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いとおしき言の葉たち。

いつも私の心を癒してくれて、
気づきをプレゼントしてくれる
noterのMarmaladeさんが、
『大好きって いってみませんか』という
Marmaladeさんらしい企画を
プレゼンツされました。


私にとっての「大好き」って何だろう?
と考えてみて‥。

たどり着いたのは、やっぱり
日本語が大好き!
ってこと。

それも、やわらかな
大和言葉
何よりも好き。

なかでも、高校生のころからずっと
私の心にあるのは、
大伯皇女(おおくのひめみこ)が、
最愛の弟、大津皇子(おおつのみこ)の
非業の死に際して詠んだといわれる歌。

うつそみの 人にある吾や 明日よりは 
二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と わが見む

                『万葉集巻二 165番』
(deko訳)
「現実の世に生きている私にとっては、明日からは、
 弟が葬られた二上山を弟と想って眺めるしかないのですね」


大津皇子は天武天皇の皇子で、
母は天智天皇の娘の大田皇女(おおたのひめみこ)。
本来ならば、その血筋からも
天武天皇の后になるべき女性でした。
でも、大田皇女は、大津皇子が4歳のときに
亡くなってしまいます。

姉の大伯皇女も、
初代斎宮(いつきのみや)として
伊勢神宮へ。

大津皇子には後ろ盾がありませんでした。
それだけなら、悲しい結末を迎えなくても
済んだのかもしれませんが。

大津皇子は、たいへん優れた皇子だったと伝えられています。
イケメンで、文武両道に優れ、飾らない人柄で人望も厚く。
すばらしすぎる皇子だったことが仇になりました。

天武天皇の后、
鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ・後の持統天皇)は
我が子の草壁皇子を天皇にしたいがために
その最大のライバルである大津皇子に
謀反の疑いをきせます。

鵜野讃良は、大田皇女の実の妹。
大津皇子にとっては叔母でした。
実の叔母から向けられた刃に、
後ろ盾のない姉弟には、なす術がありません。

そうした背景を思うと、
大伯皇女が詠んだ歌の切なさに
胸がしめつけられます。

何も難しい言葉は使わず、
まっすぐに弟への想いを詠んでいるだけ。
それなのに、やさしく切なく深く心に響きます。

たぶん、「うつそみ」と「いろせ」の音色にも
惹かれるのだと。


私の実家は二上山の近くでした。
ただし、大伯皇女が眺めた二上山は奈良県側からですが、
私はその裏の大阪側から。

二上山については、
小林秀雄の『当麻』に描かれている
「中将姫伝説」も有名です。

奈良の都からみて、ちょうど西
夕日の沈むところが二上山だったようです。
そのため、西方浄土につながる場所として
大津皇子も埋葬されたのだとか。


万葉集にも、百人一首にも。
その他の勅撰和歌集にも。
あまたの歌が詠まれていますが、
どれか一首だけ選べといわれれば、
私は迷いなく、大伯皇女のこの歌を選びます。
それほど愛してやまない歌です。


#大好きっていってみよう
#大好きっていってみる

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