベントとか、仕事で自分のタスクがめちゃくちゃあってそれをやっていく時はすごく楽しい時もあった。だけどそれが終わるとまた足りなくなる。旅行とか、カフェに行くのとか、それはそれで楽しいけど、とても一瞬でなくなってしまう。
中学高校で柔道をやってた時は、柔道しかやってなかった。平日4時間くらいの練習、土曜は6時間、日曜も体を休めつつ、走り込み筋トレを欠かさずやってた。
「でもオリンピック選手になれるわけじゃないしな...」
そう思って、高校で柔道をやると決めた時に柔道は高校まで、大学はもっといろんな世界を見るぞと決めた。
この満足感の低さは没頭の深度だ。
わたしが大学で柔道以上にはまったのはなにかを企画することだった。企画はその時その時でターゲットも、やる内容も、やる媒体もコミュニティも全部違った。就活定番質問の「学生時代頑張ったことは?」もいろんな方向でいろんなことを頑張りすぎて決めづらかった。
「柔道」「企画」この2つの言葉を並べて、100人中100人が思い浮かべる柔道のイメージは大体一緒だろうけど、企画のイメージはばらばらだと思う。
オリンピック選手になれるわけでもない柔道という狭い世界にずっといることが怖くて、もっと広い世界を見てみたかった。
広い世界に出てみたら、いろんな世界を見ている傍観者の気分だ。
ショッピングセンターで赤三角コーンを飛んでいた小学生はとても一生懸命で、すごい楽しそうだった。
広い世界よりも、狭い世界で生きる方が実は幸せなのかもしれない。
これから、社会人になるが、広さよりもまずは深く深く潜っていくようにしたい。
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