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沖縄先島諸島サイクリング旅(西表島編)

1。石垣島から西表島へ

7時から、ホテルにてビュッフェスタイルの朝食を済ませる。7時45分ホテル出発。8時半、西表島大原港行きのフェリー出発。晴れ。今日も強い日差し。
9時15分大原港着。港は結構賑やか。小さな子供をのせた乳母車のような荷台をロードバイクの後ろにつけて走っていく夫婦の姿がある。うーん、すごいなあ。石垣島から、ロードバイクで西表島を走りに来たというたくましい若いお兄さんの姿も。前日、石垣島の北部で工事関係の仕事をしていたので、わたしと旅の相棒のロードバイク姿を見たという。

2。西表島 端から端まで

9時45分ごろ出発。予定にはなかったが、南岸沿いを西に向かって、道の行き止まりまで行くことにした。西表島は南側が険しい山が海に迫っていて、一周する道はない。走れる道は、端から端まで走っておこうという意図だ。約6kmほど走ると、「南風見田(ハイミダ)の浜」(※)というところで行き止まりになる(10時10分)。人気(ひとけ)は全くない浜だが、漂着ゴミは多く、中には、ガラス瓶のかけらも混じっていて、とても危険だ。なお、この浜への入り口に建てられている碑で知ったことだが、この地は、「イリオモテヤマネコ」が発見された地だという。地元の中学生が偶然発見したのが、1960年ごろと結構最近のことであった。

※旅から帰った直後、NHKで「テントを背負って ”西表島で洞窟を探す”」という番組が放送された。30年前から沖縄で洞窟を探検している50代の洞窟探検家が登場。洞窟探索は、この浜から始まっていた。西表島には100以上の洞窟があり、この探検家が30年前に発見した洞窟が最大のものだという。
また、旅から帰ってから、生活の一部になっている書物渉猟で出会った次の本から、この土地が、「石垣島編」で紹介した「戦争マラリア」の悲劇の土地の一つであったことを知った。
「沖縄戦 久米島の戦争 副題:私は6歳のスパイ容疑者」久米島の戦争を記録する会編(2021.1.30 )
この本の中に、「離島残置諜報部員」という章があり、各島々での諜報員による工作の実態が明らかにされている。その中に、波照間島に関する次のような記述がある。

中野学校卒の酒井軍曹は、山下虎郎の偽名で波照間の国民学校に赴任。1945年小学、石垣島の司令部へ呼び出され、「波照間の全島民を西表島へ疎開させよ」との命令を受ける。・・・渋るものには抜刀して脅迫したり、「井戸に毒を入れる」と脅して、強制疎開させた。西表島で最も悪質なマラリア有病地帯であった南風見田(ハイミダ)地区に居住させられた波照間島の住民は、1590人中477人が死亡した。帰島後、食糧不足、栄養失調で死亡した住民も少なくない。疎開に一貫して反対していた識名校長は、この地に「忘勿石 ハテルマ シキナ」と十文字を刻んだ。

「沖縄戦 久米島の戦争 副題:私は6歳のスパイ容疑者」

この地を訪れた時には、この石碑「忘勿石」の存在に気がつかなかったのは迂闊だった。

10時25分出発。10時10分、マングローブが眼前に広がる浅瀬の前で休憩。日本最南端の「西表温泉」に入るつもりで走っていたが、ここで、ネットで調べて見たところ、なんと、数年前に閉鎖されたということが判明。諦めるしかないが、次は、昼食場所をどうするかが懸案となる。しばらく走ると、ジャングルホテル「パイヌマヤ」という高級リゾートが現れ、他には食事処はありそうにないので、ここのレストランにて食事にする。12時ちょうど。メニューの選択肢は3つくらいしかなかったが、その中で、「黒紫米のタコライス」を注文。この「タコライス」が沖縄人のソウルフードだということを知って驚く。なぜ、メキシコ由来の「タコス」と米の組み合わせが沖縄人のソウルフードなの? その場でネットで調べて、その由来を知った。ベトナム戦争当時、戦場へ行き来する米軍兵士相手に、簡単で、安く作れる料理を、基地の近くの食堂の店主が発案したのが始まりだという。

タコライスとの"出逢い"

13時15分発。立派な舗装道路が続き、車の往来はほとんどないのでとても快適に走ることができる。この時、今回のツアーで一番早い最高速度55kmが出た。
13時55分、上原地区の宿に到着してチェックイン。荷物を部屋に置いて、西の行き止まりである白浜(漁港)まで往復することにする(15時40分発)。白浜までも、立派な道路が続いており、車の通行はほとんどない。
16時40分白浜着。同行者が3年ほど前にこの地を訪れたときに見つけて立ち寄ったというカフェへ。4時閉店だったが、まだお店のオーナーがいらして、飲み物だけならOKと中に入れてくれた。ベトナムコーヒーとバスクチーズケーキを注文(ケーキもOKだった)。お店の店主の女性としばし会話を楽しむ(※)。

 ※北海道から20年前に移り住んだ。3年前からカフェを開いている。北海道では、ベトナム料理店に勤めていたことがあり、その縁で、ベトナムやベトナム料理に興味を持つようになり、魅了されるようになった。店のお皿やカップなどの焼き物にセンスの良さやこだわりが感じられる。ベトナムのコーヒー茶碗セット、今はモロッコに住んでいる日本人の陶芸作家の作品などもある。西表島の焼き物もあり、これは、やはり北海道から移住してきた人の作品だという。お店の名前は、”Nanasi Caphe(aとeには^がつく)”。お店の前のデイゴ(沖縄県の花)の大木の前で記念写真を撮らせていただく。

ベトナムコーヒーとバスクチーズケーキ(美味)

もと来た道を上原まで戻る。夕飯は、近くの地元の食堂へ。メニューの一番上にあった「ハンバーグ定食」を、オリオンビールとともにいただく。(翌日のカヌーツアーのガイドに、この「ハンバーグ定食」がおすすめだといわれた)

沖縄ならではの”ハブ”ボール

食事から戻るときには、道は真っ暗になっていて、足元がおぼつかないほど。空を仰ぎ見ると、満点の星空。天の川がきれいに見えるのに感動する。南の空の低い部分はジャングルで視界が効かず、かろうじてカノープスまでは見えるが、南十字星を見ることはできない。カシオペアと北斗七星が西と東に、北極星を挟んで大きな姿で対峙している。この時思い出したのだが、「西表温泉」が閉鎖された代わりに、南の海岸ぞいに「カンパネルラの湯」という温泉施設ができていたのだ。今朝、南風見の浜に行く途中にあったはずだが、うっかりして見落としてしまっていた。この「カンパネルラの湯」からは、南は海しかないので、南十字星を含めて本土では見ることができない南天の星々が一望できるはずだ。いつの日か訪れて、カンパネルラとジョバンニが銀河鉄道に乗って眺めた、あの南の星々を眺めてみたい。
 

3。カヤック

7時起床。今日も朝から晴れ。強い日差し。8時に近くのカフェで朝食。勘違いをしていて、8時半から開店だったが、お店に入れてくれた。波照間黒糖がかかったフレンチトーストとともに、「西表の少年」という琉球ニッキ茶(無色透明)を飲む。シナモンティーの一種だという。

フレンチトーストと「西表の少年」という琉球ニッキ茶(無色透明)

9時15分に、昨日申し込んだ「カヤック+トレッキング&滝壺水遊びツアー」のピックアップあり。車で川の上流に登っていく。カヤックツアーの出発点は決まっているらしく、行き着いた先の駐車場に何組ものツアーが集まっていた。ここから、川縁に降りて行き、デポされていたカヤックに乗る。なお、ツアー名は、大半が”カヌー”となっているが、実際はカヤック。これは、カヤックというと普通の人には、イメージが湧かないためだという。我々のツアーは、結局我々二人だけであった。ツアーガイドは、岐阜県出身で西表島在住20年というYさん。移り住み始めてすぐに、この仕事についたという(※)。カヤックは、以前に横浜のモンベルで海を使った講習会を受けたことがあるが、実際にフィールドに出るのは初めて。両岸をマングローブの林に覆われた川は、ほとんど流れがなく、さらにこの日はほぼ無風だったので、漕ぎやすかった。カヤックには、漕ぎ方にコツがあり、上半身しか使えないのだが、できるだけ腰から回転させながら、オールを左右に八の字型に回すのが、効率的で腕が疲れにくいようだ。

(※)西表島の大半は、特別保護区になっていて、資格のあるガイド付きでないと入れないのだという。町の講習を受ければ個人でも入れるようになるが、受講は数日を要するようだ。

カヤックを漕ぐ

いったん海に向かって下り、河口近くで、主流の幅広い川に入り、上流に登っていく。しばらくすると、彼方の断崖にかかっている大きな滝が見えてくる。沖縄県下最大の滝「ヒナイサーラの滝」だ。マングローブは、大半がオヒルギで、メヒルギは非常に少ないという。両者は形も大きさもかなり異なる。カンムリワシが空を飛び、オオゴマダラ(語源は黄金マダラ)をはじめとする蝶が川面を舞う。夜になるとオオコウモリが飛び交うらしい。イリオモテヤマネコは百頭くらいしかいないらしいし、用心深いので滅多に人前に出てくることはないという。アカショウビンも沖縄の鳥として有名だが、夏の鳥で6月ごろに飛来する。サガリバナの林があったが、夏のある晩に一斉に花を咲かせたかと思うと朝までに一斉に散ってしまう。神秘的なこの花を見るナイトツアーもあるという。野鳥の中では、ヒヨドリの仲間、イシガキヒヨドリが圧倒的にけたたましく鳴き交わしている。他に、朝顔の一種、リュウキュウアサガオ(イリオモテアサガオ)は、”はびこる”という表現が似合うほどどこの道端にも多く見かける。カヤックを岸につけて、「ヒナイサーラの滝」を目指して、ジャングルの中を登っていく。日本最大のオオヤスデにも出会う。20分ほどで滝の直下、滝壺の前に出る。ここで滝を見ながら、ひと休みし、少し早いお昼を食べる。ツアーに含まれているお昼は、ソーキソバ。八重山そばに豚バラ肉が入ったもの。なかなかの味。汁は豚骨からとったスープで、だしの素も加えているという。元来た道を戻り、カヤックも元来たコースを逆に辿って1時に駐車場に帰還。

ヒナイサーラの滝
ヒナイサーラの滝を背景に
ギランイヌビワの木と実

(※)石垣島と西表島を中心とする八重山地域には、豊かな自然が残されており、固有種の動植物が多く見られる。ヒナイサーラの滝壺で休憩した時に、その横で目にした「ギランイヌビワ」もそのうちの一つのようだ。本土でもよく見られる「イヌビワ」と同様、(ビワではなくて)イチジクの一種だが、「ギランイヌビワ」は、実(正確には花が内部に詰まった花嚢)が幹に直接成るので、ちょっと異様だ。オオコウモリがよく食べる実だという。この植物は、イヌビワコバチとの共生がユニークなので簡単に紹介しておきたい。
イヌビワには雄株と雌株がある。イヌビワコバチ(雌)は、雄株の実に潜り込んで卵を生む。中で孵化したオスは羽がなく、同じ実の中で羽化したメス(羽がある)を探して交尾する。オスは、そのまま実の中で死ぬ。メスは、花粉を体につけて実から出て飛んでいき、イヌビワの実を探す。もし、雌株の実を見つけて中に入ると、羽を落とし、体につけてきた花粉を中の雌蕊に受粉して、寿命を終える。一方、雄株の実に出会うと、中に入って産卵し、寿命を終える。なんと精妙な”共生関係”なんだろう。この仕組みが、突然変異と自然淘汰で作り出されたなどといわれても、いったいどれほど説得力があろうか。
ということで、熟したイヌビワの実の中には、必ずイヌビワコバチの死骸が含まれているので、食べる際には御用心。

(※※)西表島の最高峰は、島の西部にある古見岳(こみだけ)、標高470m。ヒルや大型のダニが多くて、登るのは結構厄介だという。

            *** 終わり ***

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