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人は分かり合えないという話

私が大事にしてるもの

人というのは誰とも分かり合えないもの。それは人の本質だと思ってます。
だから理解しようとすることが大事なんだと。
分かり合えてると思うから傷つくし、人間嫌いになるし。
まぁそういう人は『分かり合いたい』というより『私のことをわかって』と思ってるような気もしなくもないけど。その話はまたいつか。

私は大事にしているものがあります。
それは自分の気持ちだったり、相手の気持ち、過去や未来、そこまでにいたった動機、それを選んだ気持ち、好きな気持ち、嫌いな気持ちなど、目に見えないものを大事にしています。

例えば私のためにプレゼントをしてくれた時も買ってくれたこと
お金を使ってくれたこと、という目に見える行動よりも
私のために時間をかけてくれたこと、私のことを考えてプレゼントを選んでくれたこと、どうしてこのプレゼントにしてくれたんだろう、など
目に見えない気持ちのほうが嬉しくなります。

そこまでは想定内だと思いますが、私はけっこうそれがエスカレートしちゃうので、この人はどうしてこれを選んでくれたのか、選ぶまでに至った経緯から関係のないところまで想像してしまう。

〇〇さん、昔こういうのが好きって言ってたから、このお店に行ったんだろうな。
いつもこういう色の服装や持ち物が多いから、この色を選んでくれたんだな。
〇〇さんはどうしてこの色が好きなんだろう。
そういえば綺麗好きだから、この色は綺麗好きを魅了するんだろうな。
ってことは〇〇さんにとって私は綺麗好きな人にとって許容される綺麗さを持っているのだろうか。それはどこなんだろうか。
っていうのを、たった一つのプレゼントから想像してしまうんです。

それに何年も前のことでも昨日のことのように日時、場所、渡されたときの状況を事細かに覚えてたりしますね。

例えば小学校3年生の時、休み時間に友人3人と話していたとき、幼稚園から仲の良い友人が
「あ!出目金子ちゃん、今日お誕生日だよね!おめでと~う!」
ってお祝いしてくれました。
するとたまたま近くにいた先生(新任の先生でした)が
「じゃぁ今日の帰りの会でお祝いしましょう」
ってことになり、みんなからハッピーバースデーの歌を歌ってもらいました。
その時私は左から2列目の、前から4番目の席だったので、クラス中に左手で「ありがとうー!」と手をふっていました。
幼稚園から仲の良い友人は私の左斜め上の席でした。
ちなみに天気は曇り空でした。

なんで覚えていられるかというと、嬉しかったから、です。
嬉しかったから覚えていたいんです。あらゆることを。
いつか会ったときに、思い出話ができたらいいなと思うし、いつまでもありがとうって伝えたいと思うんです。
だから頭の中がいっぱいになって、うるさくなるんですけど。

なので私は目に見えることよりも、目に見えないことを大事にしてるんです。

目に見えることを大事にする人

もちろん目に見える物や、行動を大事にする人もいます。
それはそれでいいと思います。目に見えないことを大事にしている私でも、目に見えることも大事にすべきだと思っているので。

結局どっちも大事なんだと思いますよ。
でも人ってどちらかに片寄っているじゃないですか。
綺麗に50%50%で大事にできている人なんていませんよね。
ましてや「どっちも100%大事にしてます!だから200%だ!」なんて人、いないと思うし、いても結局大事にできてないし、口だけだと私はその一言で距離を置きます。
ここでは無意識に選んじゃう方だったり、無意識にいつも考えているパターンの傾向の話です。

きっと目に見えないことを大事にしてる人、そっちにバランスが片寄りがちの人は今の説明がなくても「あーわかる」って思う人いると思う。
なんで今の説明を置いたかっていうと、目に見えることを大事にしてる人に説明するためです。

私の周りに限った話ですが、目に見えることを大事にする人は
「そんなこと考えても意味ないじゃん」「時間もったいなくない?」「悩んでる暇があったら動けばいいよ」
って私のためを思ってだと思いますが、言う人が多いです。

でもそれって『この人は気持ちを大事にしているんだ』ってことが見えてないんですよね。
もちろん言いたいことはわかりますよ。
考えすぎて疲れてしまって体調を崩すこともありますもん。

でもね、、、でもね、、、
私のためを思ってくれてるのもわかるけれど
本音を言えば、好きで考えてるんだからほっといてくれ、なんです。
押し付けないでほしいんです。あなたの考えを。

でも言えないんです。
だって私のためを思って言ってくれてるってわかるから。
ぐっと自分の心の中に抑え込むしかないんです。

でも後から気づくんです。
あ、私のために思って言ってくれてると思ってたけれど、結局自分のためだったんだって。

尊敬

目に見えることを大事にしている人たちのことを私は尊敬しています。
だって私は考えすぎて、自分の中で答えがでるまで動けなくなるので、軽く行動できるところを尊敬します。

そしてそういう人たちはビジネスが上手くいっていたり、周りにいつも人がよってきたりして、いつも誰かの悩みをきいていたり、元気にさせたりしているのを見かけます。私にはそんなたくさんの人に何かできるほど体力も気力もないので、尊敬します。

私の周りにいる人もよく
「出目金子ちゃん、大丈夫?」「そんなことで悩んでないで遊びにいこう!」「私も昔同じことで悩んでたけど、こういう考え方に変えたら楽になったよ」
って心配してくれたり、アドバイスをくれたりします。

すごいなと思います。人のために動けることを。
私は人よりも自分の方が大事なので。自分の気持ち、内省、自分が見たいこと、知りたいこと、感じたいこと。そういうことの方が私は大事なので。

嫌いなところ

だから時に目に見えることを大事にしている人は『おせっかい』に感じます。
こっちは好きで悩んでいるし、考えていたいのに、このタイプの人からはそれを『無駄』だと勝手に決めつけられるかのように私から考える時間を奪うから。
そして自分の正しさを好意の面して押し付けてくる。
「その悩みなんてこれで全部解決するでしょ?私がそうだから」と。

その人の世界では、この悩みにはこの薬、この悩みにはこの処方と決まっているのでしょう。だからよく問診もせず、症状だけみて薬を処方する。
でも私は問診をしてほしいし、問診を大事にしているし。
なんなら病院になんて行ってないのに、勝手に玄関をあけて症状だけみて薬を置いて金銭を要求するみたいで。

で、この人たちが要求する金銭は『この人たちのさみしさを埋めること』だと思ってます。
この人たちは孤独に弱いんですよ。だからいつも困っている人を探して、声をかけて自分に依存させているように見えます。
この人たちにとって私は格好の餌食なんです。
いつも悩んでいるし、いつも何か考えているから解決してあげたい。そして私の側においておきたい。
って本音が漏れているのを何度も感じました。

ちなみにそういう人たちに「寂しがりやですよね」って言うと否定されます。口では認めていても笑ってかわされます。だって自分の不完全なところを周りの人数でごまかしているから。
自分の周りにはこんなに人がいるんだから、自分は完璧なんだって。

でも傍からみてると、離れていく人もいます。
その人は私と似たような人です。
おせっかいさに嫌気がさしてくんでしょうね。

あとビジネスでよく見かけるのが
「私でも出来たんだから、あなたも出来るでしょ?」「なんで同じことができないの?」「なんでそんなことで悩んでいるの?」
って思っているので、人の気持ちがわからないんですよ。極端に言えば。
どんなに陰ながら努力していたとしても、その人の目には見えないから『怠けている人』になるし、成長も結果でしかとらえない。
だから人がどんどん離れていく。そして寂しさが加速して、離れた人を批難する。

そして、そういう偽善者ぶった奴に利用されることに嫌気がさした結果出来上がったのが私です。

誤解

もちろん世の中そういう人ばかりじゃないこともわかっています。これは私が出会った人、経験したことの話です。だからこれからの出会いで考えが変わることもあります。むしろ世間に希望があるのであれば、変わりたいもんです。

昔、悲しいこともありました。
目に見えることを大事にしている人たちから、かわいがってもらっていたことがあります。いつも一緒にいて、ほどよくほっといてくれて、居心地がとてもよかったです。
でも私の仕事が忙しくなり、集まりに参加できなくなったり、遊べなくなったら私の発言を誤解される出来事がありました。

私と同じように目に見えないことを大事にしている人には誤解されなかったし、逆に賛同されたり共感してくれました。

それで気づいたのです。
目に見えることを大事にしている人と誤解されることなく、付き合い続けるためには、集まりに参加し続けたり、遊ぶ時間を作ったり、その人のさみしさを埋め続けるために行動しなければいけなかったんです。
でもそれじゃ私の仕事は?私の時間は?私、やりたいこともできないの?私は離れていても、会う時間が減っても忘れたことなんてなかったし、成長した私を見てもらうために頑張ってたのに。って思いました。

私はその人たちとの関係と自分を天秤にかけ、自分をとりました。
だって死ぬまで一緒にいるのは、その人たちじゃなくて自分だから。

さいごに

人は分かり合うことができない。そうわかっていても、分かり合うことなんてできないんでしょうね。
じゃぁ分かり合おうとする気持ちが大事だよねって思うかもしれないけれど、気持ちだけじゃだめなんです。自分だけが思ってても意味がない。

人は分かり合えないから、分かり合おうとするための気持ちも、行動も大事なんだと思う。
あとはあきらめ。なにをしたって人は分かり合えないものなんだって諦めるか、じゃないですかね。
私は諦めてます。分かり合える人たちと付き合えればいいや、分かり合えなくなるまで、と思ってます。
だから今、私と仲良くしてくれている友人とは一層大事に付き合い続けたいと思います。

それに中には見えないものを見ようと努力している人もいます。
私の気持ちをなんとか理解しようと努力してくれる人もいます。
それはすごく嬉しいことです。
大事にしていることが違っても、そういう人とのつながりは大事にしたいと思います。


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