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弱さへの想像力とケア。人間ならざるものと共愉的に生きる。気候危機の時代のあり方|森田真生 『僕たちはどう生きるか』

こんにちは。Deep Care Labは、「あらゆるいのちをケアする想像力」をいかに育めるかを、考えたり実験しています。あらゆるいのちとは、身近な人のみならず、未来に生きるこどもたちや祖先、海や山や川、動物に植物まで多岐にわたります。

そのため、ひとつの学問領域に閉じず、たくさんの異なる角度から照らし出さないといけません。今回は、独立数学研究者・森田真生さんの新著「僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回」をお届けします。Deep Care Labで目指している世界観との共振がとても多かった1冊。この解像度で美しく優しく、芯を感じられる言葉にあふれ、感動しました。

情動から、自然なケアリングを生成する

Deep Care Labでも"ケア"と掲げていますが、感じること(sense)と気遣い(care)は、この本にも根底に横たわっています。

心を壊さず、しかも感じることをやめないで生きていくためには、大胆にこれまでの生き方を編み直していく必要がある。
...自分たちの行動の帰結であることもわかっている。いまの毎日の快適な暮らしが、持続可能でないことも、頭では知っている。...わかっているけど、感じない。感じないから、動かない
p.3-20

現在は、地球・生態系が壊れはじめて、義務や道徳的な行動が市民一人ひとりに責任が求められる。一方で、Climate Anxiety(気候危機による不安)と表されるように精神への負の影響が問題化しています。責任とは本来、こうあるべきという義務から生じるものではなく、自ずから生成されるもの。そのためには「感じること・感受すること」がとても重要です。ネル・ノディングスは「自然なケアリング」という言葉を使っていますが、ケアの気持ちは"自ずから"生じると捉えられています。Matters of Careの著者ベラカーサが非規範的倫理Non-normative Ethicsと言っているのも興味深い。べき論ではないが、ケアしないと生きていけない、じゃあ内発的に自然体としてケアするノリが大事じゃん!と話してます。

これには、情動性が切り離せません。相手が、どういう状況にあり、どう感じているのか。何を望むかより、複雑な関係のなかで何を必要としているのか。それをふれあいの中で感じ取り、感情的な結びつきが生まれ、自ずと気遣いが育まれる。

しかし、感じることが出来なくなっている。チャールズ・テイラーは近代的な「緩衝材に覆われた自己」に対比して、「多孔的な自己」を提唱しました。ぼくたちは壁で覆われているのではなく、孔がたくさんあき、わたしを取りまくもの(環境ないし世界)と常に影響しあっています。今の社会システムは、その孔をふさぐようなあり方なのでしょう。そして、感じようとしなくなってしまった。しかし、友人が落ち込んでいるのを見て自分もつらくなったり、天気が悪いだけで一喜一憂したり、根本的にぼくたちは孔あきな弱い存在です。それを認めざるを得ない。「合理的な個人」というフィクションのメッキがどうしようもなく剥がれかけているのが、現代なのでしょう。

弱さへの自覚から、異質な他者への訪問をひらく

人間の根源的な弱さ・脆弱性。赤子として生まれてから、年を老いて死ぬまで、周囲の支えが必要なぼくたち。さらには、そうした人間同士のケアだけでなく、太陽や森、土や微生物、多くの存在にケアされて生きています。森の木々や植物がなければ、酸素もなく、呼吸もできません。微生物がいなければ、消化・栄養の吸収もできません。生存=surviveするには、依存しなければならない。弱さです。

ミミズやカラスノエンドウ、ダンゴムシや土中のバクテリアの存在を感じる日々に、僕は新しい喜びを発見している。人間との距離を保つ暮らしのなかで、僕は、人間でないものたちとの親密さを、少しずつ取り戻しているのだ。
p.35

また本書でとりわけ印象的だったのが、生き生きとした生=aliveにおいても弱さを見出しているところです。人間ならざるものたちとの交感の様子によりそれが描き出されています。歓びを感じるためにも、その触れ合いが必要。つまり、他者が必要。歓びは他者との関係のなかで、生み出されていく、本質的に依存性あるもの。

どんぐりが落ちてくること。ススキが光を求めていくこと。水を飲むこと。呼吸すること。野菜が育つこと。そのすべてが面白く、本当にありがたいことだと感じる。エコロジカルに生きることは、欲望を抑制することではない。それは、新たな感謝と喜びに目覚め、これを育てていくことである。
p.139
自己の内部に閉じこもるだけでなく、他者と調子をあわせていく人間の能力。これを支えているのは、人間の「弱さ」だとモートンは語る。弱さとは、自力だけでは立てないことである。とすれば、エコロジカルな自覚とは、自分の弱さを自覚することであもある。...僕は月を見上げて心動かされる。それは僕が弱いからである。
p.38-39

とてもハッとさせられました。コンヴィヴィアリティ(Conviviality)という言葉があります。日本語では自立共生や共愉性と訳されることがありますが、語源を遡ると<Con-ともに・Vivere-生きる>という意味合いからきている。

イタリアのスローフード運動などでも、この概念は真ん中に置かれています。ともに食卓を囲んでいく饗宴的なイメージです。しかし、この"共愉"の拡張として、愉悦や快楽として、根源的に人間ならざるものたちとの触れ合いがあるのではないか。ぼく自身、フィンランドの森で暮らした日々を思い出し、リスとのかけあいや苔との触れ合い、水面との同化などに包まれていた日常は、まさにこの表現にピッタリでした。

本書にあるように「欲望」はぼくのなかでも、ずっとキーワードでした。デザインに携わっていた傍ら、デザインが(消費的)欲望の増幅装置に成り下がっていたこと。では逆によい欲望を生み出す営みとしての介入はどうあるべきなのか。その問いと現在Deep Care Labの活動はつながっていますが、まさに森田さんが語られているような方向での新しい欲望の生成運動なのかもしれません。と、個人的な話になってしまいました。

自分でないものがいきいきと生きることができるようにと願う。それは、植物に、ミミズに、子どもに喜びを与える行いである前に、自分自身に喜びをもたらす行為なのである。人は、自分だけのためになる行動からは、喜びを得ることができない。それは人が弱い存在だからだ。
p.40

その欲望の地平線においては、利他⇔利己の二元論的な区別は溶け合います。雨上がりの苔が弾めば、ぼくも嬉しいといったように、利他的であることは利己的であることにもつながります。そのためには、以前「利他とは何か」で取り上げたように"他者の潜在的な可能性に耳を傾ける"ことが重要で、植物やミミズが何を歓びと感じるのか、擬人化せずにそれぞれのリアリティに向き合わなければならない。これに関しては、ぼくのなかでまだ向き合い方の訓練が必要だなと感じます。そのために重要なのは遊戯的な生き方だと、ティモシー・モートンを引いて森田さんは語ります。

遊戯的に、手探りで未知と向き合う。意味以前をたゆたう

「遊び」とは既知の意味に回帰することではなく、まだ見ぬ意味を手探りしながら、未知の現実と付き合ってみることである。それは、みずから意味の主宰者であり続けようとする強さを捨てて、まだ意味のない空間に投げ出された主体としての弱さを引き受けることである。
p.176

"他者の潜在的な可能性に耳を傾ける"とは、他者と出逢い直すことだとも言えます。そして、それは既知の意味に他者を回収することなく、意味や規定的な枠組みがない十全性と向き合わないといけない。それは未知ゆえの怖さもあります。

先日、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭のシンポジウム「種から食卓まで」に参加した際に、農や食に従事している方々から、在来種についてのお話を伺っていました。当日は野菜の種たちもその場に置かれており、大根だけで10種類弱のものがあったり。料理人の方からは、魂を込めて受け継がれている野菜に向き合ったときに、まるで動き出すかのような強烈な存在感をありありと感じたと話していました。

それを聞きながら、ぼくはこれまで大根を「大根」として見ていなかったのではないか、図鑑的・知識的ないわゆる「白くて、太長めで...」といったすでにあるイメージに回収していたのかもしれないと、反省しました。
本書には「精緻accurate」という言葉も出てきます。周りのあらゆるものをより精緻に見つめ直していくことが遊戯的なたゆたう生への向き合い方なのではないか。そう感じました。

終わりに

ほんとうに1冊を通じて、共振するところばかりでした。一方で、共愉的に人間ではないものたちと常にともに在ることの難しさも当然ある、そこについても考えなければいけません。わかりやすく言えば、ゴキブリが家にいたらやっぱり始末すると思うし、彼らの喜びを考えるなんてできるのか笑、という自分はどうしようもなく存在する。その自分の醜さを引き受けないといけない。それもまた、ぼくの弱さとも言えます。これは引き続き、考え続けたいテーマでした。

そして、鹿谷庵の話を見ていて、やっぱりフィールドを持ってこうしたことを体感できる学びの空間をつくっていきたいな、と感じました。これからどうやっていくのか、ゆっくり模索したいと思います

・・・

Deep Care Labでは、あらゆるいのちと共に在る地球に向けて、生態系・過去・未来への想像力を育むため、気候危機に対峙するイノベーションや実験を企業や自治体の方々と共創しています。協業に関心があればお気軽にご連絡ください。


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