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おかしは気持ちをなごませる

職場の、自分の部署の棚の上に、お菓子の入った箱が置いてある。
課の人たちが好きに食べられるやつ。
「お菓子ばこ置きたい」
と、ひとりが言い出し、コピー用紙の入っていたダンボールを半分に切ってお菓子を入れて置いていた。
また違うひとりがその箱を包装紙でつつんでかわいくしていた。
そして今に至る。

お菓子を買ってくる運用は「みんなでお金を出し合って無くなったら買ってくるようにしようか」
と最初は言っていたけれど、
「数人で勝手に始めたし、賛同していない人もいるかもね」
となり、
結局、"なんとなくそれぞれが好きなお菓子を買ってきて入れる"というスタイルに落ち着いている。

要は、"みんなの善意の箱"になっている。
そんな善意の箱は、私の机の横の棚に置いてあり、お菓子を取りにきた人は「これ美味しんだよね」とか「最近お菓子食べ過ぎなのか太った」とか何かしら私に話しかけて席に戻っていく、とうところまでが一連の流れのようになっている。

"善意の箱"から、打ち合わせに来た別部署の方にお菓子をあげることもあるし、誰かが買ってきたものを「なんですかそれ!知らない!」と盛り上がることもある。

お菓子って気持ちを和ませて、人と人との間に入ってくれるものなのかもしれない、とその包装紙に包まれた箱を見ながら、思わず壮大なことを考えてしまった。

お菓子という、誰もがどこかで何かしらの形で通ってきた共通のツールは話のタネになり、それを置いておくことで会話が生まれる。
たいていがどうでも良いような話なのだけれど。
冷房で乾燥したこころも満たしてくれるし、パソコンを眺めて疲れた脳みそに栄養を与えてくれる。
お菓子って素晴らしい。

……と肯定して、今日も私はチョコレートに手を伸ばすのだろう。

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