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#7, 最初の特別学校が決まるまで

8歳の夏休みはほぼソファの上から動かず、ひたすらアニメを見ながら過ごしていた息子。

最初の普通学校での過剰適応によるストレス反応で、今まで出来ていたことも出来なくなり、幼児がえりをしてしまったかのうような息子を見ていて、私は毎日が不安で仕方がなかった。

私はというと、元気だった頃の写真を見ては涙し、息子が通っていた学校の前を通っては涙し、また息子と同年代の子供が楽しそうに外で遊んでいる姿を見ては涙するような毎日だった。

日本のように、普通学校では先生からの連絡なども手厚くなく、学校に行けなくなってしまった子供を持つ私たち家族は、まるで社会からポツンと取り残されているような気分だったことを良く覚えている。

そういう時に何が一番辛いかって、話しをして分かり合える人が周りにいないことだと思う。

なので、もし今不登校で苦しんでいるご家族が居れば、一番必要なのは、それを話せる場所を作ること。それは、こういうSNSの場所でもいいかもしれない。そして一人で抱え込まないこと。

私の住んでいる国でも、もちろん小学校は義務教育だ。そのため、学校に行っていないということで、自治体からソーシャルワーカーが家に視察にやってきた。

移民が多く暮らすこの国では、親が子供を学校に行かせないケース、また家で虐待のようなことが行われているケースが時々あるからだと主人は話していた。

ソーシャルワーカーの仕上げたレポートには、我が家の家の間取り、息子の部屋の様子、彼との会話のやりとり、そして私が日本人であることや、その他の私からの聞き取り調査などが長々と書かれてあった。

そして、待つこと数か月。私たちはようやく不登校支援施設を紹介された。

とはいっても、日本のように学校に行っていない子供が集まれる場所とかではなく、コンサルタントやその他スタッフが施設に滞在していて、向こうから家に来てくれるシステム。コンサルタントが次の特別学校に通えるまで支援してくれるという前提だった(普通学校は無理との判断が前提)。

今思えばなんともありがたい仕組みだとは思うのだけれど、そこにも行政の色々な落とし穴があった。

次の学校を決めるために、自分達で学校を調べていくつか訪問し、学校側の受け入れが可能であれば、それをソーシャルワーカーに報告して、そこから自治体で2週間に一度行われている審議会にかけられる。

決まった曜日の審議会に間に合わなければ、2週間は宙ぶらりんのまま。そんなわけで最初の転校先が決まるまでに、必要以上の時間を要し、やっと所属できる学校が決まったのはその年の11月だった。

続く…

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