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色気、再考。

お家時間、いろんな過ごし方をしていると思いますが、私の場合、圧倒的に増えたのが過去の配信作品(ドラマや映画)を見る機会が増えたこと。

ちょっと前は、山田太一脚本の「想い出づくり」にすっかり夢中だった。
1981年作品だから今から40年前になる。

物語は、女性の婚期が「クリスマスケーキ」に例えられていた時代の話。
若かりし頃の田中裕子(ジュリーの奥さんね)、森昌子、古手川祐子の三人が24歳の揺れる女ゴコロを演じるストーリーなのだけど、もう、みんな可愛くてフレッシュな魅力がだだもれ。

親や家族からは、「結婚しろ」と毎日のように言われ、職場からは「肩たたき」にあう日常のなか、無難な相手と無難な人生のレールに乗っかって結婚することに抗う三人の女たち。

いつの時代も、自分の人生において「どこまで自分の理想を追求するか」「どこで理想と現実の折り合いをつけるか」って、永遠のテーマなのだと思う。

この物語の主人公たちは、「この相手で手を打つか」と悩んだり、「いや、私の人生、そんなもんじゃない。もっと『しっくりくる相手』がいるはず」と葛藤するわけです。

クライマックスは、森昌子ちゃん演じるのぶ代が、気の乗らないお見合い相手に押し切られ、結婚することになった日。結婚式当日、「やっぱりあの人じゃイヤダ!」と結婚式場の控室をバリケード封鎖して、田中裕子、古手川祐子の3人で部屋に立てこもり、式をボイコットするシーン。もう痛快で爽快で、あっぱれ!

物語のラストはそれぞれに「しっくりくる相手」を見つけてハッピーエンドなのだけど。

印象的だったのが、恋人役で出てくる柴田恭兵の演技の下手さ(笑)と、
田中裕子の魔性的な色気。同性ながら、彼女の放つ、なんともアンニュイな色香にすっかり魅了されてしまったワ。

色気って、思うのだけど、わかりやすい性的アピールじゃないよね。
隠そう、隠そう、としても、ふとした瞬間、滲み出てしまう色と香り。

「出そう」と意識して出せるものは色気じゃない気がする。
無意識。
本人が意識していない、何気ない表情や視線の先に、憂いや哀愁などを感じた時、見る側は、「つかめそうでつかめない」「かげろう」のごとき相手に惹きつけられるのだろうと。

大事なのは、「意識していない」という点。
色気も魅力も、本人がそこを意識してしまったら、ダメなのだ。

それにしても、私はどうも昔から、西洋人形みたいな愛らしさよりも、
平安時代的な、はんなりとした美しさに惹かれるみたい。

いと、おかし。



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