「風の坂道」~小田和正(1993年)

 北海道で生まれて北海道で育ち、道外の大学に行くことが叶わずに北海道内で学び、そして北海道で働いている。1960年代生まれの人間はバブルを辛うじて知る世代で、北海道でもバブル景気は(東京に比べると微々たるものだが)確かにあり、私たち世代以前の男は、車を持っていることが、ほぼ必須だった。女の子をナンパするための必需品だったし、休みに遠出をするために、多くの男の子たちが無理をして車を買っていた。
 

 その少し前から「歩きながら音楽を聴く」ために、若者の間で「ウォークマン」という携帯式のカセットテープ再生機が流行り始めていたが、カーステレオからかかるラジオやカセットの音楽も、私には「なくてはならないもの」だった。
 当時のラジオは「ベストヒット」といって、国内外の楽曲でヒットしているランキングの紹介をしていて、「今流行っている音楽」について情報を得られたし、これからブレイクするかもしれないアーティストの特集している放送局もあって1時間があっという間に過ぎるほど濃密な内容だった。
 自分がつくった「オリジナルセレクション」のカセットテープは、遠出をした時に、車から見た景色と音楽が醸し出す雰囲気がシンクロすることがあって、そのたびに鳥肌がたった。カセットテープはCDに変わり、複数のCDを入れて音楽を楽しむようになった。当時の主流は洋楽だったが、私の周りでは日本のロック、ポップス、フォークがあふれていた。

 「風の坂道」は1993年に発表されたシングルだが、私は1997年に発売されたベストアルバム「伝えたいことがあるんだ」で、この曲を知った。初めて聴いた時に、衝撃が走ったことを覚えている。

 40年前、私は高校時代に一人の女性と交際した。
 一緒の時間を共有して色々な話をする中で、私は彼女の美しさと、あどけない表情、純粋な心に惹かれた。彼女も懸命に私に応えようとしてくれる様子を感じるたびに、私はどんどん有頂天になっていった。その結果「自分がこの先どうやって生きていくか」という目標すら見失い、彼女と添い遂げることだけを夢見るようになっていた。

 当たり前だが、そんな日々は終わる。中島みゆきの唄ではないが「阿呆のまま昇天したかった」のだと振り返ると、自分の愚かさに耳まで赤くなることが、今でもある。

 私には中学生の頃からやりたいことがあった。「人より抜きん出ている」と認められたこともあり、そのことにもっと打ち込んでいれば、少なくとも今と全く違う人生を歩んでいたと思う。だが、私の場合、母親が「子どもに〝ちゃんとしてほしい〟」教育ママで、おだてるとつけ上がることを見通していて、自宅で自慢げに話す私をことごとく否定した結果、自己肯定感の低い人格がはぐくまれた。

 そんな私に自信を持たせてくれたのが彼女だった。それなのに関係を続けていくためには自分が成長しなければならないことを忘れ、いつしか彼女の心が離れていったことに気づかなかった。

 彼女から関係を続けられないと言われ、失意の中で偶然手にした坂口安吾の「堕落論」を読んで、「生きよ 堕ちよ」という言葉を自分に都合良くとらえて、その後の歳月を無気力状態のまま、自ら望んで闇の底に沈んでいった。「類は友を呼ぶ」の言葉通り、その後の私の人生には同じように過去だけを思い出しては悲劇のヒーローに身を置きつづけた人や、親との関係に悩み続け、自分を認められない人がいた。前を向くこともなく、ただただ時間が過ぎていった。

 10代で自信も誇りも失い、取り戻すこともないまま今日を迎えていることが、ただただ恥ずかしい。「何をやったって、所詮いなかのクズ」という自分自身に貼り付けたラベルを取り去ることができないまま、人生の秋を過ぎようとしている。

 何十年後に自分の軌跡を振り返った時、最初に浮かぶ言葉が「惨め」だったという、私のような人生を読んでいる人には歩んでほしくない。

 「風の坂道」という曲名について
 ラジオ番組に出演した小田さんは「負荷をかける」と答えていた。

 前に向くために、次へ進むために、心に負荷をかける(心を奮い立たせる)べきだ、と私は解釈している。

「言葉の前に走り出す いつも遠くを見ている」→
・怒りをバネにして、辛いときこそ前を向け
・時間を無駄にするな、盲目の愛に包まれて自分を見失っていないか

「二人で生きる 夢破れても 二人立ち尽くしても 明日を迎える」→
2人で生きる夢が叶わなくても、そして夢が叶って2人で人生という大海原に立ち尽くしても〝明日〟は来る。

 「つらい、悲しい、痛い」と、一人で部屋にこもり、思い切りのたうち回っても構わない。そして泣いた後は、どんなにふらふらになったも立ち上って、自分が見失っていたものを思い出してほしい。
 そして恋愛に夢中で友人と疎遠になってしまった人は、関係を再構築して相談に乗ってもらうといいかもしれない。

 昔の私は、失恋によって人生が終わると絶望した。思い出に浸り胸の痛みに苦しみながら「その先、生きていくことに何の意味があるのか」と思っていた。でも、人生は終わらなかった。以降のグダグダな日々を含めてすべて「かけがえのない僕の人生」だったことに気付いても、もう遅い…、

 苦しんでいる今の後には、必ず「朝」が来る。「朝」は決してすがすがしいばかりではない。時に雨雲が空を覆い、時に家から一歩も出られないような白魔の日もある。切り替えができなければ、重い荷物を背中に背負ったままでも一歩を踏み出してほしい。その一歩がおぼつかなくて、立っていられないほどグラグラしているのであれば、海を見に北海道へいらっしゃい。

 次へ進もうとしたあなたに「風の坂道」はやさしく寄り添ってくれると思う。

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