あとがき:ミドルオブノウウェア

私の留学先は、ミドルオブノウウェアと呼ばれている。
直訳すれば、無と無の間。どこに向かっても、その先には何もない。
私は、それが好きだった。
初めてその言葉を聞いた時、自分はなんとすばらしい場所に来たのだろうと感動したのだ。
私にとって、それまでの生活は常にどこかからどこかへの間だった。中学校に入れば、高校に入るための勉強。高校に入れば、大学に入るための勉強。大学に入れば、社会に出るための勉強。ある目的地に到達したかと思えばその先にはまた別の目的地があり、私は乗り物を換え乗り方を変えて、絶えずどこかへ向かっていかなければいけなかった。
私にとって留学とは、その中のどの目的地にも向かわなくてもいい時間だった。

とかっこつけたことを書いてみたが、正直私もその感覚がどこまで本当だったかはわからない。ただ、私は留学前の数カ月ほど就職活動に追われており、自分がやりたいことが何なのかもはっきりしないまま他人と比べられて落ち込む日々に疲弊していた。
留学先では、自分のなりたい自分になれた。まるで、日本にいたとき無意識に自分でかけてしまっていたリミッターが外れたような感覚だった。もちろんそのせいで不規則な生活や無茶を繰り返したびたび発熱に見舞われたのだが、その時は本当に、なんでも挑戦できると思った。挑戦しながら、これが自分のやりたいことなのか!と感じて、なぜもっと早くやってみなかったんだろうと過去の自分を訝ったりした。そしてそれは、これまで「やれると思わなかったからそもそも望みもしなかったこと」を、望むようになった瞬間でもあった。

スマホを紛失した回でも書いたが、留学に行って感じたのはまさに「自分の人生は自分の目の前にしかない」ということだった。私が留学している間、日本で進行している人生も、私が帰国した後アメリカで進行する人生もなく、私の人生は私が目で見て足で踏めるその距離に広がっている。私がいくらでも変えられる、という感覚は、ある種の全能感に近かったかもしれない。

だから、アメリカを去るとき私は哀しかった。
日本に帰れば私はこの感覚を失い、留学前に決めた人生のレールに沿って歩いていくだろうとわかっていたからだった。留学中にも企業の選考を受けていたし、帰ればまた就職活動をして日本で仕事に就くだろうな、とわかっていた。留学先でデザインの授業を受講し、自分がデザイナーやイラストレーターの仕事に憧れを持っていたことを思い出したが、キャリアに結び付くかもわからない、うすぼんやりとした夢を追うリスクを自分に課せない臆病さは、私がいちばん知っていた。ともに留学している友人たちが「普通になりたくない(=日本でストレートに就職し、仕事をするだけの人生を送りたくない)」と口癖のように唱える中、誰よりもはやく「普通」の人生に戻っていく私にとって、アメリカでの留学生活は、数か月間の夢であり逃避行だった。だから、最後の授業が終わり、人がいなくなっていく教室を見ながら、私は泣いたのだ。私が欲しいものはすべてここにあった、と本気で思った。私が欲しかったものとは、教育や恵まれた施設ではなく、たしかにそこで感じた「もっと自由に、自分のなりたかったものになれるという感覚」そのものだった。

「UMASSの一員になってくれてありがとう」という教授の言葉を、今でも耳で思い出すことがある。私にとっては、あの四か月間が、あまりにも濃くてまばゆく、思い出すたびに寂しいものになった。

日本に帰国してはやくも一カ月が経とうとしている。私は夏の頃よりは肩の力を抜いて就職活動に取り組めていて、望ましい結果が出ても出なくても、とにかく内定をいただけた先で一生懸命働こうと思っている。35歳までにお金を貯めたら、とりあえずアメリカに二年間住んでみるつもりだ。今年のうちになんとか日本語教師の資格を取って、将来は日本語のTAとして海外派遣されることを目標にしている。四か月で足りなかったのなら、二年住んでみよう。もしかしたらそれで満足が行くかもしれないのだし。

予想外にうれしかったことは、日本に帰国した今でも現地の友達とのつながりがあることだ。Lilian達のいるチャットグループは今でもちょこちょこ謎のバズり動画を脈絡なく送りあっているし、ひとり漫才の台本にただ一人笑っていた友人とはよく電話をしたりする。日本語チューターとして参加していたラウンジに「電話でいいから参加させて!」と言っているが、叶うだろうか、そうしたら私は四時起きしなくてはいけないが…。

私が欲しいものが全てあったミドルオブノウウェアに、帰りたいという気持ちはまだある。もっといたかった、あそこでもっと友人たちと時間を過ごせたらよかったという思いは、これからも消えることはないだろう。ただ、私は留学を経てもっとやりたいことが見つかったのだし、むしろ何かを渇望している自分に出会えたことがうれしいような気もしている。
たった四か月の留学でここまでの執念を見せてしまう自分がとんでもない勘違い人間なのではないかという不安には、今は蓋をしておく。自分で自分に制限を設けなければ、どこでだって、何だってできそうだ。
だって、ほら、いつだって自分の人生は自分の目の前にしかないんですから。

追伸
ちょっといい感じに話をはじめてちょっといい感じに話を終わらせるなんて、他人が使ったトイレに流し忘れがあるのと同じくらい嫌い。二月に留学に旅立った友達がこれを読んで「心の底からでべそに出会えてよかったと思った」と言ってくれたことが本当にうれしくありがたかったが、知り合って三年ほどの間に「インターンシップで爆睡する話」以上に彼女の心を動かすことが出来なかった自分が情けない。言葉があふれて筆が止まらなくなったのは本当に久しぶりで、これからも文章はちまちまと書いていこうと思う。


UMASSで出会ってくれたすべての皆さん、留学を応援してくださった皆様、そして何より、私を信じていつも応援してくれた家族の皆に、心から感謝いたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?