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【言の葉の庭】“ことば”とは?

はじめましての人は、はじめまして。そうでない人は、こんにちは。どうも、紅茶です。

っていうのを、お決まりにしようと思ったのですが、初回なので「そうでない人」なんて居ませんね(笑)さて、今回は初ということで私がこれから使っていく言葉について紹介したいと思います。

タイトルにある、「言の葉の庭」というのは2016年に「君の名は。」で大ブレークした新海誠監督の作品の一つです。自称、新海誠作品のファンである私の一番好きな作品であり、最も心にきた作品でもあります。(今年上映する「天気の子」も楽しみですね)なぜ、一番好きかというのには、理由があります。それは、この絶妙なタイトルです。是非、観てもらいたいのでネタバレは一切しませんが、言の葉の庭という文字列を見ると何か不思議な感じがしませんか?言の葉の庭とは、一体なんなのか?言葉で作られた庭なのか、それとも言葉で溢れた庭なのか、逆に言葉の足らない庭なのか。そう行った意味では、「君の名は。」というタイトルはうまい一方で、非常にわかりやすいものでしたね。さて、そこで本題です。そもそも、言葉ってなんなのでしょうか?

おそらくあまり疑問を抱かずに生きてきた人がほとんどであり、あまり関心を得ない題材ではあると思うのですが、紅茶でも飲みながら私と考えてみてください。

言葉というのは、意味を表すために生まれた、簡易化されたコミュニケーションツールの一種です。簡単に言うと、りんごを赤くて丸くて甘い果実というよりもりんごって言う方が早いですよね?謎めかせていうと、赤に名前がなかったらなんて表現します?っていう話なんですよ。考える力を与えられた私たち人間は、この言葉を生み出すことによってコミュニケーションを豊かにしてきたのだと私は考えています。原始人をイメージしてもらうとわかりやすいのですが、言葉がなかった時代、彼らは言葉の前である“音”と視覚でコミュニケーションを図っていたと考えられます。現代に当てはめると、とても不便ですよね...。相手を呼ぶために音を鳴らして、相手にしてもらいたいことを身振り手振り表現しなければならないのですから。これが言葉の正体です。つまり言葉は、ただ簡単に相手に伝わるようにするためにでき、伝える相手がいなければ動物のように言葉を持たなくとも良いのです。コミュニケーションがうまくいかない時、それは言葉をうまく使えていないということになります。

何当たり前のこと言ってんだよ。つまんねーんだよ。と思ってるそこのあなた。もう少しだけお付き合いください。ほら、紅茶のおかわりして。

では次に、言葉をうまく使う方法を伝授しようと思います。言葉をうまく使うには、たった一つのコツで十分なのです。それはより多くの言葉を知ってることでも、難しい言葉を知ることでもありません。使う言葉の意味をきっちりと理解していることです。言葉というのは簡略化しているために、算数の答えのような明確な意味がありません。例えば、さっき言ったりんごを私はああいった表現の仕方をしましたが、木になっていてヘタ、果肉、タネ、芯があるバラ科の食べ物と表現する人もいるでしょうし、嫌いな食べ物と表現する人もいるかもしれません。全く同じものの説明のはずなのに、全然違います。この誤差を埋めることによって、言葉をよりうまく使い、コミュニケーションをスムーズにすることができるのです。まあ、正直こうやって書いていながら、私の説明を理解してない方がいたら既に私のミスなのですが...そこは触れないでください(笑)

では、誤差を埋めるにはどうしたらいいのか。これがさっき述べた、言葉の意味をきっちり理解することなのです。意味といっても字面ではなく、その言葉が持つ「力」や「本質」を見抜くこという意味になります。少々、荒い言い方をしてしまったのですが、これから説明させていただきます。言葉を使う際、きっとそれには相手がいます。友達だったり、上司だったり、恋人だったり、はたまた自分だったり。その相手によって考え方や価値観が違うのはもちろんですよね?けれども、言葉はその考え方や価値観の相違を意図して作られたわけではないのです。いいですか、ここ重要ですよ。テストに出ますよ。100万円を想像してみてください。どう思いましたか?それが皆さんの価値観です。きっと大概の人は、大金とか欲しいとか思ったでしょう。ですが、中には端金とかドルじゃないのかよって思った人もいるでしょう。勘のいい人ならばわかったかも知れませんが、何が言いたいかというと、「言葉の意味を理解する」というのは「言葉を伝えたい相手を理解する」ということなのです。言葉とは、届けたい相手に対して自分がどれだけ理解できるかによって価値を変化させます。これが言葉を使ったうまいコミュニケーションの唯一のコツです。

具体性がないなー、明日から使えないじゃん...。またまたぁ、そういう文句を言う。まあでも、その意見は概ね正解です。そうなんです、明日から使えるようなら、それは私が書いた言葉の本当の意味を理解してないんです。なぜなら、私は誰に向けてこれを書いているのかわからないのですから。今私は自分の価値観でしか、これを書いていません。そして、「概ね」正解と言ったのにも理由があります。

おっと、紅茶の飲み過ぎでトイレに行くなら今のうちですよ?大丈夫、言葉は逃げません。ここからは難関編かつ、あくまで私の個人的主張が大きくなることをご了承ください。

では、最終章。ここまでは言葉とは、について述べてきましたが、ここからは「言葉じゃない」部分について語れない部分に触れようと思います。先に、概ね正解だと言ったのは、この言葉じゃない部分のことを示します。では、言葉じゃないとは何なのか。これは、正確に言うと「言葉では言い表せないもの」のことを指します。例えば、恋に落ちた音。小説や漫画、ドラマなどではこれを効果音や出来るだけの言葉を駆使して言語化しようとします。しかし、どれもはっきりとはしません。過去、私が出会った恋に落ちた音ランキング一位は、「私の中で、真っ赤な柘榴の弾ける音がした」です。これは柘榴が心臓の隠喩として使われていることから、感情が高まったせいで血が勢いよく駆け巡り、心臓が破裂した音がした、という表現になります。しかし、こんなに美しい言葉(自論)でも、恋に落ちた音を言語化できていませんよね?明確ではないのですから。

で・す・が

これが「言葉」の真骨頂だと私は思うのです。ありったけの言葉を尽くしても生まれない言葉。空気感や音、雰囲気や感情。それをできるだけ自分の想像するものに近づけた言語を生み出す時、言葉の真価が見えてくるように思います。何言ってんだコイツと思われるかもしれないのですが、残念ながらこの「言葉の真骨頂」を言語化する術は私にはありません。私にとってこれは「芸術」とか「美」に近いものがあります。言葉とは何かと語ってきましたが、私が皆さんに知っていただきたかったのは、この言葉を美しいと思う感情です。(私が変人なだけなのかもしれないですけど...それならそれで)

最後にもう一度、「言の葉の庭」というタイトルを思い出してください。不思議な感じがしませんか?しなかった人は、コーヒーでも飲みながら読み返してください(笑)

これからこの「言葉」を尽くして書いていきたいと思いますので、よろしくおねがい申し上げます。

はじめましての人も、そうでない人も次回ものぞいて行ってください。紅茶でも飲みながら。それでは!