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共創ビジュアルプラクティショナー養成プログラム〜4ヶ月のプログラムを終えて〜

どんなプログラムだったか、どんなニーズから始まったのか。は改めて書こうと思います。

一部の人にしかわからない記事ですが、今の気持ちを残すため、今書かないと、文字の苦手なわたしは何も残せないので、まずは文字にします。

プログラムの概要を知りたい方はこちら▼
webサイト

12月18日のイベントページ

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感謝を、伝えたい人

まずは、とっても忙しい中で、たくさんの時間を割いて、自分のスキルを惜しげなく伝えてくださった、講師陣と出会えて、何もないところから創り出す。を一緒にしてくださったことが奇跡だな。と。
清水淳子さん、玄道優子さん、わっきー(中脇健児)さんとの講師同士の共創も新鮮でした。

4ヶ月、受講生という立場から共にこのプログラムを創ってきたみなさんに感謝です。なんでも丁寧に「教える」スタイルではなく、車の教習所のように半分本番、自分から学びを取りに行くこと自体が学びになるというスタンスだったので、途中、やめようかな、と思う人もいたと思います(ほんとに)。やめたいと思ったときに、言い訳をして来なくなるのか、それとも自分と向き合い自分をどうホストして、休憩してみたり、自分を労ってみたり、しんどいなりに心地よさをつくったり。それ自体も、場に立つあり方として必要なこと。運営メンバーは介入しすぎず、この学びの器が育つことを信じて、じっと見守ったり、間接的にできることをしたりしていました。なぜなら、この4ヶ月の中で出てきた、自分の考え方の癖や、落ち込むパターン、言葉にすることの傾向は、すべて、自分自身の人生の縮図だから。もし、このプログラムの中で、自分からアクションできずにい続けた人はだったり、最後にたくさん言い訳した人は、きっと現実の人生の中でも同じことを繰り返している。逆に、この期間中に、今までの自分ではしなかったことに一歩踏み出せた人は、それは、自分のパターンを変えるきっかけになって、人生を変えていける道筋になると思います。

やめようかな、と思いながらも最後まで学び続けた方、思い切って休憩をとることで、新たな扉が開いた方、自分の殻を破って自分から勉強会の声かけをした方、それぞれがこれまでの自分から一歩進むことで、自分自身で得た「あり方」や「考え方」は、描き方や編集力などの見える部分のスキルよりももっともっとパワフルに役立つと思います。もし、「悔しい」「もっとこうすればよかった」という気持ちがあれば、それは、次にすすむ原動力だから、大切にして欲しいと思います。

また、この多様で、すぐに消化するのではなく、時間をかけて自分の血肉にしていく必要のある学びのプログラムを、ハーベスト(学びを文字や動画や問いなど、必要な形で残していく)してくれたハーベスティングチームとそのリーダーの伊勢田麻衣子は、誰もしたことのないオンラインでのハーベストを生み出してくれました。おかげで安心して全力投球ができました。

そして、一番お礼を伝えたいのは、オーガナイジングチーム。縁の下の力持ちという言葉があるけれど、見えないところでたくさん動いてくれていた。当たり前に運用されることが、いかに当たり前ではないか。これだけのボリュームの講座や学びのプラットフォームが毎回安心してひらかれていたのは、当たり前じゃないし、休んだ人のために動画を残してくれたり、私たちが安心して学ぶために、疲れた人には個別に連絡したり、保健室をつくってくれたり、どうしたら受講生の学びが豊かになるか、とmiroをつくってくれたり。

私たちが当たり前に享受していた安心は、オーガナイジングの耕平さんとえりつぃんが、嫌な顔一つせず、陰から支え続けてきてくれたから。大変なことだと思うし、私にはできない能力です。ビジュアルプラクティスのことを理解しながら、思いがなければできないこと。本当に本当に本当にありがとうございました!

これまでのこと

これまでいろいろなことをやってきました。
ファシリテーショングラフィックから入って、私のしたいこと(誰もが安心して話せる場づくりや、対話の活性化、もやもやも出せる本質的なことを話せる話し合いの場)は、日本ではグラフィックファシリテーションと呼ばれているものに近いと気づいて、プロコースの0期へ。

そして、それだけでは違うのだ、とビジュアルプラクティスを探求して、付箋紙やマスキングテープ、カードなどの描かないビジュアライズを学び、共に場に入る相手の立場を知るために、ファシリテーションの技術も、プロセスワーク、システムコーチングなど、さまざまな角度から学びました。

それ以外にも、facebookの1万人以上いるグループに投稿することを定期的にすると決めたことで、世界のビジュアルプラクティショナーが日本に来るときに声をかけてくれるようになり、世界カンファレンスの存在を知りました。世界カンファレンスには、デンマークとニューヨークにいき、それ以外にも、フランスのビジュアルプラクティショナーが初めてパリで集うという場に参加したことは、今の私がここにいる大きな一つのきっかけだと思います。

同時に、描くこと以外のことも続けてきました。専門領域を磨き続けること。科学技術コミュニケーションは、理系だった私の強みになるはず、と、さまざまな研究講演会、勉強会、学会に所属したり、特に気候変動等には顔を出すことを続けています。

今は、記録の目的を保ちつつ場に対話を生み出すグラフィックレコーディングと呼ばれることの多い技術を鍛錬中です。実践から学びに落とし込むスタイルの人間なので、現場数は2000くらいは越えてると思うけれど、現場の数より、出会えた方とのお付き合いの長さ、グラフィックを描かない立場から付き合い続けてくれる方の存在は大きい。目的に対して描けているのか。冷静な視点からグラフィックを見続けることで、どんどん目が肥えていき、時に厳しいフィードバックをくれるから。

今なんだ、と感じたcall

私みたいな普通の人がなんで、こんなに熱を燃やしているのか。

必要な方向に、必要な変化を生み出すために。未来に必要なことに向かってアクションを起こすための一つの手段として。

思いだけでも、優しさだけでも、戦略だけでも、技術だけでもダメで。
それを1人のカリスマができるようになるだけでも、1人の見方には偏りがあるし、そこには1人でできることの限界があると感じていて。

チームとして、お互いを信頼しながら力強く動ける人が日本中に増えることは、それに近づくんじゃないか。そう思って、私にできることから始めました。「必要な対話の場を、会議を、話し合いの場を、より意味のある場にするために、プラクティス(実践・練習)できる道場みたいな場がほしい。」このニーズの声は、たまたま私を通って出てきたけれど、それは社会の声でもあると思えたことで、勇気を出して、「一緒に実践しませんか」と声を出しました。

周りから何て言われるだろう。生意気な、と先人の方に言われるかもしれない。お金儲けのためって思われるんじゃないか。自分が何千日もかけて蓄積してきたノウハウを全て公開してアホなの?と言われるかも(実際言われた)しれない。そもそも相手にもしてもらえないかもしれない。妊娠しながら、そこに私はコミットしていけるのか、いろいろな不安もある中で、でも、「今」なんだ、と呼ばれてしまった。
もう、技術とかノウハウを誰かが一人が隠し持っていることがかっこいい時代じゃないと私は思うから。日本の文化的に、「私が苦労してきた道を後に続く君たちも歩むのだ」みたいな空気を感じたこともあるけれど、もし本当に良いもの・役立つ技術なのなら、全て公開するから、出村が苦労してきた道なんてすっ飛ばして、そのさきにどんどん進んでもらえたら良いと思う。そして、もっともっと質の良い技術にして、世の中に広がればいいと願う。そうして、あちこちで良い技術が広がったら、未来に必要なことに向かってアクションを起こせる可能性が高くなるんじゃないか。

重いよ!ストイックすぎやで!と言われるかもしれないけど。笑 私自身は、わたしたちの暮らす社会が、ストイックに向き合う必要があるとこのまできていると感じています。この感覚は、前よりもリアルに考えるようになって、より強くなってきています。去年、今年と子供を産んで、まだ首の座らない、私の肩でコテっと首が倒れる小さいこの子たちが、30歳になるとき。本当に住みやすい世の中になっているのか、そのために自分はアクションを起こしているのか。まだまだ、言葉で話していることと、行動にはズレがある未熟な自分であることも自覚しています。それでも、「お母さんはなんでなにもしてくれなかったの?」と言われないように。

一部の人にしかわからない、なんのこっちゃわからない自己満の投稿ですが、感謝の気持ちを伝えたくて、書きたくて、まずは文字にしました。読んでくださりありがとうございます🙇‍♂️✨

最後に、私がこの場に携わる間、そばで待っていてくれる1歳の息子と3ヶ月の娘、そして、自分も仕事をしながらもこの子たちと一緒にいてくれるパートナーに感謝して。

共創型ビジュアルプラクティショナー養成プログラム自体については、改めて文字にしてご報告したいです🤲🏻



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