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「自分で考えろ」第一形態:忖度クイズ~マスク編〔クリシェ【凡百の陳腐句】19-3〕


「自分(の頭)で考えろ」=「私を忖度しろ」。

その人の頭の中に「(自称)正しい答えの枠組み」があって、「そこを外さぬように考えろ」という、「その人が頭の中で考えていることを当てるゲーム」

「自分は正しい」と思い込む人間が、他人に「自分で考えろ」と宣ったとき、大抵はこの「忖度クイズ」である。

この一例としてあげられるのが、2023年2月頃までそこそこ見かけた、

「マスクをつけない私、ジブンデカンガエテル!」

と"自称"する方々。

都内某所で見かけた「なんでマスク着けているんですか?自分で考えましょー!」と主張する謎の集団。

「電車の中でマスクつけない私、自分で考えてるゼ」が、趣旨のネット記事。

コロナ禍が明けようかという時期だったが、「ミンナマスクシテイル、シコウテイシ!ワタシマスクシテナイ、カンガエテル!」といったロジックが所々に表れていた。


「なんで『マスクしない』ことが、『自分で考えている』ことなの?」  


このような方々に対する、筆者の率直な感想かつ素朴な疑問だ。

僕はもともとマスク嫌い。

「タバコの煙を貫通させるマスクごときに、ウィルスが防げるか!」

と、コロナ禍当初は「どうやったらマスクをせずにいられるか」を密かに考えたものだ。無論、"流れ"の前には無駄な努力だったが。

けど、次第に「意外と悪くない」と思うようになった。

「ヒゲを毎日剃らなくていいから」。 

「飛沫を撒き散らせないため」でも、
「コロナ予防のため」でも、
「こんな状況だから」でも
「職場の指示だから」でもなく。

「外出時は"事実上"マスクをしなければならない」状況に便乗して、心置きなく髭剃りに使う時間とシェービングクリーム代を節約できる。  

筆者は「そう考えて」、マスクをしているのだ。

ずっと剃らないのは、さすがに無精過ぎてイヤなので、週2くらい(ただし、夜のシャワー時)。

去年の夏あたり、一度「温泉つき健康ランド」に行ったことがあるのだけど、ヒゲたくわえている方がそこそこいた。

「俺と同じことやってる人、結構いる…。考えることはみんな一緒だな」と思ったものだ。

今(2023年6月ごろ)は、知り合いに合う可能性の高い地域、および密集度合いの高い空間(電車、狭小店舗など)ではマスクをすることもあるが、屋外では基本あごマスク。

周りを見てみるとノーマスクの人は結構多くて、体感4割くらい。コンビニやファーストフード店にもノーマスク店員が増えつつある。もちろん、着けている人・店はしっかりいる。

皆、職場の方針だったり、自分の好み・気分・都合だったりで、マスクを着けたり外したりしている。

僕は、「髭剃り激減」に味を占めてしまった。もう少し続けようかな?

ただ、確定していることが一つ。

この状況は、なるべくしてなっている。

「マスクをしないことが、自分で考えることだ」主義者の頭の中とは、まったく関係なく。

「あぁ、あの人たちの言ってたことは、正しかった。これからは彼らに忖度しつつ考えよう」と涙を流しながらマスクを外している人は、まずいないであろう。

「自分で考えろ」と主張するのはいいのだが、皆それぞれの好み、価値観、主義、都合、目的に応じて「自分で考え、判断している」

誰かさんの「(自称)正しい答えの枠組み」など、思慮の外で。

「自分で考えろ」と主張するなら、

「『なんで80億分の1でしかない、あなたの頭に向かって考えること』が『自分で考える』なの?」

という疑問への回答を、「自分が考える」べきなのだ。


そして、これに付け加えるべきことがもう一つ。

「『他人や大勢と違う言動をする』=『自分で考える』なんて誰が決めた?」。


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