マガジンのカバー画像

旅のうた(歌日本紀行)

22
運営しているクリエイター

記事一覧

(第22回)夏休みのスーパーコンテンツ・「ラジオ体操」の歴史を感じに、ソラマチの郵政博物館に行った

(第22回)夏休みのスーパーコンテンツ・「ラジオ体操」の歴史を感じに、ソラマチの郵政博物館に行った

 「全国のみなさん」。

 昭和3(1928)年、巷にこんなことばが流行った。朝のラジオ体操からの一節である。

 この年、NHKラジオの全国中継網が完成した。同年秋に執り行われた「昭和天皇御大礼」の記念事業として、ラジオ体操の放送が開始された。

 担当アナウンサーの江木理一氏が、「全国のみなさん、おはようございます。朝のラジオ体操をご一緒にいたしましょう」と、軽快な台詞回しで放送し(毎朝午前6

もっとみる
(第21回) 白い京都に雨が降る

(第21回) 白い京都に雨が降る



 ひさしぶりに京都・大原の「三千院」を訪れた。別に恋に破れたわけではないが、「京都・大原・三千院」という例の歌によって脳裏に焼き付いているこのお寺、何回か訪れているが、正直毎回印象に残らず、何がそうさせているのかと、いぶかしながら、半世紀を超えた人生で3度目の訪問とあいなった。

 もちろん、この場所にふさわしい歌は、(デューク・エイセスや渚ゆう子が)「恋に破れた女がひとり」と歌う『女ひとり』

もっとみる
(第20回) 森高千里『渡良瀬橋』 青春の匂いがする場所

(第20回) 森高千里『渡良瀬橋』 青春の匂いがする場所

 語呂がいい、音(おん)がいい、という。実体よりも前に、それに付けられた名前の響きや印象を気に入る。見た目のインパクトによるレコードの「ジャケ(ット)買い」もそうだけど、この「語呂買い」も、それはそれで粋な話だ。

 歌手の森高千里さんは、橋をテーマにした曲が作りたいと考え、日本地図を手に取った。住んだこともなく、縁もゆかりもない土地にある橋だけど、その「響き」が気に入り、詞を書いた。それが『渡良

もっとみる
(第19回) 仙台・広瀬川の思い出

(第19回) 仙台・広瀬川の思い出

 コロナ禍の合間を縫うように仙台を訪れた。旅人を自認する割には、通過することは多かれど、仙台に宿泊するのははじめてのことだった。東北の雄藩に連なる仙台は、あまりにも大都市すぎて、自分のようなよそ者が「把握」しようとするには手には余るような気がして、いままでなんとなく敬遠していた。

 今回、ある本を読んで気が変わった。作家・佐伯一麦氏が、生まれ故郷である仙台の川を歩き、「広瀬川周辺」の景色を生き生

もっとみる
(第18回)原監督と潮来笠、粋でいなせな若大将

(第18回)原監督と潮来笠、粋でいなせな若大将

 今年の日本シリーズはソフトバンクの圧勝で終わった。無念そうなジャイアンツ・原辰徳監督の顔がテレビに写った。私はなぜかこの人の顔を見ると、脳内にある音楽が流れる。『潮来笠』である。

 原監督のあの「グータッチ」のポーズと表情が実に粋でいなせな潮来笠。原監督と橋幸夫さんは世代も違い、見た目が似ているかどうかは個人の感じ方なので、強制はしないが、私のなかでは実に見事な脳内コラボとして存在する。

 

もっとみる
(第16回) 「あずさ2号」と信濃大町の立ち食いそば

(第16回) 「あずさ2号」と信濃大町の立ち食いそば

 登山で有名な出版社「山と渓谷社」の創業90周年を記念した上映会の案内があった。神保町のミニシアターで「山岳映画」の大特集が組まれるという。井上靖原作『氷壁』なども上映される。たのしみな催しだ。

 もうだいぶ前のことになる。一時山岳小説にのめり込んでいた時期があった。厄年を迎えた、心身ともの「倦怠感」から、あらゆることに手がつかず、ただ「非日常」の感覚だけを追い求め、ベッドの中で、(過酷で尊くて

もっとみる
(第15回) 欅坂46が歌う「渋谷川の新風景」

(第15回) 欅坂46が歌う「渋谷川の新風景」



稲荷橋付近の変貌しつつある渋谷川の景色。

 神宮の杜にきれいな水がある。明治神宮庭園内に湧き出る清正井(きよまさのいど)である。ここはずいぶんと前からパワースポットとして認知され、高感度女子たちの携帯待ち受け画面にもされている有名な場所で、ある川の源流のひとつになっている。渋谷川である。

 童謡『春の小川』がこの渋谷川をモデルにして生まれたというのは、ずいぶんと言われていることなので、ご存

もっとみる
(第15回)「生駒・宝山寺新地、女町エレジー」

(第15回)「生駒・宝山寺新地、女町エレジー」



参道から続く「生駒新地」の景色

 「女に生まれてよかったわ。ほんとはいいことないけれど、せめてこころで思わなきゃ。生きてはいけないこのわたし。生駒は哀しい女町」

 前時代的と言ってしまえばそれまでだが、なんともすごい歌詞である。昭和48年、作詞家の石坂まさを氏によって書かれた歌、石坂氏の愛弟子である藤圭子をはじめ、幾人もの歌い手によって歌い継がれた佳曲『女町エレジー』の一節である。

 こ

もっとみる
(第14回)ブルーライト・ヨコハマ〜横浜の仄暗いあかり

(第14回)ブルーライト・ヨコハマ〜横浜の仄暗いあかり



薄暮の山下公園には氷川丸が係留され、ヨコハマを見守る。

 きれいなお姉さんのかわいらしい節回しと、こどもをちょっとだけムズムズさせるような色気が印象深い歌だった。1969年にヒットしたいしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』である。以前この稿で取り上げた青江三奈の『伊勢佐木町ブルース』は前年(1968年)のリリース。その頃わたしは幼稚園、街に流れたこの2曲が、強烈なインパクトで幼児の脳裏に刷

もっとみる
(第13回) ままにならない天城越え

(第13回) ままにならない天城越え



歌詞にも登場する「浄蓮の滝」。観光客にも人気のスポットである。

 「天城越え」は、伊豆半島にある天城峠を舞台に歌われた楽曲である。その昔天城峠と言えば、わたしのなかで、(山口)百恵ちゃん一択であった。あの『伊豆の踊子』の話である。川端康成の名作は何度も映画化され、時々の旬な女優さんたちが主演を努めたが、わたしの場合は、吹き替えでのヌード姿が話題になった、1974年版の印象が強烈なのであった。

もっとみる
(第12回)「なごり雪」〜線路の先の物語」

(第12回)「なごり雪」〜線路の先の物語」

 なごり雪。なんてきれいな言葉なのかと思う。この歌が世に出た当初は、「なごり雪」ではなく「名残りの雪」というのが正しい日本語だとクレームもついた。だが、いまやこの「なごり雪」は、堂々とした(情緒たっぷりの)日本語として、歌い継がれていく切ないメロディとともに、広く認知されている。

 この歌の舞台は正確には書かれていない。東京のどこかで、故郷へと帰っていく恋人を悲しげに見送っている、そんな歌だ。

もっとみる
(第11回) みんな一度は埼玉にやられる

(第11回) みんな一度は埼玉にやられる

 このまえ、ある知り合いのおっさんが、カラオケで、八神純子の『思い出は美しすぎて』を熱唱していた。「なぜにおまえが」とツッコミを入れると、ドッとその場が湧いた。そう、いま世の中は「なぜにおまえが」に見張られている。

 たとえ同じコメントだとしても、知識人や有名人にならないと「その人が言う理由がない」ということで、世間には披露されず、たとえ革新的なアイデアだとしても、無名のクリエイターだと会議の遡

もっとみる
(第10回)  象徴としてのフリーウエイ

(第10回) 象徴としてのフリーウエイ

 ユーミン(松任谷由実)の歌を扱うのはこの稿において二回目なので迷った。だが最近、ある本のことを思い出し、やはり触れておきたいと思うようになった。1985年に発行された、笠井潔のエッセイ集『象徴としてのフリーウエイ』(新時代社刊)である。笠井氏は反ポストモダン的思想家・評論家で、学生時代、彼の著作にかぶれていたわたしは、オンタイムでそれを読んだ。

 ユーミンの作品、『ひこうき雲』『ベルベット・イ

もっとみる
(第9回) 有楽町で逢いましょう

(第9回) 有楽町で逢いましょう

 重低音が身体の芯まで響いてくる「ボディソニック」というオーディオシステムがあるが、フランク永井が歌った重低音は、昭和のこどもたちにとって、まさにボディソニック級の衝撃であった。

 『有楽町で逢いましょう』は昭和32年の歌である。高度経済成長期のお茶の間では、懐かしのメロディとしてよく流れていた。ああ、おとなになるって、こういう「ムーディーな」おじさんになるのだなと、その白い背広姿をぼーっと眺め

もっとみる