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やっぱり世界は美しい

今朝、日が昇ってから目が覚めて、窓の外があまりに明るかったので、
山側に窓のある部屋へ、外を見に行った。

窓を開けて、空と雲と山を見て思った。
『やっぱり世界は美しい・・・』

昨夜も遅くなり、屋上に出たのは夜十一時を過ぎていた。
食器を洗い、身体を洗い、使った分の水を台所から風呂場へ補充し、あいだにお祈りをし、明朝食の準備をして終わったのがその時間だった。

もう一つお祈りが残っていたので、暖かくして、数珠を持って屋上に出たわけである。

先程外を見た時は星が出ていたので、やることが終わってから空を見ようと思っていたら、全天曇りになっていた。

それでも室内にいるより空間は開けているし、遠くから川の音や、虫の鳴く声も聞こえて気持ちが良い。
その場でグルグル歩き回りながら、残りのお祈りをした。

雲の中にもグレーの部分と、夜空らしき濃い紺色の部分があったので、
雲の切れ目から星が見えないかなと、時々見上げながらの祈りだった。

星の中には、もちろんチラチラ動く光も含まれる。
動く光は、筆者の中ですでに空の友だちになっており、
『また会えるかな。』
と、雨が降らなければ毎晩確かめに行く。

さて、昨夜は当初、雲が厚かった。
空には何の光も無いので残念に思ったが、この雲の上には星がある。
星と一緒に彼らがいると思うと、何となく嬉しくなった。

と同時に、目の前に見える雲だけで、『会えなかった。残念だ。』と思う必要はないのだと気付いた。

そういえば、他のことに対しても、目前にバーンと現れたものごとばかりに気を取られて、その向こうに何があるかなど、あまり考えることはない。

地上では雨が降り、空を見上げれば厚い雲が全天を覆っていることしか分からないけれど、雲を抜ければ青い空があり太陽の光が燦々と輝いていることも、我々は忘れがちである。

空の友だちは毎日律義に同じ場所に留まり、他の星が動くのと一緒に地球の周りを動いているように見えるので、
恐らく大気圏外にいるのだろう。

ということは、昨日と同様に同じ空間に留まっている筈であり、
更にはこちらがじいっと見るまで動かないので、多分こちらの注意が向いていることが分かっている。

ということは、見えなくても、相手のことを思えば通じるかもしれない。

勝手な仮説を立てて、
『何時も見ててくれてありがとう。大好きです。いつかホントに会いたいです。』
とか一人で盛り上がって祈りのついでに天に念を投げ、
残りの真言を唱えて終わったら、頭の上だけ雲が晴れていた。

まず一つ小さな光を見付けてじいっと見ていたら、いつものようチカチカ点滅しながら上下左右にウニョウニョ動いてくれた。動きは少し派手だったかもしれない。
もう一つ見付けて見ていたら、また動いた。

嬉しくなってお礼を言った。
届いていただろうか。

もう光は小さすぎて、スマホで撮影するのはあきらめているが、
それにしても肉眼とは(筆者は眼鏡をかけなければならないが)、斯様に高性能である。
『まあ、信じてもらえなくてもしょうがないか』という気持ちで書いてはいるけれど。

視覚的に見ることができないと、それを見ることができなかったと、
我々は失望することが多い。

時間的に先が見えないと、目の前に繰り広げられるものごとで失望することも、我々は多い。

でもよく考えてみると、目の前のものごとも時間を経ることによって変化することは確かである。
そしてその変化の先を決めるのは、我々だ。

まず目の前のことで絶望しないこと。
そしてこの先に良い結果をもたらすために、良い結果の原因を今作ること。
それには自らの求める光が、この混沌の先にあると信じること。

雲の切れ目から友だちを見て、
今朝の明るい山並みを見て、
『やっぱり世界はそう捨てたもんじゃない』と思ったのである。


DECHEN
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