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№778 諦めるなー!と怒鳴られても。

 「諦めるな、頑張るんだ!」という台詞は、
人を激励する応援の言葉として、
誰もがなんの躊躇いもなく使っているはずです。

ボク自身は、あまり言われたことがないけれど、「根性もの」と呼ばれる漫画やドラマでは、
怒鳴りつけるような迫力で、
この言葉を相手に投げつける。

これを聞いた方も歯を食いしばって、
再び立ち上がるのです。

まあ、ドラマだから、こんなものでしょう。

だいぶ時代が古いかもしれないけれども、
今は、もっと優しく指導するだろうし、
もっと相手を煽てるような言葉が好まれるでしょう。

たとえば「自分を信じるんだ」
「君の才能はこんなものじゃない」などです。

ボクは、言われたことがないけれど……。

そういった人間ドラマは、この際どうでも良い、
とボクは考えています。

ボクは「諦めるな」と人から言われたことがない、と書いたけれど、もしかしたら、あったかもしれない。

少なくとも、覚えていないことは確かです。

そもそも、ボクは諦めたことがあるだろうか?

五秒間ほど考えてみたのですが、心当たりがありません。

諦めるって、どんな状況をいう言葉だろうか。

やらないと決めるだけでは、諦めたとはいわない。

作業の途中で放り出すこと?

少し違う気もする。 よくわからない。

知人が「世の中の人は、どこかで挫折を味わう。年齢を重ねたときに、夢が叶わないと諦めることになる。そのときに、どう自分と向き合うのか、つまりどのように諦めるのか、という理屈がほしい」と言っていました。

そこで今一度振り返ってみれば、
たしかに、仕事でならば何度も諦めたことがありました。

しかし仕事以外では、ボクは執念深い人間なのか、諦めるようなことがなかったように自覚しているのです。 

これは、何故だろう?

まず考えられる理由は、仕事には時間制限があるからだと考えられます。

一般に、どんな仕事でも期限というものが設定されていますよね。

その中で自分にできるかぎりのことをするわけですが、
結局は、その〆切にしたがって、なんらかの見切りをつけるしかなくなる。

つまり、諦めて「完成しました」と成果を差し出すことになるのです。

だから、仕事には「諦め」がつきもの、
あるいは必要といえるわけです。

諦めないと、ずるずるといつまでも作業に拘ることになり、
「〆切が守れないやつ」というレッテルが貼られ、信頼を失う事でしょう。

また、自分の生活においても、
他者との共同作業が多々あるはずです。

特に、家庭を持っていたり、
ある地域内で協調を求められたり、といった場合、約束、マナー、ルール、仕来りなどに制限されて、
自分勝手なことをしていると反感を買い、
めっちゃ酷い目に遭います。

だから、自分は本当はこうしたいのだ!
と考えていても諦める必要が当然あるのです。

それでも、それは人生のすべてではありません。

つまり他者に関わりのない時間においては、
いちおう自分が思うとおりにできるはずです。

犯罪行為や他者に迷惑をかけるようなことは避けなければならないのですが、
自分の楽しみの範囲であれば、
誰にも文句を言われる筋合いではありません。

自分の時間ならば、我慢をする必要もないから、
なにかやりたいことに向かって、
思うとおりに突き進むことができるはず。

この場合は、「諦め」とは無縁だといえます。

諦める必要はありません。

ただ、自分で納得して、
諦めた方が有意義だと判断したときに限っては、
諦めても良いでしょう。

絶対に諦めるな、という道理はないです。

それは「諦めた」といえるのか?

さて、「諦める」ことについて、
もう一つボクが常々感じることがあります。

それは、世間一般の人たちが、
口では「諦めた」と言うわりに実際には諦めていない、という観察です。

なにしろ「もうあれは諦めた」と何度も言う訳です。

諦めたなら、その話はやめたらどうか、
とボクは思うけれど、
たいていは黙って話を聞いています。

何故ならボクは人の話を聞くことが比較的好きだったりして、
人間というものを観察することが趣味だといっても良いレベルです。

話を聞いてるうちに判明するのは、
その「諦めた人」が何を諦めたのかというと、
「憧れる」ことを諦めたにすぎないという事実。

そういう場合がほとんどです。

つまり、「思う」ことを諦めただけなのです。

ボクは、その程度の行為は「諦めた」に含まれない、と考えていて、
「諦める」というのは、なんらかの作業を途中で止めざるをえない、と判断することです。

とことん考えて、綿密に計画を立てたものを断念するのなら、
「諦める」ということができます。

ただ「やりたいなあ」と憧れているだけの段階では「諦める」ことはできない、とボクは考えます。

ようするに「諦めた」と口にする人の大半は、
諦めるほどのレベルに達していないのです。

だからいつまでも「諦められない」状況が続いて、未練がましくなっているのではないかなあ、とも分析できるわけです。


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