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初めての奄美大島、通りすがりに入ったライブハウスで。

奄美大島に行くのは初めてだった。スケジュールの中に無理矢理組み込んで、飛行機とホテルとレンタカーだけを予約して、他は何も決めていなかった。

せめて奄美空港行きの飛行機に乗る前くらいは余裕があるかと思っていたが、鹿児島空港に着くや否やオンライン会議や電話のラッシュで全く時間のないまま離陸。あぁ、結局どこに行きたいかも絞り込めぬまま到着してしまった。時間は18時。曇ってはいるけれどまだまだ明るい。

まずは宿泊先のMIRU AMAMIへ車を走らせる。チェックインを済ませ、部屋に入ると絶景が広がっていた。

窓を開けて網戸にすれば、波の音しか聞こえない。

とても素敵なお部屋。堪能したいけれど、それにはあまりに空腹が過ぎている。車で30分弱の名瀬というエリアに向かい、何か奄美の島らしいものでも食べようと思う。

しかし着いたはいいものの、金曜日の19時。知人から勧められていた名店は当たり前に予約でいっぱい。2〜3軒トライしたけれど入れず、途方に暮れる。(今思えば、本当は途方に暮れるまでもなく、名瀬の屋仁川通りにはお店がたくさんあるのだけれど。)

うーん、どうしよう、と迷いながらウロウロしていると、何度も前を行き来していたライブハウス「ROAD HOUSE ASIVI」のポスターがようやく目に留まった。

「世界と奄美のワークソング ピーター・バラカン DJ&トーク」

ん?5月19日の19時開演?あれ、今って5月19日の19時半......。え、今じゃん!やってるじゃん!旅先でライブハウスに入ることは滅多にないけれど、こんなに興味深いイベントをやっていたらチャンスを逃すわけにはいかない。(後日地元の方にこのイベントに行ったことを話したら「あまり大々的に告知もしていなかったのによく見つけましたね!」と言われた。ラッキーにも程がある。)

完全に通りすがりの当日券だったが、なぜか手渡されたチケットは関係者用だった。

思わずスタッフさんに声をかけ、当日券で入れていただいた。ライブハウスに行くとついお酒が飲みたくなるが、今回は一人旅。車を運転して宿に戻らなければならないから、グッと我慢してコーラを飲む。周りはどんどん焼酎のロックや焼酎のソーダ割りを頼んでいて、さすが奄美、黒糖焼酎を日常的にみんなが楽しむのだな。

舞台に視線を移すと、キャップをかぶったラフな格好のお兄さんが島唄を歌っている。こういうライブに来たことはあまりないな、と思いながらも耳を傾ける。

一曲ずつ、どの島のどんな唄なのかを解説してくれる。奄美大島だけでなく、近隣の島ごとに様々な曲が歌い継がれていることを実感した。

労働歌ということで、働いても働いても豊かにならない切なさや、渡り鳥のように自由に島を渡る蝶に想いを馳せる歌詞など、グッときてしまう。

想いを託すのが鳥ではなく蝶というのに驚いたが、その後奄美の中をドライブしていくといかに海辺に蝶が多いかを実感した。

テンポのよい曲がかかると、客席にいた小学生らしき女の子も、沖縄でいうカチャーシーのような踊りを大人に混じって舞い始めた。目の前のおじさんは指笛で加勢する。

観客が全身で楽しさを表現しながら参加している姿、しかも文字通り老若男女問わない熱気に感動して、思わず涙ぐんでしまった。ここには「脈々と受け継がれる」というような言葉では伝えきれない、義務感などではない、体に自然と馴染んだ音楽がずっと根付いているのだろうと思う。

その後もバンドが入れ替わり、また違う島唄を演奏する。休憩の合間にお手洗いに並ぶと、20代くらいの女性が「えー!このお着物の生地素敵!え!デニムなんですか!すみません、いきなり話しかけちゃって!」と人懐っこく声をかけてくれた。そうだ、私、着物で来ていたんだ。出張先でもいつでも着物を着ているから、物珍しいということすら忘れて没頭していた。知っている人の誰一人いない島に旅行に来て、こうして声をかけてくれる人がいるから寂しさは全く感じない。

後からわかったことだけど、これまで着物でいろんな街へ足を運んできたものの、ここまで行く先々のお店で、ほぼ100%着物を見て声をかけてくれた場所は奄美以上にはないと思う。大島紬の島だからなのだろうか。

この日の着物のコーディネート

フロアに戻ると、ピーター・バラカンさんのDJとトークが始まるところだった。奄美のワークソングを聴いたということで、ここからはDJで世界のワークソングが流れる番。アメリカの炭鉱で働く人たちの歌や、トラックの長距離運転手の歌など、聞きながら想像するだだっ広さは奄美でさっきまで見ていた景色とは違ったものだ。だけど、「働いても働いても貧しいまま」という歌詞には共通点がある。

ワークソングという軸を通して見ると、もしかすると国内外どんな地域でも、歌われる内容などには共通するところがあるのだろうな、とぼんやり考える。

すると、ノリの良い曲が流れ始めた途端、アメリカの曲に奄美らしい指笛を響かせる人が出てきた。これがまた、不思議とマッチしている。歌詞だけでなく、何か根底のものが通じ合っているような感覚になった。

これはテレビや映画ではなく、CDでもなく、ライブハウスの今ここで起きていることだからこそ気づけたこと。それも観客がたくさんいるからこそ、自由に参加できる空気が流れていたからこそ見えた光景。またしても、すごいものを見ているのだ、という感動で胸がいっぱいになった。

徐々に踊る人が増え始め、私も体を揺らしながら聴いている。ライブハウスに突然当日券で入って着物で踊っているのだから、まぁそりゃ地元の関係者と思われていたのだろうな、と、手元の「関係者」と書かれたチケットを見てすこしにやりと笑ってしまう。トークもあるからか、最初はフロアの前の方に並べられていた椅子はほとんど片付けられていて、最後の方はみんながどんどん前へ行って踊っていた。

気がつけば22時近い。そうだ、私はお腹が空きすぎて名瀬の街まで来たのだった。なのに何も食べずに時間が過ぎ、踊っていたからか足まで疲れてきた。

奄美大島で一番の飲み屋街、屋仁川通りで、お酒を飲まずに何か食べられるところはないだろうか。そう考えた時、友人から勧められた「夜だけ営業している喫茶店」を思い出した。ライブハウスの中は電波が入らなかったので、外に出て調べるとなんと40メートル隣。近い。

迷わず入った夜の喫茶店の名前は「貴望」。中の様子がわからないのでおそるおそるドアを開けると、中央には池のような今にも噴水が飛び出しそうな人魚とイルカのオブジェがある。

空腹のふらふらで入ったので人魚の後ろ姿しか写真はない。

ミックスサンドとホットコーヒーを頼んで、注文が来る間に興奮を抑える。抑えなくても良いんだけれど、一体この心地よさはなんだったのかと考える。

ワークソングと括ることのできる曲はきっと世界中にあって、なおかつ時代を超えても存在している。そこに共通する歌詞や、仕事の内容によっては切なさや、自由への渇望は、きっと今にも通じるのだろう。でも歌詞のそういったリアルな日々の暮らしに応じたり応じなかったりで、曲はしんみりしたものから元気いっぱいでポジティブに聴こえる曲まで幅が広い。明るい曲調で歌ってこそ乗り越えられてきた労働もあるんだろう。

実は今回の奄美大島は、私がフリーランスとして独立してちょうど1年経ったご褒美旅行も兼ねていた。意図せずこんなに素敵なイベントで感銘を受けたと同時に、「働く」ということについて、そしてその労働を音楽で彩るということについて、考えるきっかけになった気がする。

ミックスサンドでお腹も満たし、お会計をするとマスターが「お着物、それデニム?かっこいいね!」と帰り際に声をかけてくれた。

まだ滞在時間が5時間にも満たない奄美大島。すでにこの島のことを大好きになっていた。

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