母校の学園祭で気付かされた事

 先日、僕は卒業以来、3ヵ月ぶりに母校の高校に行ってきた。今年、妹がその高校に入学した事もあり、母校の学園祭に行ってきた。

 学園祭は、金曜土曜の2日間行われる。1日目は、演劇や合唱が行われる文化祭の的な立ち位置だ。一方で2日目は、競技や応援・ダンスだったりアクティブな要素が含まれた体育祭だ。2日間も立て続けに行事を開催する母校は、入学以前から面白いと思っていた。
 私は、1日目について書かせてもらう。

 その日は、金曜日という事もあり、保護者や卒業生があまり居なかった。僕は大学が1限のみという事もあり、終わり次第急いで向かった。急ぎ過ぎて、いくつか荷物を教室に置き忘れてしまった。誰からも指摘される事はなかった。何か寂しい。
 母校に着き、会場に入ると休憩時間だった。現在は、演劇の時間で他連合との入れ替わりや換気を行っている最中だった。会場では、過去に授業を受け持ってくれた先生方が見受けられた。どうせ覚えていないだろうと、早歩きで座席に着いた。この時は、5連合中2連合の公演が終了しており、僕は3公演目からの観劇となった。演劇が始まる前の舞台には、2つの照明が当てられたリーダーの前口上が入る。リーダーの震えた声から、かなり緊張している事が伺え、とても初々しかった。どの公演もストーリーが面白く、更に本当に学生かと疑いたくなる様な迫真の演技を見せていた。練習期間は、およそ2週間。中には、殆んど1年生で編成された公演もあった。3年生になった時の化け具合が楽しみで仕方がない。午前は、演劇で幕を閉じた。

 午後は、合唱が行われた。これは、3学年全員で披露され、各連合90名近くの生徒が壇上に並んでいる姿は、迫力がある。
 僕は、母校の学園祭で、合唱に一番思い入れがある。それは3年の時に、連合でテノールのパートリーダーを担当したからである。僕は、元々やりたかった訳ではなく、合唱リーダーに頼まれたからである。その理由は、真面目かつ特に仕事を担当してなかったからである。音楽知識ゼロ、仕切り力ゼロ、コミュ力ゼロ、“今までの人生で出会った事が無い”と言われる程に音痴である自分がよく全学年の前で指示を出していたなと、たまに回想する。しかし、これを乗り越えられたのは、周りが助けてくれたからだ。勿論、そんな自分が頼りなさ過ぎる事が大前提にあるのだが、周りの温かさや現状の自分に泣き出しそうになる夜もあった。本番前日の合唱練習での完成度の高さに、合唱リーダーが涙した事もたまに思い返す。本番は、順位で言えば残念な結果になったが、合唱に関わった時間は、強く記憶に残っている。

 そして、話は現在に戻り、合唱が始まった。率直にスゴかった。迫力や各々の声の強さを感じた。およそ2週間と短い期間にしては、クオリティが高すぎる。もう、これを越える年は無いのではないかと思ってしまった。今回は初めて観客として合唱を観ていた。今までは、自分たちの順番まで気が気でなかった分、純粋に楽しめていなかった。“ここには勝った。ここには負けた。”と常に勝ち負けしか考えていなかった。

 最近の僕は、自分本意な人間だった事に日に日に気付かされる。常に“自分の為”ばかりを気にしている。あの時の合唱も自分ばかりを気にしていて、“みんなと歌声を合わせる”よりも“自分の歌声は合っているか”ばかり考えていたかもしれない。音痴である事は間違いないが、あの時は自身の協調性が大きく欠けていて、音痴により磨きが掛かっていたかもしれない。自分ひとりが全体に影響した事はおそらく無いと思うが、これが結果の要因の一つになったのではと、ふと思っていた。

 2日目は、運動会が行われる。選抜リレーや騎馬戦、タイヤ取り等。更には各連合によるダンスパフォーマンスの披露。全体を通して激しい動きが繰り広げられた。1年競技の台風の目で、メンバーの有り余ったエネルギーで吹き飛ばされる生徒がいた。3年競技の学年リレーで、上位だったが転倒してしまい、他連合に追い抜かれていた。そう言った瞬間を目撃する度に心配になり生徒に駆け寄りたくなる。それを行動に起こすと不審者になるので流石に出来ないが、衝動が駆け巡る。2日間は常に保護者目線で居たような気がする。

生徒が全力で歌っている、走っている姿は美しかった。高校生活という限られた時間の中で懸命に取り組む姿勢に目を惹かれる。
これが青春だと確信した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?