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25本の高インパクト論文で振り返る2023年度のニューロテック

(初めての有料記事で若干緊張していますが、前半は無料なのでお気軽にお読みください。後半ご購入いただいた場合、学費や研究費として活用させていただきます)

2023年度は、ニューロテック界に大きな発展がもたらされた年といえます。
イーロン・マスクのNeuralinkが臨床試験を開始し、Appleがイヤホン型脳波計の特許を取得したというニュースも舞い込んできました。もっと基礎的なレベルでも革新的な研究論文が多数報告されました。

この記事では、2023年度のニューロテックを25本の論文と7件のニュースを通じて振り返ります。

論文は独断と偏見で選び紹介しますが、Xなどで話題となった論文はおおむね含まれているはずです。それに加え、NatureやScienceなどのトップジャーナルに掲載されたハイインパクトな論文を中心に厳選しました。

いざ執筆してみると、いかに2023年度の一年間でニューロテックに革新が起きたかということを思い知らされます。念じることでテキストを打ち込む技術や、今までにない電極の開発など、驚くべき研究成果が次々と報告されています。そして何より、このような発展は年を追うごとに加速していきます。これからニューロテックの発展にどう向き合うか考える上で、この
25本の論文と7件のニュースを概観しておくことは良い指針となるに違いないと確信しています。

自己紹介をすると、私は慶應義塾大学大学院博士課程で神経科学の研究をおこなう他、株式会社SandBoxではAffiliated Scientistとして参加するなどニューロテックの発展に携わっています。基礎研究的、現場的な視点も交えて、論文を紹介していきます。Xのアカウントは@deriba9ですので、何かございましたらお気軽にご連絡ください。


記事の構成

25本の論文と7件のニュースを以下のように分類しました。順序に特段の意味はありませんので、好きなところから読んでいただければと思います。

第一章:侵襲計測・刺激
頭蓋骨を開いて電極を埋め込むタイプの技術を用いた研究を紹介します。イーロン・マスクのNeuralinkに代表される技術で、ニューロテックに飛躍的な発展をもたらすことが期待されています。

※恐縮ですが、本文ではこれ以降の部分を有料部分とさせていただきます。学費や研究費として活用させていただきますので、ご興味のある方はご購入いただければ幸いです。

第二章:非侵襲計測・刺激
侵襲と異なり、頭皮の上から脳活動を計測するfMRIや脳波、または脳を刺激する技術に関する研究を紹介します。こちらは伝統的に多くの研究がおこなわれてきたにも関わらず、2023年度には革新的なニューロテック研究が多く生まれました。

第三章:工学的・化学的に新しい技術
ここまでは既にある計測・刺激技術を用いた研究を紹介しましたが、この項ではそもそもの計測・刺激技術を工学的・化学的に開発したという研究にフォーカスします。既存の計測・刺激技術には課題も多いため、実はこれらの研究がゲームチェンジャーとなる可能性は高いといえます。2023年度も、かなりインパクトのある研究が多数報告されていました。

第四章:ニューロテック企業によるブレイキング・ニュース
この項では論文ではなく、ニューロテック企業による重大なニュースを中心にまとめます。各種論文と比較しながらみることで、ニューロテックの動向がより解像度高く把握できると思います。

第五章:その他の興味深い研究
上記枠組みから外れるが、ニューロテックに関連する興味深い研究を紹介します。ニューロテックのメインストリームとは異なる視点でブレイクスルーをおこしうる研究などををまとめました。ムーンショット事業による成果の一部もここで紹介します。

用語の整理

この記事ではニューロテックに関する最先端の論文を紹介するにあたり、いくつかの専門用語が出てきます。頻出のものをこちらで整理しておくので、必要に応じてご参照ください。

  • ニューロテック(ブレインテック):ニューロテックとは、神経科学/脳科学の成果を活用した技術の総称です。例えば脳を刺激してうつを改善したり、能力を向上したりする技術を指します。ブレインテックもほぼ同義で用いられています。

  • BMI/BCI:Brain-Machine Interface/Brain-Computer Interfaceの略で、脳と機械を繋ぐ技術の総称です。例えば脳の信号を読み取り、麻痺となった手を機械で動かすような技術は、BMIの典型例です。

  • デコーディング:脳の活動から、その人の思考などを読み取る技術です。例えば、「脳の運動野の活動から、その人の使用としている運動をデコーディングする」というような表現をします。

  • 侵襲/非侵襲:侵襲とは主に頭蓋骨を開く手術をして電極を埋め込むような、身体へのダメージやリスクが大きい計測・刺激技術を指します。非侵襲はその逆で、頭皮の上から脳活動を記録・刺激するような比較的安全な技術を指します。

  • fMRI:functional magnetic resonance imagingの略で、日本語では磁気共鳴機能画像法といいます。数億円する脳スキャナーの中に入り、脳の血流に関連する活動を計測します。これは非侵襲脳計測技術のなかでもっとも空間的に細かい情報が読み取れる技術といえます。

  • EEG:Electroencephalogramの略で、日本語では脳波です。頭皮上に電極を置くことで、脳の電気的活動を計測します。fMRIとことなり空間的な精度が悪く、ぼやけた情報が計測されます。一方で時間的な精度はfMRIよりも1000倍近く高いという利点もあります。また、小型かつ安価な傾向があるため、日常的な応用はしやすいと言えます。

  • バイオマーカー:ある病気等の存在を判別できる指標。「ある病気のバイオマーカーは血中の〇〇の濃度だ」などといいます。


第一章:侵襲計測・刺激


1. 脳と脊髄を繋ぐインタフェースを開発し脊髄麻痺による四肢麻痺患者が歩くことに成功

2023年5月Nature掲載
スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)などの研究グループによる報告

概要
これは2023年の中でも非常にインパクトがある研究で、1年経たずに100件近く引用されています。脳と脊髄を繋ぐ"Brain-Spine Interface (BSI)"を開発し、四肢麻痺患者がふたたび歩くことに成功したという報告です。脳に電極を埋め込むことで脳の活動を読み取り、脊髄に電気刺激することで歩行を引き起こすデバイスを開発しました。脊髄損傷により四肢麻痺となった1名の患者を対象としており、患者が実際に歩く映像を以下の動画からみることができます。またこのデバイスは1年以上にわたり安定的に使用することができ、階段を登るような動作も可能になったとのことです。さらに、デバイスのスイッチを切った後も松葉杖を使って歩行できるようになったことから、デバイスの使用によって神経機能が回復することが示唆された点も重要でした。まさにニューロテックの未来を体現したような象徴的な研究です。

図は論文より引用

2. 侵襲計測で慢性疼痛の程度を予測できたという研究

2023年5月Nature Neuroscience掲載
アメリカ、UCSFなどの研究グループによる報告

概要
こちらはニューロテック界で有名なEdward Changらによる研究です。慢性疼痛は大きな苦痛を引き起こしますが、客観的なバイオマーカーが存在せず主観報告に頼っている現状がありました。そこで3-6ヶ月にわたり4名の慢性疼痛患者の脳活動を計測し、機械学習を用いて解析しました。電極は頭蓋骨内に埋め込まれ、痛みに関連する領域を中心に計測しています。その結果、各参加者の痛みの程度を脳活動から予測できることが示されました。従来は存在しなかった「痛みのバイオマーカー」を見出した革新的な研究、といえます。ただし、参加者ごとにそのバイオマーカーは異なる(ある人はアルファ波が重要、ある人はガンマ波が重要etc)ことが示され、一般化することの難しさも示されています。

図は論文より引用

3. 侵襲型BMIで高精度なテキスト入力やアバター操作を実現したという研究

2023年8月Nature掲載
アメリカ、UCSFなどの研究グループによる報告

概要
こちらも上記と同様、UCSFのEdward Changらによる研究で、こちらの方が大きな話題を呼びました。というのも、脳活動だけでテキスト入力をするという多くの人が実現したいと考えている技術を開発したという研究だからでしょう。この研究では侵襲型の脳波計測(ECoG)を用いることで、1分間に78ワードの文章を打ち込むことに成功しました。数年前にはせいぜい20ワード/分程度であったことから、自然な会話の160ワード/分に大きく近づく革新的な研究といえます。また2週間以内の訓練で十分に機能し、電極の留置から120日間以上動作することも確認されています。他に、アバターを操作することなども実現しています。精度の向上などまだまだ課題があるとはいえ、脳活動でテキスト入力するというSFの世界に大きく近づいていることを感じます。

図は論文より引用

4. 侵襲型BMIを用いて従来の2.7倍の精度でテキスト入力できる技術を開発

2023年8月Nature掲載
アメリカ、スタンフォード大学などの研究グループによる報告

概要
上の論文と同時にNatureに報告された侵襲型BMIの論文です。こちらも非常にインパクトがありました。こちらは体を動かすことができなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者を対象とした研究です。こちらも62ワード/分という高速での入力を実現しており、侵襲型BMIによるテキスト入力にブレイクスルーがおきつつあることを感じさせます。一つ上のUCSFのグループによる研究ではECoGと呼ばれる頭蓋内で脳波を計測する技術を用いていましたが、こちらでは神経活動のスパイクという別の神経活動を計測しています。ECoGはニューロン集団の総合的な電位変動を記録し、スパイク計測ではニューロンの発火そのものを計測します。両者とも計測している信号の種類が異なるため、どちらが優れているのか、または両者を組み合わせたデコーディング技術が開発されるのか、今後の発展の余地は大いに残されていると感じます。

図は論文より引用

5. 高精度にうつ症状の悪化を予測できる侵襲型技術の開発

2023年9月Nature掲載
アメリカ、ジョージア工科大学などの研究グループによる報告

概要
うつ症状は個人差が大きく、どのような治療をすれば効果が上がるのかを客観的に判定することは困難でした。そのため、うつの状態を高精度に判別できるバイオマーカーが求められています。そこで本研究では、10名の難治性うつ患者を対象として脳深部のデータを計測しました。その結果、うつ状態と安定状態を高精度に区別するバイオマーカーが存在することを発見しました。さらに興味深いことに、このバイオマーカーはうつ症状が悪化することを約一ヶ月前から予測できたということです。この点は大きなインパクトがあり、事前にうつ症状が悪化することが分かっていれば、適切な対策を打つことが可能になることは容易に想像できます。ただし後者の結果(事前に予測できるという点)については1名分のデータによるものであるため、今後の追試がより重要となります。


6. 超音波による脳計測をおこなうBMIを開発しサルの運動意図を読み取る研究

2023年11月Nature Neuroscience掲載
アメリカ、カリフォルニア工科大学(カルテック)などの研究グループによる研究

概要
超音波による脳イメージング技術fUS(functional ultrasound)は、脳に電極を挿す侵襲技術よりも安全で、fMRIのような非侵襲技術よりも高精度であるという利点があります。この研究ではfUSによりサルの運動意図を読み取るBMIの開発に成功したと報告しています。左右2方向の運動意図の読み取りは80%、8方向の運動意図の読み取りは30-40%程度の精度となっています。ニューロテックの普及には安全性の担保が非常に重要であることは言うまでもなく、fUSはその一つの選択肢となる可能性があります。とはいえ、この研究では2方向の選択ですら80%にとどまっていることから、少なくとも運動意図の読み取りに関しては今後の発展が必要となりそうです。


7. 実際の神経活動に近い抹消入力により自然な感覚を誘発できるという研究

2024年2月Nature Communications掲載
スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)などの研究グループによる報告

概要
なんらかの疾患で感覚機能を失った場合でも、抹消神経(例えば手指の神経など)に電気刺激を入れることで感覚体験を引き起こすことができ、これは医療的観点から重要です。従来、末梢神経に電気刺激をおこなって人工的に感覚を誘発する際には、50Hzの一定なパターンなどが用いられていました。しかし、このような刺激方法は不自然であり、不快感を誘発することが知られています。この研究では、実際の身体が生み出す末梢神経の電気活動パターンを模した刺激を末梢神経に入力することで、より自然で不快感のない感覚を誘発できることを示しました。研究では抹消の感覚受容体の分布などをもとにしたシミュレータを作成し、感覚入力のパターンをモデリングしました。ネコでの実験およびヒト患者での実験によりその効果を実証しています。将来的に「フルダイブVR」、すなわち脳に電極を繋いでさまざまな体験を実現するソードアートオンラインのような世界観を実現することを考えると、このような研究は非常に重要になってくるでしょう。

図は論文より引用


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