高校1年生の頃の話

<文字数:約9000字 読了目安時間:約18分>

高校入学
 僕(エス)は新しい高校にいた。母と一緒だ。入学式の後、各教室をまわりながら、購入する教科書を決めたり、上履きまたは体育館シューズを買ったりしている。他の生徒とその親御さんが、列をなしゆっくり進んでいく。高価な教科書を沢山買う事になる。カタログを見て母は「高いなあ」と笑う。この投資は自分の教養、ひいては将来のためになるのだと思うと同時に、やがて稼げるようになって親に還元できるようになろうと思った。

同級生の手招き拒否
 最初の日が終わり、僕は一人で下校していた。校舎から出て、しばらく進むとすぐに見晴らしの良い田んぼがある。その田んぼのそばの道を歩いていて、道を曲がった時に気が付いた。学校の方から遠くに「おーい」と言わんばかりに僕に手を振っている3人の少年達がいる。同じ中学出身の同級生だ。顔を知っている。視力には自信があったからこそ見える。彼等は遠くで
「こっちに来いよ、カモン。おいでおいで」
というジェスチャーをしているように見える。帰り道は分岐していて、確かに彼等のいる方からも帰ることができる。選択肢は2つ。一つ目は今すぐに彼らの元に駆け寄る事。二つ目はこのまま自分の帰り道を帰る事。僕は葛藤した。初めての学校で初日に話し相手が欲しいのは当然だと思う。少しでも知っている人間と関わりたいと思うだろう。彼等の事は嫌いじゃない。いい人たちだと思う。僕が加われば、同じ中学出身の男子グループの群れが完成するだろう。一瞬の間はあったが、僕は何故か、背を向けて一人で帰ることにした。彼等を無視した事に後悔の念が湧いてきた。なぜそんな事を?と聞かれても、説明する事は難しい。群れるために、飼い主を見つけた犬みたいに走り出すような真似をするのがみっともないというような、要するにプライドだったのかもしれない。僕は別に一人でもいい。それをわかってほしいというささやかな抵抗なのかもしれない。僕の選択は、少しでも苦しみを感じないように選んだものだが、その結果それなりの苦しみがどうしてもあるのだった。

部活には入っとけ
 父が僕に言った。
「部活には入っとけ。絶対に人生に良い影響を与えるから。今はわからんかもしれんが大人になれば分かるから。仲間と一緒に協力して、何かを為し遂げる経験が大事なんだから。」
間違ってない気がする。部活に入る必要性は確かに感じていた。部活動を通じて、人と関わるのが下手なコミュニケーションスパイラルから脱する事ができるかもしれない。ではどこに入るか?宇宙や惑星に興味があり、天文部を考えた。しかし入部方法がわからない。部室の扉を叩いて、入部したいですと言えばいいのか、先生に言えばいいのか。なにもヒントが無かったと思う。中学の頃もそうだったような気がする。もしクラスの全員に用紙が配られ、そこに記入すれば自動的に入部届として提出されるようなシステムだったらよかったのに。こういう外的な強制力がなければ他者の中に積極的に入っていけない。結局僕はまた「帰宅部」になった。父には「勉強に専念するから」と説明した。

春休みの宿題の量が多すぎる
 宿題のあまりの多さに驚いた。この高校は進学校というだけはある。つくづく宿題というものは自由な時間を奪ってくれる。家での時間も限られているのに。積んでるゲームを消化するとなると、一日に無駄にできる時間などない。最初のテストはこの春休みの宿題をもとに出題されるらしい。ここで僕は本気で全問正解の勢いで挑もうと思った。興味の無い事を大量に覚えるのは簡単ではない。僕は宿題の冊子を手に持って部屋を歩き回りつつ、ブツブツ小声で音読した。そろそろあの項目を忘れた頃だと思ったら、ページを遡り、もう一度同じことをする。それを毎日2時間は続ける。頭が痛くなってくる。これが自分なりの記憶法だった。その結果、全問正解とは行かなかったが、クラス一番の得点をとった。

ゲマ君
 ゲマ君は高校で初めて出来た友人だ。たまたま隣の机だった。新しい学校の最初の日の、四面楚歌ともいうべき誰も知らない状況。誰も友達がいない。クラスには約30人、知り合いもいないし、おそらく周囲の生徒も同じ気持ちで、いち早く友達を作らなければ、自分の精神の安心は得られない。そんな状況だ。隣の席の男子と友達になれないだろうか。そう思って僕は話しかけた。彼は僕にリアクションをしてくれた。話していると、僕以外の人とはあまり話さず、人と目を合わせようとしない。だけど、それが僕の興味を引いた。同類かもしれない。彼はゲマ君という。僕とゲマ君は、ずっと一緒に行動することになった。話し相手が一人でもいる事は、精神的に大きな救いであった。

ゲマ君のネガティブ発言
 彼はなかなかにネガティブな思考の持ち主で、ちびまる子ちゃんの永沢君のようだった。彼はこういう発言をする人間だった。
「つまらん青春だな。俺もあんたも。」
「人の多い場所は嫌だって?同感だな」
「生きてるといろいろと嫌な事が多いな」
僕はそのネガティブさは嫌いじゃなかった。好きでも無かったが。まず喋り方のテンポが遅く、会話が成立することの居心地の良さがある。だからネガティブさを許せているのかも。彼によって対照的に僕の潜在的なポジティブ思考が浮き彫りになる事も多かった。「勉強をして、世の中の役に立ちたい。」といったものだ。

ゲマ君との日常
 僕は彼との会話で、先生の口癖の法則とか、もしくは具体的にはこういう事を言った。
「たまにはバイキンマンがアンパンマンに勝って欲しいけど、実際そういう放送されたらドン引きするだろう。」
「学歴社会ってなんだろう。もしかして、本当にこの仕組みが正しいのかわからないまま、従っている奴等ばかりじゃねえか。」
「一時的につまらん青春だったとしても、人生をより良くしてくために頑張るべきだと思う。」
「評価されるって事はなにか。多数派の人々にとってインパクトのある事をやった人が評価されただけだろう。」
「世界はなるようになってる。」

ゲマ君との学校生活
 ゲマ君とはよく一緒に行動した。帰り道も自転車で途中まで一緒に帰った。学園祭のような非日常的な場面はゲマ君と一緒でないと気が休まらなかった。多分、彼も同じ気持ちで僕と関わっていたのだろう。ゲマ君はこの世に楽しい事なんて無いと言う。だけど、僕の言う事でゲマ君を笑わせる事は少なくとも可能だった。ある日、
「なんでゲマなん?ドラクエ5のボスか?」
と彼に聞いたら、彼は珍しく大笑いした。
「あ、それ知ってるか。そうだよ。」

カジ君
 車に詳しいカジ君という生徒がいた。彼はあまりにもクルマが好きすぎて、誰とも親密になれないタイプ…つまり重度の車オタクだった。いつもエンジンの仕組みの美しさとか、トヨタとホンダとマツダの思想の違い…そういう事について笑顔で、早口で、人々に語るのだ。彼はおしゃべりで、いろんな人と話していたが、誰も彼についていけなかった。様々な形の孤独がある。僕とゲマ君は彼の話を聞いた。よくわからない車の話を。しかし、やはり理解しきれない。

マエサン君
 何故か、いつも机に突っ伏して寝ている「マエサン君」という大柄な生徒がいた。ポケモンのカビゴンのように滅多に動かないが、いざ動くと、教室全体に響く声でパワフルな発言をする、今までに見た事のないタイプの不思議な人だった。陰気とも陽気とも言えない。僕とゲマ君にもまったく普通に接してくれる。クラスメイトを陽気グループと陰気グループで分類するようなのは悪い習慣なのかもしれない。なぜならこのマエサン君はそういう分類では括れないからだ。そこが面白くて好印象だ。いろんな人間がいるものだと思った。

周囲に意味不明な事を言いたい欲求
 ゲマ君と話していると、つい気持ちが膨れ上がってくる。僕とゲマ君の会話を隣でたまたま聞いた人に影響を与えたい。どうせ平凡な人間ばかりだろう。そんな人間達をわからせたい。僕の非凡な思考を少しでも周囲に伝えたい。ゲマ君との会話の中で意味不明な事を言ってみて、間接的に周囲になにかしらのインパクトを与えてみたい気持ちがある。

川野君
 同じクラスに、「川野君」というクラスメイトがいた。彼は学力が非常に高いようだ。そう思ったのは、2回目のテストの時だ。川野君はなんと全教科で1位を取っていた。僕はというと、得意科目では2位を取り、苦手科目では50位くらいを取る状況だった。
完全に敗北した。春のテストは覚えれば得点できたに過ぎない。僕が張り切ってたから得点できたに過ぎない。
。川野君は、学力が高いだけでは無かった。クラスのみんなに積極的に話しかけている。僕とゲマ君にも分け隔てなく。
 あまりにも学力の高い彼は、何故この高校に入ったのだろうか。彼はこの高校に入った理由を説明してくれた。
「ガチの難関校には女子が少ないから、進学校の中で比較的女子の割合の高いこの高校に入った」
ということらしい。優等生でありながら女好きなのも面白い。彼は皆の前で喋る時、お調子者みたいにわざと滑るような事を言って注目を集める。成績の高さの割にそういう事をするのは意外性がある。
 最も気になるのは、川野君の学力の秘密だ。どんな勉強をしているのか、それが気になる。僕は成績のいい人に興味が惹かれる部分があるのかもしれない。ひそかに川野君の生態に関心を持った。そういえば、中学の頃に成績が一番だったハリー君もそうだったが、知らない事に対して知らないと言えるし、わからない事に対してわからないと言うし、誤魔化さないし、知ったかぶりをしないし、そういう事をする気配を感じない。賢い人はそうだ。賢い人は自分を偽らない。そう思った。
 実は川野君は、あのエリート塾のメンバーだったらしい。中3の頃の優等生グループ、ナンミー君やハリー君がいたあのグループの塾だという。小学6年の頃に一瞬で掛け算を解いた、あのイノウエ君も関わってたと聞いた。なるほど、と思った。実際のところは全くなにも知らないが、例のエリートの集まりが関係しているのなら仕方ないと思えた。あのエリート塾はとんでもない。そして川野君はその中でも優秀な存在だったらしい。道理で勝てないわけだ。

物理という科目
 暗記科目については頑張ったからこそ得点できたといえる。しかし、物理のテストだけはなにか様子がおかしい。転がるボールの運動を、質量と力と加速度の関係から導出するのだが、簡単すぎる。難なく満点を取った。しかし他の皆の平均点は20点だったそうだ。どうしてこんなことが起きるのだろう。

ゲームに飽きが
 ナオキ君が「最近マリオサンシャインにハマってる」と言ってて、少し意外だった。自分もそのゲームはプレイ済みだが、64までの頃のマリオの方が明らかに夢中になれた。
 マエサン君が僕にオススメしてきたスパロボの新作をプレイしているのだが、一つのステージをクリアするのに約1時間かかるのに、それがどうやら100ステージくらいあるようだ。ちょっと時間がかかり過ぎる。ゲームをしているよりも、勉強をしている方が有意義なのではないかと思い始めた。ちょっとゲームに飽きてきたのかもしれない。

面談
 先生との面談。「君は将来どうなりたい?」これに対して僕はこう答えた。
「自分の能力で世界に貢献したい。億万長者になりたい。あと長生きしたい。」
若い女の先生は、こう言った。
「生活できるだけのお金があればよくない?私はそうんだ思うけどな~」
一理あるかもしれないが、少なくとも今の僕は、大きな夢を持っている。

夏休み
 夏休みの宿題といえば、ギリギリにならないとできない人は多い。自分もいままでは8月27日頃にようやく始める人間だった。
 だが、これからは夏休みの宿題はさっさとすませる事に決めた。すぐに終わらせてやろう。一日中「夏休みの友」と呼ばれる冊子と向き合う。無理をしてでも早く終わらせたい。畳に冊子を開き問題を解き続ける。7月中に済ませてしまえば、どれほど解放感のある8月を過ごせるだろう?それを体験してみたい。最期の鬼門は読書感想文だけだ。

感想文
 毎年の事ながら、読書感想文が鬼門となる。父の推薦で「鉄道員」と「アルジャーノンに花束を」という作品を読んだ。本当に読書が苦手なので、何度も同じ行を読んでしまって頭が痛くなる。しかしだからこそ、難しい本を読む事には未知の期待感がある。本を読めば何か良い体験を与えてくれるのではないかという期待が。「鉄道員」は、ストイックに生きた男の美学や生き様が心を打つという話なのだろうと思った。僕の心にはあまりピンと来なかった。「アルジャーノンに花束を」は、じわじわと生々しく知能が変化していく様子にゾクゾク来た。これはまあまあ楽しめた。確かに読み終わってみれば良い体験ではあった。しかし、頭を痛くしながら苦労した割には、そこまで読書に対するイメージを改めるほどのインパクトではない。僕にとってどうやら読書はエンターテインメントではないかもしれない。労力に見合うほど興味深いものを見た事が無いからだ。人生に永続的に影響のある、なんらかの気づきがあるか無いか。そこに価値を置くのが僕にとっての本との付き合い方になりそうだ。

宿題の無い8月
 7月中に全ての夏休みの宿題を初めて終わらせることができた。これからは、なにも無い8月を過ごせるのだ。時間を存分に使える時、自分は何を感じるのだろう。確かに少し気が楽ではあるが、思ったよりもなにも変わらない。宿題は無いけど、じゃあ何をする?という事が新たに突き付けられているような気がする。普通にゲームもするが、最近は昔に比べてゲームが楽しく感じない。ならばやるべきなのは受験に備えて、自主的な予習復習という事になる。時間があっても案外なにもやった気がしない。未来への不安とかそういう事が常に気がかりだ。なんだかわからないまま、8月は終わりを迎えてしまった。

望遠鏡
 将来人が住めるようになるかもしれないという火星に興味がある。星を見たい。宇宙は大きく、現実なのに空想のようだ。大きすぎて想像もできないような世界は、超越的で魅力があった。田舎にあった宇宙の学習本を借りて、好んで読んでいた。
 誕生日にはいつもであればゲームソフトを買ってもらっていたが、今回は異例で、18万円もの価格の望遠鏡を買って貰ってしまった。僕の興味関心がゲームではなく天体観測に向かった事を、親も面白いと思って乗ってくれた。
 現物が届くと、父も母も興味津々で、いろんなものを観た。実際に夜になって月を観ると、クレーターの詳細な様子を見る事ができた。夜空の中では点でしかない木星を観ると、模様がある事をかすかに確認することができた。

現代国語
 高校における国語、すなわち現代文においては「小説」「評論文」の2つのジャンルに大別される。教科書・プリント・テストに掲載される様々なテキストを読んできた経験から、僕は評論文の方が好きである。小説を心から楽しめる人の方が情緒的に優れているのだろうか?僕は情緒を理解できない人間なのだろうか?
 今までで一番面白かったのは、芥川龍之介「羅生門」だ。死屍累々の羅生門で謎の老婆と出会う展開は命の危機を覚えるものだ。その緊張感は漫画のようだった。それ以外の小説作品の大半はよくわからない。「山月記」なんて、主人公が何を苦悩して虎になってしまったのか、さっぱりわからない。ただ、作中の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というワードには何故か惹きつけられるものがあった。
 その点、評論文は人によってはとっつきにくいだろうが、理解できれば概念に説明をつけてくれる。もやもやしたものを言語化し、構造に落とし込んでくれる。それが気持ち良い。

哲学
 根本を疑うような哲学的なテキストの方が僕の性に合っているのだろう。哲学には国語の授業で少し触れられたが、自分の世界を広げてくれそうな気がするのだ。この不可解な世界に説明を付けてくれそうな期待がある。僕はわかりやすい哲学書が無いものかと図書館で探したが、うまく目当てのものを見つけられなかった。難しい本は分かる訳がない。開いてみて無理だと感じる難しい本が多い。自分のレベルでは、読める本は限られる。図書館で様々な本を好奇心のままにひとつずつパラパラしてみると、わかってくる。自分にとって明らかにわかる本と、わからない本がある。だから、わからない本をわかるようになれば自分は成長できるだろう。だが、「一生分からないだろうな」と思える難易度の高いものも無数にある。世の中にはどれだけ賢い人がいるのだろう。頭の良い人々は果てしなく遠く見えない所にいるのだろう。

成長性
 小学校の頃は、人は年齢と共に比例して成長するものだろうと予想していたが、高校生になってみると、当時の想定よりも遥かに様々な事を分かっているような感覚がある。一次関数ではなく、指数関数的に成長しているという感じだ。小学生当時の想像できる範囲の巨大な数字なんて、百兆万とか9999無量大数みたいなものだろうが、今となっては関数や冪乗や数列の概念を使って想像すらできないような数も表現できるだろう。この先、数学みたいに、想像すらできないような存在に成長することになるのだろうか。

実力テスト
 テストには大きく分けて2種類ある。定期テストと実力テストだ。定期テストは、数か月の間の授業内容の理解度をチェックするもの。実力テストは、受験を視野に入れた総合的な学力をチェックするもの。以前から思っていたけど、定期テストの点数はそこまで意味が無さそうだ。どうしてみんな、明らかに定期テストでしか役に立たない知識を得るのに一生懸命になるんだろう。確かに、競争心理を煽られて皆の学力が底上げされる意味はあるだろう。実際には、定期テストのなかにはくだらない暗記問題も少なくない。本当に人生に役に立つ学習を自分で見極める必要があるのでは。やはり受験に直結する実力テストに集中した方がいい。幸いにも僕は、定期テストよりも実力テストの方が得意だ。新しく多くの事を暗記する事は難しいが、昔覚えた事を引き出すのは簡単に感じる。短期記憶よりも長期記憶の方が得意のようだ。付け焼刃で覚えた知識はすっぽ抜けるのも早い。

川野君の憂鬱
 川野君。彼には裏表がありそうだ。陽モードと陰モードがある。明るく冗談を言う彼だが、不必要に群れる事をしない。なにか闇を抱えているような気がする。頭が良いからこその苦悩があるのだろうか。そう思ったのは、彼が僕に次のように切り出したからだ。
「俺今ちょっと落ち込んでる…なんで生きてるんだろう。理由も無く心が疲れている感じが続いてる。どうすればいい?」
突然、川野君はメンタルの調子が良くない事を僕に打ち明けた。僕は心の医者でも無いのに、正解なんて分かる訳がないが、自分なりになにか回答しようと思った。僕が思いついたのは、…時間が解決してくれるという話だった。
「………たぶん一年くらい経てば、今の苦しさを忘れるくらい立ち直ってるんじゃないか?」
「なんで?」
「………そんな風に考えると少しは楽になるんじゃないかと思ったから」
「ありがとう…ちょっと楽になった」
それほど悪くなかったと思う。人を慰めるなんてなかなか無い経験だ。

川野君の時間
 川野君はそのまま、興味深い話を始めた。
「エス君だから話すけどさあ。なんか俺、いや俺だけかなあ。何も考えずにぼーっとする時間がないとなにもできないんだよな。ぼーっとする時間が絶対に必要なんじゃないかって思う。ずっと勉強・勉強・勉強ってのは、無理だわ。」
わりと凄い事を聞いたような気がした。学年一番の川野君は、生きるためにはボーッとする時間が必須なのだと言った。僕の今までの認識では、学力アップを目指すのなら、一分一秒の時間を惜しんで常に勉強をする事が正しいあり方だと思っていた。が、そうではないというのだ。僕よりも過酷な勉強をしてきた彼だからこそ、そこに至ったのだろう。

交通事故に遭う
 冬のある日、自転車で登校中。いつものようにグイグイとペダルを漕いで進む。左側通行を守って、交差点に差し掛かる。
信号が青になっている事を確認して、それほど大きくない歩道をまっすぐに渡る。右前方から走ってくる車が急に右折、つまり僕から見れば左に曲がって来たのだが、とにかく凄い勢いで曲がりながら接近してきた。
「あーー!」
僕の右半身に強烈な衝撃が加えられ、吹っ飛ばされた。つまり撥ねられた。空中に浮かんだ僕は、今まで体験した事のない衝撃と加速度と浮遊と力積と運動エネルギーをゼロコンマ何秒かの間に感じた。一瞬、本当にもう駄目かと思った。地面にぶつかって転がり、倒れた体は動かせる。案外、簡単に起き上がれた。自転車とともに僕の体が5メートルくらい飛ばされていたが、逆に言えば5メートルなんてその程度ともいえる。車というものは案外、弾力があるのだと思った。だから吹っ飛ばされたのか。小学校一年生の頃に歯を折ったが、それとは全然ちがう。横断歩道の向こう側に、目を丸くしてこちらを観ている数人が見える。擦り傷はあるものの、体は普通に動かせる。自転車も動く。実際は大した事故では無かった。車からおじさんが出てきた。僕とおじさんが話すと、意外な事実が分かった。おじさんはなんと、僕が幼少期に仲良くしていたAちゃんのお父さんだったのだ!そういえばこんな顔だった!Aちゃんのお父さんは僕の母に連絡した。その電話を代わり、母に「大丈夫」と伝えた。

その後日
 後日、家に菓子折りが届いた。モロゾフのチョコレートだ。高級なチョコレートらしいので、せっかくだから少しづつ食べた。Aちゃんのお父さんは、事故の時点ですぐに警察に伝え、病院に連れていくべきだったと悔やんでいたようだった。僕は平気だったが、大人達の対応にもいろいろあるのかな。
 車は怖い。もし、運転手が突然ハンドルをいきなり回せば、それだけで人間の命は簡単に奪われる。車とはそういうものなのだ。この事故をゲマ君やマエサン、川野君に話してみたが、「嘘つけ」と笑われた。「本当にあったよ」と言っても、なかなか信じてもらえなかった。まあ、そうなるか。でも、実際に体験したんだ…。

高2年 https://note.com/denkaisitwo/n/n30b078fe8d98

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