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2023年3月 沖縄先島諸島サイクリング旅(宮古島編)

1。宮古島へ向かう

 6時40分羽田発のフライト(JAL)に搭乗するため、羽田空港第一ターミナルビル内のカプセルホテルに前泊した。フライトはほぼ満席。空港で合流した旅の相棒は、保安検査場通過時に、折り畳み式自転車修理用多機能工具が検査で引っ掛かり、チェックインカウンターへ戻って工具を追加で預ける手間がかかった。折りたたんだ状態では、飛行機への持ち込み物に対する規制の範囲内の長さに収まっているのだが、広げると、規制の長さを超える金属物となるという理由だった。
 快晴。静岡県上空で、真っ白に雪化粧した美しい富士山の姿が眼下に見える。南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、御嶽山、乗鞍山、さらに北アルプス連峰も、雪化粧姿をはっきり捉えることができる。とりわけ仕事で何十回と通った韓国への出張で、飛行機から雪化粧の富士山を眼下に見下ろすことは何度もあったが、日本アルプスの全貌も併せて、これほどくっきりと富士山の美しい姿を見た記憶はない。

雪化粧姿の富士山


 この光景を眺めている際に、窓際のシニアの男性と会話が始まる。風貌から「宮古島の方ですか」と声をかけたが、さにあらず。20年ぶりの宮古島訪問だという。会話が進むうちに、"かつて、土木建築関係の仕事で4年間宮古島に滞在した。今回は、定年してから楽しんでいるゴルフのツアーでやってきた"ということがわかる。宮古島は水が少なくて、農業がサトウキビに限られているが、農林水産省による農業振興策として、地下に灌漑用の水を貯める「地下ダム」の建設に携わったという(※、※※)。「ダム資料館も併設されているからぜひ立ち寄ってみてください」と言われた。サイクリングで宮古島を一周するという話をすると、宮古島本島の周囲にある島にかかる橋に話が及ぶ。今は、主要な3つの島が、すべて橋によって繋がっているが、もっと大きな島である西側の伊良部島への橋(伊良部大橋)は、最も長く、比較的最近かけられたもの。これらの橋は全て、"国交省"ではなく"農水省"の予算で作られた、"農水省"管轄の道路で、いわば、”農道”と同じ扱いだというのには驚いた。相変わらず、縦割り行政に変化はない。なお、余談として聞いた話だが、「宮古島も石垣島も、もともと犯罪者が送られた島。宮古島には犯罪者の中でも知能犯が送られた。だから今でも、頭の良い人が多い」。真偽の程は如何に???

(※)宮古島は、全島平坦で川もない上に、地盤が石灰質でできているため、降った雨は、地下に浸透してしまい、農業用に利用できる水の確保ができない。そのため、染み込んだ雨水を地下に溜めて農業用に利用できるようにしようという農水省主導のプロジェクト。ため池に"ダム"という名称がついているのが、直感的にピントこない。
 島の南東の海岸から少し内陸に入ったところにあることが、のちに判明したが、サイクリングの途中では、時間的に余裕がなく、立ち寄ることはできない場所だった。
https://miyako-guide.net/spots/spots-539/

(※※)今回の旅から戻ってから、日ごろ社会貢献の一つとして参画している「学習支援活動」(このことについては、いつか記事で紹介したい)の会場で、"驚くべき偶然の発見"があった。「楽しく学ぶ小学生の地図帳(4・5・6年)」(帝国書院)をたまたま手に取ってめくっていたところ、なんと、先島諸島を含む沖縄県の部分の地図の横に
「地下ダムによる宮古島の農業」
「ー地下ダムと風力発電によるかんがいのしくみー」
という2つの説明図が掲載されていたのである。この話題を先島諸島の話題の1番に取り上げていることになり、それだけ、"小学生も知っている"大きなプロジェクトとして認識されていたのだった。

宮古島の地下ダム(「楽しく学ぶ小学生の地図帳(4・5・6年)」(帝国書院))

2。伊良部島周回

 宮古島空港に着くと、到着ロビーにある大型のコインロッカーを確保(二人で共用)して、その横で自転車を組み立て、多機能トイレ(※)で着替えを済ませた。

 ※今回の旅のあとで知ったことだが、"どなたでもご自由に"の表示もあるところもあり、「だれでもトイレ」などとも呼ばれる多機能・多目的トイレを、国交省が「バリアフリートイレ(「高齢者障害者等用便房)」に変えることを促しているという。通常のトイレを使える人が、休憩したり、化粧をしたり、着替えたりで、長時間使い、本当に必要な障害者や高齢者などが使えなくなるケースが増えてきているからだという。

 到着日は、翌日の宮古島一周の前の体ならしで、西側にある伊良部島へ渡ってのんびり周回する予定を組んだ。伊良部島に渡る伊良部大橋までの道で少し迷う。3.5kmの長さがある伊良部大橋を渡る(無料の橋としては日本最長らしい)。途中、大型船が通過できるようにアーチ状に盛り上がっていて、いきなりヒルクライム状態になる。今回の先島諸島サイクリングの走り出し直後であり、海の風景を間近にみる最初の機会となる。海の美しい青さは、「コバルト・ブルー」と表現される色合いが一般的だと思うが、ここ宮古島の海の色は、「エメラルド・グリーン」と表現すべき色合いの海が岸間近に広がり、岸から離れたその先に「コバルトブルー」の海が、混ざり合わずに色合いを競う。その遠近感のあるコントラストが、心を奪うほど美しい。

伊良部大橋

 渡り終えたところに「海の駅」がある。お昼に、宮古そばを食べる。丸くて太い麺。カツオ飯ともずくの酢の物がセットでついている。もずくの食感と味付けが、"本土"と異なる。酢味が弱く甘口の味付けのよう。予定通り、反時計回りで島を一周することにする。東海岸に沿って島の北端に向かって北上する。海岸近くといっても、断崖上になっており、その断崖の上を道が走っている。両側に灌木が茂っているので、海はほとんど見えない。
 14時過ぎ、最北部の白鳥崎公園に到着。この辺りからは、宮古島の北部を西側からきれいに眺めることができる。ここでも、海岸から海に向かって円弧を描くように「エメラルド・グリーン」のサンゴ礁の磯が広がっていて、その先は「コバルト・ブルー」の海に囲われている。
 15時頃、佐和田の浜。遠浅の湾状の浜の中に、いくつもの岩が侵食された形で、中には、辛うじてバランスをとっているような格好で立っているものもある。このまま道なりに走っていいくと、ほとんど陸続きのように見える隣の島、下地島へ渡る。南下していくと島の南端で再び伊良部島に戻り、伊良部大橋のたもとの海の駅に出て、16時少し前、一周を終える。休憩。マンゴージュースが美味しい。
 17時前に宿泊場所「うりずんの風」着。家屋がギッシリ密集した集落の中にあり、沖縄古民家風の建物を一部改修して一棟貸している。民泊施設といったスタイル。

「うりずんの風」外観

 ※「うりずんの風」
  浴衣、パジャマなどの寝着なし。アメニティなし。宿主の叔母が独り住まいをしていたが、数年前に亡くなり、その家を旅行者に貸し出すことにしたもの。台所周りは、普通の家の台所そのままで、調理器具から食器、各種調味料まで、全て備え付けられている。畳の部屋二部屋。浴槽がなくてシャワーだけ。到着時に三味線演奏で迎えてくれるという書き込みがあったが、今回は、お会いするタイミングがずれていたため、演奏を聴く機会を失してしまったのが残念。
 宮古島での宿泊所として計画時に予定していた農家民宿「津嘉山荘(*)」は、満室で予約が取れなかったのも残念であった。しかし、「うりずんの風」では、相棒が何気なく漏らした「これなら自炊できるね」の一言から、思いがけない自炊宿泊という楽しい体験をすることができたのはよかった。

(*) https://tsukayamaso.wixsite.com/index

 調理器具や、調味料などがすっかり揃っていたため、夕食は自炊することにした。初日の夜は、沖縄料理の定番「ゴーヤチャンプル」にする。自転車で5分程度のところにあった、近くのショッピングセンターに食材の買い物に出かける。庶民的なスーパーだったので、あまり質の高い、高級な肉はなかった。「アグー豚」と銘打った豚肉が全くなかったのにはちょっと違和感を感じた。「琉球豚」という銘柄の肉があるが、沖縄産という以上の、特段の付加価値は感じられなかった。ゴーヤチャンプルは、何度か作ったこともあり、ネットのレシピーを参考に作り、まずまずの出来。炊いたお米は、新潟産のコシヒカリ(小袋)でこれもまずまずの味だった。

 ※日の出、日の入り
 先島諸島の経度が、およそ東経124度。東京の140度と比べると15度異なる。ちょうど時差1時間(360度/24時間=15度/時間)。そのため、日の出、日の入り共に、1時間遅いことに、初日に気がついた。そこで、事前に立てた行程の行動予定時間を、以降全て1時間遅らせて実行することにした。実際、朝6時はまだ真っ暗だった。 

3。宮古島一周(111km)

 宮古島では、毎年4月に「全日本トライアスロン宮古島大会」が開かれていたが、コロナで2年間中止になっていていて、今年は、3年ぶりに開催される。今日は、そのトライアスロンの自転車コースを辿るおよそ100kmの走りになる(トライアスロンでは、1.3周分ほど走るので123kmになっている)。

 ※旅から帰ってから、NHK BS放送にて「特別な日 島が一つに 宮古島トライアスロン」という番組が放送された。このトライアスロンは、35年間も続いていたものが、新型コロナの影響で、3年間中止になり、今年4年ぶりの開催となった。番組タイトルのように、このイベントは、宮古島の人たちにとって、アイデンティティや誇りを高めてくれる大きなイベントになっているようだ。なお、今年の大会では、”事故”が相次いで、大会運営に課題を残したとの語りがあった。

 6時に一度目覚めたが、やはりまだ暗く、再び7時すぎまで寝る。朝、ひんやりしていて肌寒い。朝方雲が多いが少しづつ青空が出てくる。出発は9時ごろになる。

 まず宮古島の市街地であり港がある平良を目指す。市街地の中心を抜けたあたりに、宮古島最大の格式のある霊場「漲水御嶽」(はりみずうたき)があり、立ち寄ってお参りする。想像していたより、建物も、境内もこじんまりとしていたが、比較的若い人たちが次々に参拝におとづれる姿があり、島の人々から厚い信仰を受けていることが感じられた。

霊場「漲水御嶽」(はりみずうたき)(お参りする相棒)

 この後、少し進むと、道の脇に「人頭税(にんとうぜい)の石」が立っている。背がこの石の高さに達したら、人頭税を課せられたという言い伝えがあるという。石垣島を中心とした八重山諸島も、ここ宮古島も、琉球王朝に征服された16世紀以降、過酷な税を課されて、農奴のような生活を強いられた歴史があることを、民俗学者の谷川健一の著書などで知った。

人頭税(にんとうぜい)の石

 ここからはひたすら最北部に位置する池間島を目指す。宮古島本島の北端から、北に位置する池間島を結ぶ池間大橋に10時過ぎに到着。心地よい風が吹いている。ここの海の色も昨日伊良部大橋で見た海と同様美しい。
 池間島に渡り、時計回りに島を周回する。北端にある灯台は、無人で、立ち入りはできない。未舗装の荒れた道の先に池間湿原がある。見晴台の上から湿原を眺める。野鳥の姿だけで、人の姿は全くない。
 池間大橋の手前の展望台がある茶店で一休み。すぐ下の砂浜に出ていき、海の水に触れてみる。冷たくもなく暖かくもなく、季節の変わり目のよう。
 11時半に出発。もと来た道をしばらく戻り、途中で、東海岸に出る道を取る。宮古島の南東にある東平安名崎(ひがしへんなざき)を目指す。走っているうちに、道沿いには集落はなくお店もないことに気がつく。12時40分過ぎに、小休憩。お昼の食事をどうするか思案する。
 2kmほど、コースから外れて、内陸部の集落に走り、食事処「一休」を見つけて入る。日替わり定食は、「ゴーヤ・チャンプル」と「とんかつ定食」。前者は、昨晩作り、今晩は、とんかつを揚げる予定にしていたので、二人とも「アジフライ定食」にする。食後のホットコーヒーと合わせて、1150円。
 14時過ぎに出発。空にはちぎれ雲、地上には爽やかな風。
約30分走ると、東平安名崎(ひがしへんなざき)につき、観光灯台になっている灯台に登る。眼下に広がる東海岸の岩礁とエメラルド色とコバルト色に輝く海は独特の光景を見せていて印象的だった。

灯台展望台から見渡す「東平安名崎(ひがしへんなざき)」

 15時に出発し、宮古島本島の西南沖に位置する来間島(くりまじま)を目指す。途中、人も車両の通行もない道の脇に、ひとり椅子を出して座っている制服姿の人間が目に入る。通りすがりに反対側を見ると少し奥まって大きな門がある。自衛隊の基地だった。奄美大島から先島諸島までの長く伸びる南西諸島の島々を、ミサイルで軍事要塞化する動きが、この数年、急速に進んでいるが、その実態にあまり関心が向いていなかったことに気付かされた。改めて調べてみると(下記※)、宮古島の軍事基地化はすでに相当進んでいることがわかる。水資源が少ない島の住民へのリスクも大きそうだ。

※沖縄タイムス 2022年12月 ”長射程ミサイルを沖縄に 自衛隊、先島や本島へ配備検討”
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1071745

※【 ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会】 清水早子
http://www17.plala.or.jp/kyodo/news80_5.html

※イエズス会社会司牧センター:
沖縄の小さな島で起こっていること ――宮古島からの報告――  坂口 聖子(日本キリスト教団宮古島教会牧師)
http://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=8182 

 *イエズス会が、このような大きな社会問題に対して積極的に関わる姿勢を示し、行動していることを初めて知った。さらに、調べてみると、カトリックの総本山であるバチカンに1967年に「正義と平和委員会」が設立されており、日本にも1970年にという早い段階で「正義と平和司教委員会」、発展的に1974年に「日本カトリック 正義と平和協議会」が設立され、現代社会のさまざまな課題に取り組んでいることも知ることになった。
https://www.jccjp.org/our-work

16時半ごろ、来間島大橋に到着。橋を渡って来間島の竜宮展望台に立つ。ここからは、対岸の宮古島の前浜(まえばま)ビーチが眼前に望める。「うりずんの風」の宿主から、「この浜は世界第二の美しい浜だ。来間島の展望台から眺めるととりわけ美しい」と、言われていたので、疲労もあり夕暮れも近づいていたが、急坂を登って到達した。確かに美しい眺めだった。もっともなぜ世界で2番目(※)なのかはわからなかったが・・・。

 ※観光紹介資料などでは、”東洋一のビーチ”となっていた。

 来間島から戻り、その、「東洋一の前浜ビーチ」に17時に到着。裸足になって寄せる波を素足で感じる。砂が一様に微細でさらさらとしていて混ざりけが無い。そもそも、この砂は、もしかしたら、他から運び込んだものなのではないだろうかと思わせるほど異質だ。また、他の浜と違って、ゴミが全く無いのは清掃が行き届いているからだろうか。
 17時半出発。昨日と同じショッピングセンターによって、今夜の夕食の食材を購入する。この夜は、とんかつを揚げる。
 17時40分に「うりずんの風」に帰還。夕食作り。今夜も筆者”作るひと”、相棒”食べる&片付ける人”のチークワークで、大満足の夕食となった。
 この夜は、満月に近い月が雲間から出たり隠れたりの夜であった。

※「うりずんの風」の宿のトイレに入るとそのドアの内側に、ポスター規模の大きな写真が貼ってあった。説明がほとんどなく、海を上空から写したような写真なのだが、たくさんの小さな島のようなものが一つづつ赤く枠取りされている。何か不思議な景色で、トイレに入るごとに気になった。こうして、必ず目に入る場所にわざわざ貼ってあるというのは、何か特別な景色、誇るべき景色なのではないかということは薄々感じた。わずかに説明的な記述は、「八重干瀬(やえびし)」とあるだけだったので、何かわからず、そのまま旅から戻った。ところが、それから数日後、NHK衛星放送で、NHKアーカイブスからの放送番組として、NHK特集「沖縄・海ものがたり 海人(うみんちゅ)と大珊瑚礁」(1988年)という番組が放送された。これは、まさに、この「八重干瀬(やえびし)」が主人公となる番組であった。宮古島の北方にある大小150のサンゴ礁が、大潮の日だけ海上に姿を表す。その時、宮古島全体の広さよりも広い海域を占めるという。その光景は壮観だ。沖縄の人々は代々海と共に暮らしてきた。なかでもここは豊饒の海であり、神々の宿る海でもあった。驚くべきことに、かつては、ここに観光船が訪れて、観光客が潮が退いた「八重干瀬(やえびし)」に降り立って楽しむ姿があったのだった。

******* 終わり *******

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