見出し画像

浪人、再考。浪人、最高!最終章


「もしもし」
「はい」
「いま、寝てた?ごめんね。わたしです」
「あぁ・・・大丈夫。いま何時だっけ?」
今だったら携帯電話にかけたら(往々にして)本人が出て、直接話せるのが当たり前だけど、この頃は携帯はおろか、ポケベルも登場する前なのだ。だから本人と話すにはお家の黒電話にかける必要があった。それすなわち、「家族が出るかもしれない」というハードル。だからきっと電話のやり取りも、こんなスムーズじゃなかったはず。たとえばこんなシーンがあったかもしれない。
「もしもし」
「はい、横川でございます」
「あ、あの、私、dekonekoと言います。横川くんと同じ予備校で勉強しています。いま、横川くん、いますか?」
「あぁ、はいはい、ちょっと待っててね。いま呼びますから。ヒロヤ!これ、ヒロヤ!ほら、河合塾のdekonekoさんだって」

今みたいに通信時代が進んでいなかった頃の「会う約束」って、真剣勝負だ。約束場所や時間をうっかり間違えた、では会うことすら叶わないのだから。今となってはタイムマシーンに乗って、その「真剣勝負」な約束を取りかわすシーン、柱の影からこっそり見てみたい気分になる。

ざっくりと通信手段の進化過程に沿って過去にさかのぼれば、こんな感じじゃないだろうか。

携帯電話>ポケベル>公衆電話>家の黒電話>手紙>木簡・・・(笑!)

そして、今のように気軽にメッセージをやり取りできる時代よりも、この頃の方がはるかにコミュニケーションが密だったように思うのは、ノスタルジックな感傷か(否か)。

日本での最後の夜、初めてヨタロウと二人で渋谷で会った。
どこかに出かけたのか、ご飯を食べたのか、残念ながら大事なシーンの記憶がすっかり抜けていて、これっぽっちも覚えていないのだけれど。

ただ、覚えているのは、帰り道、渋谷の駅(東急線のハチ公側の出口だった)の壁に二人でもたれて、延々と話し込んだこと。

渋谷の明るいネオンに照らされた6月の夜空を眺めながら(思えば、今のように、梅雨が来る前のこんな季節だったかもしれない)
終電が来るまでずっとそうしていた。

その間、何本も電車を見送った。
ホームからは、たくさんの乗客を乗せて、家路へ送り届けるべく、ステンレスの無機質な銀色の車体が郊外に向かって消えていった。



途中、話が途切れることがあっても、そんな沈黙さえ、初夏の夜風のように心地よい。

星は帰ろうとしているのに、まだ、帰れない二人。
夜空はそろそろ夢を見たいのに、まだ、帰らない二人。

そうだ、あの夜は、村上龍の小説「コインロッカー・ベイビーズ」について話したんだ。

コインロッカーで生まれた、キクとハシ、二人の胸に宿る愛と憎悪について。
そして、美少女、アネモネは何を願ったんだっけ?
破壊の意思を持つ「ダチュラ」って、何のメタファーだったの?

そして、この物語に一貫して流れる、絶望的な哀しみの中にも、希望があることについて? 

残された時間がカウントダウン状態のなかで、もっと他に言いたいことはあったように思うけれど。


「あの作品、ホント好きでさ」
「私も。すごく好き。今でも好きだよ」








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?