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大河ファンタジー小説『月獅』48         第3幕:第13章「藍宮」(1)

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第3幕「迷宮」

第13章「藍宮」(1)

<あらすじ>
天卵を宿したルチルは王宮から狙われ「白の森」に助けを求めるが、白の森の王(白銀の大鹿)の助言で「隠された島」をめざし、そこでノアとディア親子に出会う。天卵は双子でシエルとソラという。シエルの左手からグリフィンが孵るが飛べない。王宮の捜索隊に見つかり、ルチルたちは島からの脱出するが、ソラがコンドルにさらわれ「嘆きの山」が噴火した。
レルム・ハン国の王宮では不穏な権力闘争が渦巻いている。王太子アランが、その半年後に3男ラムザ王子が相次いで急逝し、王太子の空位が2年続く。妾腹の第2王子カイル擁立派と、王妃の末子第4王子のキリト派の権力闘争が水面下で進行。それを北のコーダ・ハン国と南のセラーノ・ソル国が狙っている。

<登場人物>
カイル‥‥‥レルム・ハン国の第二王子、貴嬪サユラ妃の長男
ナユタ‥‥‥カイルの近侍頭、エスミの弟
アラン‥‥‥18歳で事故死した王太子・第一王子
サユラ‥‥‥貴嬪、カイルとカヤ姫の母
カヤ‥‥‥‥カイルの妹宮、レルム・ハン国の第二王女
エスミ‥‥‥サユラの侍女頭、侯爵家から付き従ってきた
藍宮‥‥‥‥カイルの宮・外廷にある
翡翠宮‥‥‥サユラ母子の後宮にある宮

 カイルが十五歳で立宮してまもない浅春のこと。池の氷はほどけていたが、頬をなでる風にまだ冷たさが残るそんな日だった。王太子のアラン兄上が事故で落命される数日前のことだ。
 
「お待ちください」
 図書寮を退出しようと正面扉にカイルが手をかけるのを、近侍のナユタが押しとどめた。
「それほど警戒せずともよかろう」と笑っても、ナユタは盾とならんと前に出る。
 エスミの末弟のナユタは、カイルよりも十歳上の二十五歳の青年で、姉からカイル様を我が身にかえてお守りせよと厳命されている。
 カイルを背でかばい腰の佩刀に手をかけ、ナユタが重厚なオークの扉を内側に引いたはずみだった。仄暗い図書寮に白い昼の光がなだれを打って射しこんだ。と同時に、つっかえを失った何かがどさりと倒れこみ、あたりに書物が散乱した。
 とっさにナユタは左手でカイルを背後に突き飛ばすと、倒れている人影を長靴で踏んで動きを抑え、太刀を首筋に突きつける。まばたきほどの間に事が決していた。
 射しこむ光に埃が螺旋を描いてのぼる。
「ナユタ、子どもだ。太刀をおさめろ、足をのけよ」
 カイルは尻もちをついた姿勢から立ち上がり、尻をはらいながら命じる。
 革の長靴に踏みつけられ、ひしゃげた蛙のごとく這いつくばっているのは、身の丈から十歳ほどの男児とみえた。
 ナユタは太刀を鞘におさめると、子の両腕を後ろ手に縛りあげ、襟もとをつかみ身を起こさせた。ぽたりと、赤黒い滴が石の床に落ちた。倒れていたあたりにも血溜まりができている。どうやら前のめりに倒れた拍子に床で鼻をしたたかに打ったらしい。
「たいせつな書物に……」
 男児は太刀を向けられてもおののきもしなかったのに、書物を汚したことに顔を蒼白にしてうろたえていた。鼻血は止まらず、ぽたぽたと膝に落ちる。
 カイルは袂から手巾ハンカチを取り出し、びりりと引き裂いて「鼻に詰めよ」と渡す。
 子はきょとんとカイルを見あげる。ああ、そうか。縛られていては何もできぬな。
「ナユタ、縄をほどいて手伝ってやれ」
 言いおいて、片膝をつき散らばった書物を集める。
 『星辰記』『万象算術』『古今地暦』『本草略記』などの星や算術の書にまじって『ウィマール物語』や『グリーク神話』といった物語も幾冊かあった。返却に来たのだろう。扉に手をかけたとたん、内側からナユタが扉を引いたのだ。さぞかし驚いたであろう。物語のたぐいはあの子が読むのだろうか。算術書などの書籍は誰かに返却を命じられたか。わかりやすくまとめられた良書ばかりであるな、と感心する。
「血は止まったか」と振り返る。
「名は何と申す」
「申しあげられません」
 太刀を突き付けた相手に名は明かせぬか。
 後頭部でひとつに束ねていた髪はほどけ、肩までの黒髪が揺れていた。蒼い瞳がたじろぐことなくカイルを見あげる。
「星の文様の散った青い前垂れ。星童ほしわらわの服装でしょう」
 ナユタが指摘すると、ぷいと顔をそらし目が泳ぐ。
「この御方は、このたび藍宮らんきゅうを立宮されたカイル王子であるぞ」
「第二王子様……ですか。も、申し訳ございません」
 慌てて平伏する。それでも、頑なに名は明かさぬ。
 カイルはひとつ嘆息すると、子の脇を抜け図書寮前の回廊に出て天を仰ぐ。左手を挙げると、すーっと何か大きな影が近づいた。
「そいつは星童のシキ。ラザール星司長せいしちょうの養い子だ」
 ばさっと大きな羽をたたんで、鷲のハヤテが書庫前の楡の木に舞い降り告げた。
 
 カイルはシキを立たせるとその両腋に手を入れて持ちあげ、重さを確かめるように上下に揺らす。ふむ、とうなずいておろすと、足もとに積んでおいた書物の山を持ちあげ首をかしげる。
「そちのほうが軽いな」と結論し、ナユタを振り返る。
「書物はおまえが運んでくれ」と命じ、シキをひょいっと肩に抱きあげる。
「な、な、なにをなさいますか」
「手当をしに宮に戻るのだ、暴れるな」
 シキの尻を抱えながら、カヤと同じだ、と笑みがこぼれる。
 よくカヤを抱きあげた。抱かれながらも、ネズミだ、トンボだ、と落ち着きがなかった妹姫を思い出す。カヤはその横溢な好奇心でカイルの世界にいつも風を運んできた。
 立宮の日の朝、眉をつりあげてカイルに視線を据え「兄上様の望みが叶うよう、カヤはかならず手を尽くします」ときりりと述べ、口を真一文字に結んだ。侍女たちが号泣するなか、十一歳の少女は凛と顔をあげて兄を見つめ、無言で涙だけを頬に走らせていた。木から落ちても泣かなかった妹がこれほど涙を流すのをカイルは初めて目にした。
 あれからまだひと月も経っていないというのに。胸をすきま風がなでる。
 カヤは遠からず他国に嫁がされる。あの天真爛漫な妹に相まみえることは、もはや望めぬであろう。臣籍降下を果たし諸国漫遊の旅に出ることができれば、あるいは。だが、その折には身分が隔たりすぎて、近くに寄ることも叶わぬか。いや、あのカヤなら城を抜け出して来るかもしれぬ。乾いた笑いがこみあげる。諦めは常にカイルと共にあった。
「そなた、歳はいくつだ」
 カイルは歩きながら尋ねる。
「十歳になります」
 カヤとひとつ違いか。シキという星童は男児であるが、抱きあげた感触がカヤと似ているように思うのは気のせいか。いささか感傷が過ぎるなと、後宮の空へと目をやる。
 宮に戻ると侍医を呼び、星夜見の塔に使いを走らせた。


(to be continued)

第49話に続く。

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新章(第13章)をスタートさせます。
後宮から出て、あらたに藍宮を立宮したカイルの物語です。


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