煽る人は罪悪感を感じている理由
よく煽ったり叩いたりする人がいます。
特に誰でもいいから叩く人、一定のジャンルを叩く人、さまざまでしょう。
自分もたまに煽ったり叩きたくなります。
それこそ発作的に、しかしなんとか抑えて「なんて馬鹿なことを考えたんだ」と自分を責める。その繰り返し。
だからでしょうか。叩いたり煽ったりしている人を見るとこう思うのです。
俺は我慢してるのになんでこいつらは平気で放言できるのだ! と。
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前置きはここまでにして、なぜ自分は怒りを覚えてしまったか。
その前に、この怒りが正当なものかを考えてみる。
結論を言えば、この怒りは不当なものだ。自分が我慢していることと相手が放言していることに接点はなく、むしろここで怒って感情のままに叩いてしまえば、結局自分も同じ穴のムジナ。それどころか我慢が却って後悔につながってしまうだろう
では何故我慢し、怒ってしまうのか。これは持論だが、人には「外面」と「内面」があり、咬み合わないことでストレスや怒りを覚えるのではないかと考えている。
様々な現象・発育・トラウマなどによって自分の好きなもの、嫌いなものを学んでいく。これが「外面」。
一方で人には元から備わった考えがあります。自分が素直にとり入れられる内容や言動。これらは「内面」や「性格」と考えている。
幼少時代、勉強が嫌いという人でも無理に勉強しなければいけなかったし、体育の授業もほぼ強制参加だった。
これらに耐性をつけるのも学習だが、記憶として強く残り、フラッシュバックすれば、当然怒りをもって眼前から排除しようとする思考が働いてしまう。
「お前頭おかしいだろう」と言われて怒る人もいれば、怒らない人もいる。些細な発言で爆発する人もいる。それはどこかで発言がキーになり、我慢していた部分が噴出してしまったものではないか。
下品な言い方ですとおならやゲップ。迷惑だけど、でてしまったものは元に戻せない。
もちろんおならやゲップに罪悪感を感じる人もいれば、そうでない人もいる。
そういう人はきっと、我慢を忘れておならやゲップを吐き出すことに快感を感じているのだろう。
溜まったらすぐ出すのですからスッキリする。人の迷惑を考えず気軽に吐き出せば、自分のメンタルだけは保たれる。
ただ、どこかしこと吐き出しまくる人は当然避けられてしまう。
一般的に見るとゲップもおならも汚いものだ。撒き散らす相手のそばにいようと思う人は少なかろう。
怒りはおならやゲップと同じように考え、こっそり吐き出すもよし、信頼できる人の前なら遠慮無く吐き出すもよし。
そう考えるとネットって気軽なんですよね。ガスがたまりやすいのを認知しているひとが多いから心も寛容になりやすいし。
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