見出し画像

雑記1006「時期尚々々々早」

パフォーマンス重視時代になってから(ここ10年ぐらい?)、ほうぼうで「間違った方向の努力は報われない」って見かけるようになった。

それ、ホンマけ? って思うんだよね。


おとといあたり、SHOWROOM社長の前田氏が、
「努力の正体は、一見、まったくだいじには思えないことを、地道に、気が狂うほど何度も積み上げること。つらい・楽しいは問わない」
ってなふうにポストしてて、激しく同意しといた。

これ、すんげーわかるんだよ。
「天才は努力を努力とも思わない」「夢中で楽しくやってるヤツには勝てない」
みたいな論調がいまいち腑に落ちなかった。もちろん理は十分にわかった上で落ちなかった。
だってカラダの形が変わるほど進化してきた過去の生物たち(つまり我々)は、死に物狂いで変化したはずだぜ? 天才でもなんでもないだろうし、変わらんと死ぬっていう強烈な選択圧(地形・天候の変化や天敵に食われるなど)が掛かって、ここまでやってきたんだ。ある意味普通のヤツらがそうしてきたんだし、ある意味天才なんてもんじゃないレベルでもある。神業だわ。

で、「つらいか楽しいかはどっちでもいい」って発想に、まさにそれじゃんかーっ! ってなったわけ。
なんでもいいんだよ。ただただ、思い(想い)強く、続けた者が変化するんだ。どこにどう変化するのかはしらん。

だけど、そういうギリギリの、死線を沿うような積み上げを何十年も続けた人間が、「間違った方向の努力は報われない」なんてことを言うだろうか、って思うんだよ。たぶんそんなこと言わないんじゃないかな。

オレの心の最師匠であるドリアン助川氏が言ってた。
「人生に意味などないと聞くことがあるが、そんなものは生きて生きて生き抜いた者にしか見いだせないのではないか」
って。

あ、孫正義も言ってたわ。
「全力でやって砕け散る。それだったらそれでいいじゃないか。最初に水面に投げられた小石ぐらいにはなる。波紋が生まれる。それを見て次の誰かが飛び込んでくれるかもしれないじゃないか」
って。
うーん、すげー観念だなこれ。そして、心の人だな。こういうの知る前はあの人のことお金の人だと勘違いしてた。浅はかだったねぇ。それから孫さんもしばらく調べあげたな。

ここまでの覚悟のある人が「意味のない努力? あるで?」って言うとは思えないんだよね。どこかで、期せずして花開く。開かんまでも、少なくともその土壌には近づく。そう思うんだよね。

ま、オレもそういう「方法」を探ってる人間のひとりではあったんだけどさ。
だからそれが外れてからは、毎日2時間鍵盤練習の課題が破れたことはない。風邪ひいた最初の1日以外。
それまでのオレだったら、「花開く土壌に近づくだって? 咲けないなら練習したって意味ないじゃん」なんて思ってただろう。実際、だからこそ、何もかもを諦めてきた。で、何もやれないままできた。

でも、嫁が乳がんやって…なのか、その時たまたまそれが来たのかはしらんけど、「逆に、何らかの研鑽やめたところでどうなるの?」って思いはじめた。「音楽」の大きさが「人生」の大きさにだんだん近づいてきた。
そしたらやめるわけにいかないじゃん。近づいてきたってことは、やめたら死しか道はないんだから。

この感覚になってからハッキリわかるようになった。間違った方向の努力なんかないってことが。
もちろん、そういう本を書いた人より悟ってるわけでも成功してるわけでもない、いちミジンコちゃんにすぎないオレだけど、「あーっ! わかったーっ!」ってなったんだから、こりゃわかったんだと思うんだよ。しらんけどね。

それでも意味がないっていうなら、そいつは「写真撮影? どうせ自分も死んで見れなくなるんだし、撮ったって意味ないじゃん」って言ってるようなもんだわな。
でもきっとこれは永遠の平行線で、意味の見えない人には見えないんだから、そりゃ「そんなもんない」って言うわな。


書けるプログラムが無限に細緻になっていって、人間と見分けのつかないAIが台頭してくるだろう時代に、「エモい」って至高の価値だ。




――――――――――――――――――――

【今週の過去分オリジナルソング】




サポート大歓迎です! そりゃそうか!😆 頂いた暁には、自分の音楽か『しもぶくりん』への「やる気スポンサー」としてなるべく(なるべく?)覚えておきます✋ 具体的には嫁のさらなるぜい肉に変わります。