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出版社の衰退とブログ(アカウント)表現文化の興隆による情報コンテンツの絶望的デフレ

こんにちは、木月まことです。

タイトルだけで言わんとしてることの8割が分かってしまうと思われるので、中身を書く必要がはたしてあるのか疑問ですが、読んでいただけたら幸いであります。

この問題は実は今日的状況として誰もが把握してるようで、しかし実際はほとんど誰も感知してないとも考えられます。なぜならば、こういった問題にほとんどこれといった対策がなにも行われていないからです。
つまり(わたしの文には「つまり」がよくでてきますが口癖です)、つまりだれもそれを問題にしてないということです。

なんのはなしでしょう。

そうです、つまり(すみません、また「つまり」です)、つまり、情報提供者の多くに対価が支払われないということです。

えっ、お前、それ、たんに自分のアカウントが人気ないから、人気のある、おいしい商売が成立してるアカウントに嫉妬してるんだろう?

いや、違いますよ。
そんな、個人的な妬みとかだけで記事を書いちゃうほどには子供ではないと自分では思ってますよ。
そうではなくて、情報を提供するメディアや産業の抱える今日的問題について危惧する次第です。

それは多くの人が「そんなの当たり前」と考えるあまり、気にもとめなくなってるような雰囲気なのに気づいたからです。

「あたしは、この前、じつはサポートをいただいて、ちゃんと心ある人に認めていただいて対価をいただいたわ」「あたしもよ」…

いや、そんな、せいぜいユニクロのセーターが2着買えるか否かのお小遣いがはいったからという程度のことで問題の本質をすりかえてはいけないと思います。

つまり、noteでいうようなサポートの類いは任意の行為なんで、それは慈善行為にちかく対価を支払うシステムとはほど遠いんです。

ぼくも、じつはnoteでサポートを数回(片手の指で十分数えられる数です)したことがあります。(去年、派遣バイトの身分になってからは基本やってません)

しかし、サポートというのは任意の行為なんで、そうすると、情報の市場はパパ活可能な女子高生優位なものにシフトする可能性もあります。

こう言うと、若い女子noterさんでサポートをいただいたことがある人は猛反論して「人をばかにするのもたいがいにしろ、わたし(たち)のやってることはパパ活なんかじゃない!」というでしょう。

いや、ちがうんです。
他のnoterさんのやってることがパパ活だといいたいわけではないんです。



ただ、情報提供の対価が支払われる可能性がサポートというような慈善行為のみによって可能な状況は、よりパパ活が横行しやすい土壌だともいえるでしょう。

つまり、万札をたんまり持ってる40過ぎのおっさんと、ピチピチの女子高生のエンコーに近い構図が増える可能性もあります。

現に情報提供アプリの一部は、性を直接売るものが、しかも女子高生や一部中学生が参入してるものもあります。

それがけしからんと言いたいわけでは必ずしもないのです。

性を売るものと買うものは、どの時代にもある一定数いるでしょう。(ぼくもさすがに、エロ本だとかAV動画といった性くらいは買ったことがあります。また、それ以上の性を買ってる人を情けないとか思ってるわけでも特にありません)
それは既婚・未婚・老若男女関係なくです。
それが情けないとか不道徳などというつもりもありません。
僕自身は、たとえば東大教授の上野千鶴子さんのような知性を売る人と、性を売る人とで前者が優れているとか価値があるとか決めつけるタイプではどちらかといえば多分ありません。
ただ情報の提供システムが出版社などのメジャーが握ってた時代と、今日のようにブログ表現から始まった各種自己表現アプリで素人が気軽に情報提供や自己表現が可能になった時代では、一見後者のほうがより進んだように見えてじつは情報提供主体の奴隷化と零落化が進んでしまっているのではないかとも考えます。

情報提供の無料化の理由は、大きく分けてふたつあるでしょう。
ひとつは純粋な善意です。これは、ある一定のことを成し遂げた有力人物や、科学者などに多いでしょう。
わたしたちの発明や発見は世のため社会のため無償でみなに分け与えられるのが当然という考え方です。
それ自体はとても素晴らしいことですし、受けるわたしたちも、それが無償であることで直接恩恵を受けています。
もうひとつは、わたしはまだ素人だから他人さまからお金をいただくに忍びないという考えです。
これが新聞社や出版社などが力を失い、ブログやそこから派生した各種情報提供・自己表現アプリに情報がシフトした時代の情報対価の零落の一要因です。

つまり(すみません、また、つまりです)つまり、情報がブログ的なインターネットへスライドして、情報は絶望的なデフレに見舞われてしまったのです。

僕が若かったころ(90年代初頭でしょうか)「将来は、情報化時代になる」と言われてました。
確かに人々は、ティファニーのショーウインドウから中にある商品を眺めるより、スマホで情報の摂取に夢中になっているようです。
工場などでモノを作るのは経済下位国にシフトし、わたしたちの多くは情報を生産するようになったのです。
しかし、モノから情報の生産にシフトするようになったわたしたちの多くは、その活動から対価を得られないんです。
情報の市場は、出版社の衰退で驚くべきデフレに見舞われ、いやデフレどころかズバリ無償なのです。

デフレというのは価値の下落です。
情報の生産者がデフレな市場に疲れきってしまえば、それも先ほど言った、情報市場のパパ活化、性産業化の拡大に一役買ってしまうかもしれません。
たとえば四十代になった女性の真面目な論文の書き手がいたとしましょう。
彼女はいくら書いてもほとんど金にならない状況にいよいよ疲れて、スマホやパソコンで同業者の真面目な論文を読んで自己研鑽するより、ミョーなアプリで男根が勃起してる画像を眺めてるほうがよっぽど癒されると思い始めるようになります。さらにはその男根の画像の提供者とオフパコをやるようになります。その女子は大学院を出て若い頃は将来を有望視されていた…
性のスキャンダルをネタにしてる週刊誌なら格好のネタでしょう。
でも情報の生産に携わっていて対価が得られない苦痛に苛まれている同業者であれば、その週刊誌の電車の吊り広告を見て笑う気にはなれないんじゃないでしょうか?

では、情報市場のデフレ化が問題だって言うんなら、インフレに転ずればよいのか?

それはそんなに単純にYESと言えない。
人々は昔に比べて金を持ってない。
ぼくも、派遣バイトになってから口座に2万円入ってた日はここ一年あまりで通算10日あるかないかという恐ろしい状況が続いているので、有料記事の類いはごく一部の例外を除き買ってない。
人々が金を持ってなければ、情報が無償というのがせめてもの救いというケースもあるだろう。
しかし情報の生産者はこれから増えていくだろう。
しかも、それらの多くは専業的になされるというより、サービス業や会社業務でくたくたになった挙句の残りの時間を当ててということになるだろう。
わたしたちは、洗面器だの本棚だのといったものをつくる必要はない。そのかわりサービス業とかよりストレスな職業に就いてる人が増えている。
その合間に情報を生産している。

わたしたちの多くはカネなんか持ってない。
しかし、このまま情報市場のデフレはそのままにされててよいのだろうか?
特定の同じアカウントからの記事や情報の享受(絵や写真、動画、音声も含む)は10記事~30記事以上は1記事あたり10円でも20円でも利用者から提供者に流れていく仕組みは作れないものか?
サポートのような慈善をあてにする仕組みオンリーだと、先ほども言ったように、情報市場のパパ活化や甚だしくは性産業化が急速拡大しかねない。
ある程度そういう風潮があるのは止むを得ないのだが、デフレ市場がほったらかされていると、そっちへ流れていく人が急速に増えかねない。

仮にそういうシステムができても、結局、強者が勝つことに変わりはない。

そうなのかもしれない。

アカウントに情報を提供するのには、人によっていろいろな動機があるでしょう。
世のため人のため、そのためなら無償でも…というひともあれば、
アカウントで情報発信して、そこでしかできない友達やつながりをつくれるのが救い…という人もあるでしょうし、
学校や会社で自分が認められるわけないから、それなら自撮りエロ動画でもなんでもとにかく認められたいという女子学生もいるかもしれません。
また、10円20円とかのために自分の情報を見てくれる人がそのために7割減ったらこれ以上の痛手はないという人もいるでしょう。

だからわたしたちは金なんかむしろ要らない!
結局、強者が勝つだけなんだから。
という人がかなりいることも予測されます。

でも、それでもなお、このデフレ市場がほうっておかれてよいのかと思うことの方が正直多いです。

もしかすると、デフレ市場は経済上位国の宿命なのかもしれません。

情報産業のデフレ化は、もちろん最初に記した通り、出版社の衰退とブログなどの素人の発言機会の拡大と関係してるでしょう。
それはありがたいことでもあります。
わたしのような者も公に向かって一応発言できるからです。

ブログは上手くやれば儲かるよ。
自動集金マシーンといってもよいくらいさ。
という人もいるでしょう。

ただ、それはアカウントの運営技術に長けていてこそでしょう。
ブロガーと呼ばれているひとはそこに長けていますが、ただブロガーの記事は運営にもかなりの力を入れているため、情報をそれオンリーで突き詰めてるひとのそれより中身に乏しいことも多いでしょう。
情報をオンリーで突き詰めているたとえば研究職のひととかの多くは運営にまで手が回らないのです。
そうすると、ものごとを突き詰めて考えてる人や研究してる人の発言や成果よりブロガーの書く軽い記事のほうがむしろ素晴らしい文章、あるいは情報だということになっていきます。

ちょっとはなしがそれてしまったのでもとに戻すと、
出版社の衰退とブログ等の素人メディアの拡大は、素人に発言の機会の拡大をもたらしたが同時に情報のデフレとブロガーの書くような軽いものこそが素晴らしいという価値の倒錯というか転倒ももたらした。
このデフレがほうって置かれたままだと、身を持ち崩して、パパ活や甚だしくはオフパコに流れていく人が増えかねない。
なぜなら情報の生産はいくらやっても無料なのだから。

そういうのはさぁ、全部自己責任なんじゃないの?
だらしがない奴だけが堕ちていくんだよ。
ブロガーとか成功者はうまくやってるよ。
いつの時代も一緒さ、自業自得だよ。

ほんとうにそうでしょうか?

ぼくは、同じアカウントからある一定以上の回数便益をうけてるなら、ある一定以上の回数から先は10円でも20円でも情報提供者に流れていくほうがいいんじゃないかと思うこともあります。
でも、わたしたちの多くは余計な金は持ってませんし、10円20円の課金システムの導入が深刻な読者離れにつながるなら、無料のままのほうがいいという人も多いでしょうし、あんまり単純な結論は結局のところでません。

ただ、情報市場のデフレや無償という現実は、これから情報生産者が増大する世の中の到来が予測されるにあたっていずれにせよ問題として浮上してくるでしょう。その問題のいくつかについて書きました。

長い文章、御一読ありがとうございました。

サポートされたお金は主に書籍代等に使う予定です。 記事に対するお気持ちの表明等も歓迎しています。