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住む場所にしばられない。東京と豊岡の2拠点生活。

ぼくら夫婦は、東京の「墨田区」と兵庫県の「豊岡市」の二拠点で暮らしています。距離にすると約650km。

コロナもあって地方移住に関心が高まり、移住や二拠点での暮らしを考えている人も多いことだと思いますが、どのようにぼくらが二拠点で暮らし、そして働いているのか、参考になるか分かりませんが、少しお話してみようと思います。

ぼくらは「伝所鳩」というお店を兵庫県の北部で営んでいるのですが、本業はそれぞれ違います。妻はフリーのフォトグラファーとして活動していますし、ぼくはサラリーマンをしながら、ウェブメディアを運営したり、フリーのウェブデザイナーとしても働いています。つまり、お店は本業の傍ら、複業としての位置づけでスタートしています。

ぼくが勤める会社は今も東京にあり、そこに在籍をさせてもらっています。いわゆるリモートワークという形で働いているのですが、今でこそリモートワークは市民権を得て、一般的なものになりましたが、この形で働き出すようになったのは、コロナよりも前の今から3年前。当時はリモートワークを近所の人に説明するのにとても苦労した覚えがありますが、今では当たり前のものになり、とても働きやすくなりました。

2拠点間の行き来

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どのように2つの拠点を行き来しているかと言うと、コロナ以前は1~2カ月に1度のペースで東京へ行き、仕事量によって前後はしますが、滞在はおおよそ2週間ほど。その間、夫婦でそれぞれの仕事をこなしたり、対面での打ち合わせや、会いたい人に会い情報交換をしたり、家の掃除などメンテナンスをして、またこっちに戻ってくるという生活をしていました。

その頃の移動はもっぱら飛行機。最寄りの但馬空港から伊丹空港を経由し、羽田空港から墨田区へと向かう。早ければ4時間ほどの道のりです。欠航率の高い但馬空港に何度も苦戦させられたこともありますが、この頃の移動は割と大変ではなかったように思いますし、墨田区という町がとても好きで、自分たちが自分らしくいられる場所。これからも大切に関わっていきたいなと思って、頻繁に足しげく通っていたので、この頃の年間の飛行機搭乗回数は60回を超えていました。

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しかし、コロナによってその生活は激変します。行き来できる回数は一気に減り、飛行機などの公共機関は使えないので、移動は全て車に変更。

最初は片道650kmなんて途方もない距離に不安もありましたが、飛行機のように早めに予約をしたり、決められた時間に空港に行く必要もなく、好きな時間に出発ができたり、荷物も乗せられる車での移動は慣れてしまえば悪くないなと思っていました。

しかし、ノンストップで東京を目指しても片道約9時間(休憩時間を入れると大体12時間くらい)往復で18時間を一人で運転するのは(妻は運転が苦手なため)、体力的にも精神的にもかなりの負担があり、疲労はジワジワと蓄積し、この生活を始めて2年が経とうとした頃に、遂に体が悲鳴をあげ始めました。

最初は肩こりが酷くなる程度でしたが、徐々に行き来した翌週は体のふしぶしが痛くなり、体調が完全に戻るのに1週間ほどがかかるようになり、これが毎回の行き来の後に起こるようになり、仕事にも影響が出るようになってしまいました。

こうした体の不調が出始めたのとともに、コロナで会社へ出社する必要がなくなりましたし、現場ありきの妻のフォトグラファーとしての仕事も激減しました。その反面、田舎で始めたお店の売り上げは少しずつですが順調に伸びていて、お店は大忙し。売上が上がっているお店を長い間閉めてまで、東京へ行くことに疑問と負担を感じるようになりました。

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とは言っても、今現在も東京の会社に在籍していて、夫婦ともに東京でやりたいこともまだまだたくさんありますし、特に墨田区には思い入れも強く、知り合いもたくさんいるので、これからも通うことにはなるとは思いますが、コロナが落ち着くまでは無理して行き来せず、少し腰を据えて豊岡での活動に力を入れていこうとも思っています。

ただ、タイトルにも書いたように、ぼくらは住む場所には縛られたくないのは変わらずあって、この先ずっとここで暮らすかは分からないですし、いつでもどこにでも行けるフットワークの軽さは持ち続けたいなと思います。

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