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沖縄先島諸島サイクリング旅(石垣島編)

1。宮古島から石垣島へ

10時前に宮古島空港に到着。コインロッカーから輪行袋を取り出し、収納して、チェックイン。12時すぎに石垣空港着。宮古島空港に比べるとダントツに大きく、近代的な空港だ。人も多い。コインロッカーに輪行袋や、不要な荷物をあづける。「うりずんの風」での自炊で余ったご飯で作ったおにぎりで昼食にする。

石垣空港にはサイクルステーションがあった。ステーションといっても、空気入れがあるだけだが、これがとても助かる。携帯用空気入れと違って、短時間で空気がしっかり入れられる。

※宮古島の空港には、こうした施設がなかったことが、とても引っかかる。宮古島では、毎年トライアスロン、すなわちロードバイクレースを含む大きな大会があるのだから、空港に空気入れくらい備えておいてもいいのではないか。沖縄本島では、サイクルステーションを何十か所も整備する計画が進行しているという記事をネットで見た。一方で、宮古島では、そのような施設は一つも目に入らなかった。

14時前に石垣空港出発して北上する。石垣島は、コース日程の都合上、反時計回りになる。14時半ごろ、宿の少し手前に位置する玉取崎展望台に到着。観光客が多い。ここから、北に弓形に伸びる海岸とその前に広がる海が美しい景色を作っている。海岸線からすぐに立ち上がる山々がある点が、宮古島とは好対照である。日差しが強く、気温もかなり上がっている。
3時ちょうどに宿泊のペンションに到着。昼寝でひと休みしてから、目の前の浜へ出かけてみる。展望台からの遠景は美しかったが、浜には多くのゴミが流れ着いていて、汚い。清掃が追いついていないようだ。旅行者には見せたくないらしく、浜へ出る道もよくわからないようになっている。

世果報浜(ゆがふはま)

この夜はほぼ満月。東海上に上がってきた月は、オレンジ色の柔らかい色を発している。月が高く上ってくると星が見えなくなるので、ペンションの建物の前(海に面した東側)の広々とした芝生に寝転んで、しばらく星空を眺めて過ごす。最初は、星空の姿に大きな違和感があった。見慣れた星座の位置が高すぎるのだった。オリオン座が、首を大きく後ろに倒して見上げる位置にある。東京の北緯は、36度、石垣島は24度。12度も高い位置にあることになる。一方南の空は、12度分多く見られることになる。最も劇的だったのは、竜骨座のカノープスが、燦然と輝いていたことである。全天でシリウスに次いで2番目に明るい一等星だ。東京では地平線ギリギリとなってほぼ見られない。徐々に、満月に近い月が高くなってくると、もはや星の姿は、月の圧倒的な明るさで、徐々に霞んでくる。

2。石垣島一周

7時半朝食。東海上に大きな雲。テレビによると、関東は5月並みの気温(22度)だという。9時前に出発。島の北端を目指して北上するが、行き過ぎて、東北端にある馬の放牧地にたどり着いてしまう。ここでは、小柄の馬、与那国馬が飼育されている。ご夫婦だろうか、若い男女が働いている。馬の体を拭いていた若い女性と会話する。ここで面倒を見ている馬は、観光用に飼育されるのが大半のようだ。ここから、東海岸沿いに、放牧地を抜けて南にオフロードの道が続いているという。ロードバイクで走るのは無理で、マウンテンバイク用のコースだという。

道を戻り、島の最北端にある、平久保埼灯台に10時ちょうどに到着。4台ほど車を止められる駐車場があり、ちょうどいっぱいになる程度の車の出入りあり。小高い岩山があり、「のぼるのは危険」と注意書きがあり、禁止と書かれていないのが面白い。登ってみると、西から北、東と海原が眼前に広がり、眼下に最北端に設置された灯台が見下ろせる。

平久保埼灯台


10時半に出発。風が爽やかだが、日差しは強い。
11時半、野底集落で水分補給の小休止。昨晩泊まった宿の近くまで戻って、島の西側へたどる道に左折して入る。ほぼ無風。車も少なくて走りやすい。
12時ちょうどに、「茶房うたき」という食事処を見つけ、そこで昼食にする。八重山そばとジューシーという混ぜご飯のセット1600円。この辺りは食事できる所が少なく、どこもすぐに満席になるようだ。

八重山そばとジューシー


13時発。14時40分に川平(カビラ)湾公園到着。人があふれている。今回の旅で初めて観光地らしい観光地に来た。エメラルド色の入り組んだ湾の眺望が良い。「黒糖氷ぜんざい」500円を食す。黒糖は西表島産。なぜか沖縄では"かき氷"のことを"ぜんざい"という。4年前に沖縄本島を自転車で一周した際に、北部の国頭(くにがみ)村の食堂で初めてそれを見て、びっくりした。「ぜんざいあるよ」とおばあさんに声をかけられて、注文したら、かき氷が出てきたのである。

14時45分出発。南部の海岸沿いに出て東に走る。干潮らしく、遠浅になっている浜にはマングローブ林があらわになっている。パイナップル農園を過ぎたあたりから内陸に入り、石垣市と海が展望できるという「エメラルドの海が見える展望台」をめざして緩やかなヒルクライムになる。あたりにパイナップル農園が目につくようになる。あまり知られていないようだが、石垣島には台湾からの移住者やその子孫が暮らしている。石垣島でパイナップル栽培を始めたのは彼らだという(※)。400人を超える移住者たちは、当時の石垣島の島民たちからは差別され、虐げられながらも、未開のジャングルに分け入って農地を開拓し、必死に生きた。日本国は琉球王朝のちには沖縄県の人々を、琉球王朝は宮古・八重山諸島の人々を、八重山諸島は台湾人たちを差別虐げてきたという差別被差別の連鎖の歴史に深く思いを致すことは至難の技であろうか。それにしても、いったい彼らは、マラリア蚊のいる森林をどうやって開拓したのだろう。

(※)「海の彼方(After Spring, the Tamaki Family...)」黄インイク(Huan Yin-Yu) ;石垣島に暮らす玉木玉代おばあの”最後の里帰り”を通して、日本、台湾、沖縄の歴史を振り返る珠玉のドキュメンタリー作品。
「石垣島で台湾を歩く もう一つの沖縄ガイド」沖縄タイムス社 ;観光ガイドに加えて、次のような、知られざる、八重山の開拓史、八重山の「戦争マラリア」、台湾から渡ってきた人たち、台湾へ渡って行った沖縄の人たちについて知ることができる。なお、水牛も、パイナップルとともに、台湾からの移住者が農耕用に持ち込んだものと言われている。現在は、一部で伝統的な有機農法に用いられている他は、農耕用としての役目を終えて、観光用として親しまれている。

15時半、戦争マラリアの碑があるパンナ公園南入り口前に到着。碑の前で手を合わせる。先のアジア太平洋戦争で本土の盾とされて、4人に一人が犠牲となった沖縄本島の悲劇については知らない日本人はいない。しかし、「戦争マラリア」の悲劇について知る日本人は少ないだろう。
今年2023年6月23日「慰霊の日」に、「戦争マラリア」の犠牲者3600人あまりの人々を追悼する式典が、ここ「戦争マラリアの碑」の前で行われたことをNHKが報じている。「軍の命令には逆らえず多くの住民の犠牲が出た。マラリアを憎むとともに、マラリア有病地へ強制移動の命令を下した旧日本軍の行為は八重山住民に対する犯罪行為だったと私は思っている」という遺族会の唐眞盛充会長の言葉に、この悲惨な出来事の全てが凝縮されているように感じる(※)。

(※)「戦争マラリア」については、次の資料に詳しく紹介されている。
(1)「沖縄 戦争マラリア 副題:強制疎開死3600人の真相に迫る」大谷英代
八重山諸島の最南端「波照間島」で、沖縄戦の最中に軍命で行われた強制移住と、それによって引き起こされたマラリアによる住民の大量病死の事実を明らかにした著書。この作品をもとに、同じ琉球朝日放送記者で先輩の三上智恵と共同で製作したのが、次のドキュメンタリー映画。
なお、著者の大谷英代は1987年生まれで2012年早稲田大学大学院政治学ジャーナリズムコース修士課程を修了し、2018年フルブライト奨学金制度で渡米。”若い感性とエネルギーが、戦後半世紀以上フタをされてきた悲劇”を人々の前に明らかにした。

(2)「沖縄スパイ戦史」三上智恵, 大矢英代 2018年
波照間島だけでなく、石垣島を含む八重山諸島での「戦争マラリア」の話がかなり詳しく取り上げられている。
戦後70年以上経って、二人の若い女性が追究、調査してこうしたドキュメンタリー作品にまとめなかったら、沖縄の離島が被った重大な悲劇の一つの真相が広く知られることがなかったかもしれないと考えると、この国はどこか決定的におかしいのではないかと感じざるを得ない。

*** 以下、作品解説から紹介 ***
米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。北部で展開されたゲリラ戦やスパイ戦などに動員されたのは、まだ10代半ばの沖縄の少年たち。彼らを「護郷隊」として組織し、「秘密戦」のスキルを仕込んだのが「陸軍中野学校」出身のエリート青年将校たちだった。さらにある出身者は偽名を使い、学校の教員として離島に配置された。身分を隠し、沖縄の各地に潜伏していた彼らの真の狙いとは。そして彼らがもたらした惨劇とは…。(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会
*** 以上、作品解説から紹介 ***

戦争マラリア犠牲者慰霊の碑

この「戦争マラリア犠牲者慰霊之碑」の前から、今回のツアー最難関の、ヒルクライムに挑む。山頂にある「エメラルドの海が見える展望台」への上り約1km、標高差120mは、斜度12%の標識が立っていた。通常、6%の傾斜までなら、経験的に登り続けることが可能で、10%になると短い距離しか登りきれない。12%で1kmはほぼ不可能のヒルクライムだ。しかし、今回のツーリングで、唯一の厳しい上りであり、かつ今日が実質的に最後の走りであることから、やるだけやろうという意気込みだけは強かった。やはり厳しい上りだった。しかし、息絶え絶え、よろめきながらも、足をつかずに何とか登り切ることができた。相棒は、最初から諦め気味で、途中で足をついてしまい、だいぶ遅れて山頂へ到着した。

展望台からは360度の展望が楽しめる。南の眼下に石垣市の中心街が見下ろせる。西表島やその他の小島が海を挟んで間近に見える。曇り空であったことから、エメラルドに輝く海は見ることができなかった。

「エメラルドの海が見える展望台」

16時半に出立。山を下ってすぐのところに、鍾乳洞がいくつかある。最初に「八重山鍾乳洞」に立ち寄ってみたが、ひっそりとしていて人の気配が全くなく、かつ入場料が2000円ということで、その隣にある「石垣鍾乳洞」に回ってみた。こちらは1200円で、観光客の出入りがある。この鍾乳洞は、全長3kmほどあるようだが、そのうち500mが観光用に辿れるようになっている。狭い空間だが、様々な形状の鍾乳石や景観が迷路のように続く洞窟の内部に展開しており、なかなか見応えがあった。

17時半出発。まだ太陽は高い。石垣市の中心街、フェリー乗り場に近い場所にある宿に到着。今回も、ワクチン接種3回以上の証明提示で、全国旅行支援の宿泊費補助と、地域クーポン券が利用できる。夕食も、このクーポンが利用できる、フェリー乗り場近くの海鮮居酒屋「サバニ船」で夕食をとる。お昼を取った食事処もそうだったが、このお店も、人手が足りないのでお客の数が制限されているという。15分ほど待たされて入店。一人千円のクーポンを使って、地元の食材を中心にした料理を楽しむ。

石垣島近海ものの握り

             *** 終わり ***


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