見出し画像

今の時代に本当に必要なスキル


昨日の朝。
ほんのわずかな時間、
おもむろにTwitterを開いた。

朝から嗚咽を堪えながら泣いたのは、
初めてかもしれない。

心が枯渇しているタイミングで
一番見てはいけないものに触れてしまった。
と後々後悔したけれど
自分が1番どうにかならないかと
血反吐を吐くぐらい毎日考える事の
1部だったから触れられずには居られなかった。

あるツイートが賛否両論を生んでいて
物議を醸し出していた。

それは発達障害の子と親の駅でのツイート。

当事者の親としての気持ちと、
この表現もイマイチで好きにはなれないけど
いわゆる『一般の人』の気持ちと、
こういった場で相互の『知らない』と
『伝わらない』から生まれる溝の深さに
打ちひしがられた。

どちらかがいい、悪い、とかはゼロにして。
かわいそうだと哀れむ心も、
遅延して苛立ってしまう感情も、
全部《あっていい》ものだからこそ。

じゃあ、何がそんなに悲しかったのか
悔しかったのか、苦しかったのか、
何故涙が溢れたのかというと、

全部の立場の気持ちが想像できて
汲み取れるからこその、
【その場を主体的にナチュラルに
どうにかしようと団結できる場】

を生み出すことができない
この世に悲観したんだと思う。たぶん。
(まだちゃんと言語化できていない。)


当事者を持つ親として言えることー。
それは子供でも所詮、
自分とは違う人間だということ

毎日痛感するということ。
それが親としていいようのない、
苦しみだということ。
実際、我が子にないとは言いきれない
行動で、親としての気持ちが
痛いぐらい安易に想像できてしまうこと。

どれだけ対処方法を持っていても、
どれだけ事前準備を行なっていても、
どれだけ本人に伝えても、

ちょっとしたことが本人にとっては
膨大な不安感に一瞬で変わる。
いつもと違う自分自身の心の豹変ぶりに、
自分自身がパニックになってしまうのだ。
だって、それは人の心だからーー。

きっと、いつもと違う“何か”が
そういった行動でしか
表現することができなかったんだと思う。
恐怖でいっぱいになったのかもしれない。
涙のように、とめどない何かが
コントロールできなかったのかもしれない。
それはもう、本人にしかわからない
感覚のものだから、
それは不条理に突然に現れるものなのです。


では、想像してみてください。

黒板を爪で引っ掻き削る音がなり始めました。
あなたは嫌悪感でいっぱいで、出来ることならば
その場から今すぐ立ち去りたいと思います。
頭に響く、何とも表現しようのない、
あの歯が浮く感覚と、背中のあらゆるところに
虫酸の様に走る「感覚」を想像した今、
逃れたいと瞬時に、感覚的に思いませんでしたか?


その場から今すぐにでも立ち去りたいと
奮い立たせるような何かがその子には
起こったのかもしれないーー。と、
想像出来る力が今世には何より必要だと私は思う。

かといって、容認してくださいと
言いたいわけじゃない。
押し付けたい訳でもない。

障害があるから仕方ない。」で
済まされないことも世の中沢山あるわけで。

行動自体を正・悪での判断基準に
あわせるとするならば。
それは決して正しいとは言いきれません。

その人はもしかしたら、楽しみにしていた
何かを求めて出かけていたのかも知れない。
決まった時間にしか得られない“何か”が
あったのかもしれない。
遅延してしまったことによって
それが叶わないかもしれないという
ジレンマに苛まれたのかもしれない。
大事な商談を控えていたのかもしれない。
それが人の心だからーー。

そう、その人が感じた感情も
《あっていいもの》だから。

人は自分が体感したものからでしか、
感覚を想像する力が無いのかもしれません。

感覚として体験したものが
イメージと繋がり、その奥の感情を
自分の感じた感情・感覚と重ね合わせることで
想像する力が発揮されるのかもしれません。


知らないものへの不快感は
誰しも持っているもので、
正解も不正解もないんだと思います。

だからこそ
知らないことを知ることが
想像する力を養うことが
とても大切になるんだと思うのです。

今目の前に起こった出来事に対する
自分の感情と、他者の感情はきちんと切り離して
感じた自分の感情は否定せず、
目の前に起こった出来事とその人の感情を
想像する力が今、何よりも
求められているものなんだと思います。


知らないものは知ることから。
知ったことを想像してみることから。
自分の感情と起こった出来事を切り離すことから。
自分が感覚として体感したものと
近いものを想像する力を養うところから。


今、この時代に必要なスキルは
それなのかもしれません。

私は発達障害という名の、
不透明で、そして人の心だからこそ
変動する事柄を
知らないものを知るきっかけを、
どう繋いでいけるだろうか。
どう伝えられるだろうか。
どう、ニュートラルに人と人の心を
繋ぎ合わせて主体的にナチュラルに
支えあえる環境を作れるのか。

血反吐を吐くぐらい、毎日考えます。
それが私の目標であり、夢だから。


その親と子がどうか笑顔で
過ごせる場所が産まれますように。


この記事が参加している募集

今こんな気分

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?