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【脳波解説1】脳はリズムが支配する

脳波について、理解が深まる読み物を気が向いた時に書いてみる。初回のテーマは「脳はリズムが支配する」。これこそが、脳波を知る第一歩であると思う。


私が研究の道に入ってから早7年。この前、研究に割いた時間を計算したら、どうやら10,000時間を超えていた。

人は10,000時間を練習に捧げれば、その分野のエキスパートになれるという仮説がある。私がまだ研究者として何一つ成し遂げていないことから、この仮説は間違っていることが立証されてしまったのだが、ゲームならプロゲーマーになれるほどの時間を脳の研究に注いできたようだ。

その中でたどり着いた1つの結論。それが今日の本題である「脳はリズムが支配する」である。

「脳はリズムが支配する」なんて急に言われても、なんのことだかよく分からないだろう。

しかし、太陽が昇っては沈み、心臓が一定の間隔で拍動するように、私たちの脳もリズムに支配されているのだ。

脳のリズムを体感する

ではまず、脳を支配している「リズム」を簡単に体感できる実験をしてみよう。

今から、自分の親指と人差し指の腹を、ギリギリくっつかない程度に近づけてみてほしい。できたら、その距離のまま10秒間キープしてみよう。

指を見て、どう感じただろうか?

くっつかずに最初の距離を保ち続けられただろうか。

おそらく、機械のようにスッと近づけて微動だにせずじっとさせられた人はほとんどいないだろう。

むしろ、ギリギリまで近づけようとすると、指がプルプルしてしまったのではないだろうか。

実はこれこそが、「脳はリズムが支配する」ことを示すひとつの証拠だ。

指を動かすとき、脳の運動野から指に向けて、筋肉を動かすための電気信号が伝達される。この信号が機械のように一定であったなら、このようなプルプルとした震えは生じないはずだ。しかし実際には、脳の出力というのは一定ではありえない。むしろ不安定にゆらいでいるからこそ、指が震える。

そして、このときの筋肉の活動のゆらぎをくわしく解析すると、実はリズミカルであることがわかる[1]。筋が強く活動したかと思えば、次の瞬間には活動を弱めている。このような強弱のリズムが、意識できない速さで(1秒間に数十回の速さで)リズミカルに切り替わっている。

筋トレで疲労が溜まってきたときにプルプルと震えたことがあるだろう。また、テレビの食レポのシーンでは箸が小刻みに震えている様子をいつも目にする。

これらは私たちの筋肉の活動がリズミカルにゆらいでいることを反映していたのだ。

そして重要なことに、筋肉の活動がリズミカルにゆらいでいるということは、脳から筋肉への電気信号がリズミカルに伝達されているということを反映する。

※この脳活動と筋活動のリズムの関係性は「皮質-筋コヒーレンス, Corticomuscular coherence」という。ここではかなり簡略化して書いたが、いずれ詳細を議論したい。

この実験はあくまで簡易的なものだが、私たちの脳活動がリズミカルに揺らいでいることを体感するのには十分だ。ただ指を動かすという簡単な動作にも関わらず、私たちは機械のように一定に制御することはできない。

脳活動は一定ではなく、リズミカルに揺らいでいる。

そして、この脳のリズミカルな活動の揺らぎこそが『脳波』なのである。

脳波計が測っているもの

脳波を測る(下図参照)というときに測っているのは、まさにこのような脳活動のゆらぎなのである。

脳波計測の風景

脳波電極を手指の運動を司る領域(一次運動野)の付近に貼り付ければ、まさに先ほど体感した手指の震えにかかわるリズムが計測されるだろう。これはベータ波と呼ばれるリズムであり、例えば手足の震えが止まらなくなるパーキンソン病患者ではこのリズムに異常をきたしているらしい[2]。

電極を集中力にかかわる領域、すなわちおでこの付近に位置する前頭葉の中心あたりに貼り付ければ、比較的ゆっくりとしたリズムの脳波であるシータ波が計測される。これはよくFmθ(Frontal-midline θ)と呼ばれる脳波だ。Fmθは、記憶や集中力などさまざまな認知機能と関連するとされる[3]。

脳波が反映するのはごくわずかな情報である

脳波を測ればパーキンソン病や集中力やいろいろなことが分かるらしい。とても可能性のある技術だ。

ならば、これを使えば頭を良くするのに応用したり、脳波から人が考えていることを読み取ったりできるかも知れない。それは世界を変えるイノベーションとなるに違いない。

ところが、話はそんなに簡単ではない。

実のところ、脳波が私たちに教えてくれるのはとても限られた情報なのだ。

これは、よく考えてみれば当然である。

脳は約1000億のニューロン(神経細胞)からなる。その上にはぶあつい頭蓋骨や皮膚があり、髪の毛があり、脳波電極はその上に位置する。つまり、個々のニューロンから電極までは、物理的にかなりの距離が生まれてしまう。

それだけ距離があると、1個のニューロンが活動したところで、脳波電極にはほとんどなにも記録されない。まるで東京ドームの真ん中で一人声を上げても外には何も聞こえないようなものだ。

活動するのが1000個のニューロンに増えたとしても、大して話は変わらない。

実のところ、脳波電極に記録されるのは数百万個ものニューロンの集合的な電位とされる。

本当に知りたいのは1個1個のニューロンの活動なのに、それは外からは全くわからないのだ。

それだけではない。脳波電極に記録されるためには、100万個のニューロンが『同時に』活動しなければならない。東京ドームの中で1人ずつ順に声を上げても、全体の声量は上がらない。大切なのは、皆が同じタイミングで声を上げない限り、外には聞こえないということなのだ。

皆がタイミングをそろえて活動することは、特殊な脳活動である。

事実、ニューロンは常にタイミングを揃えて活動するわけではない。観客がライブで声を上げる時に、全員で正確に合わせることは難しい。

ゆえに、脳波計で測ることができるのは、ニューロンがタイミングをそろえて活動するような「ごくわずかなケース」だけなのだ。

これが、脳波計測という手法の、重要な限界点である。

脳波の神秘

脳波で測ることができるのはごく特殊なケースのみという話をした。

しかし逆にいえば、これは面白いことでもある。つまり、脳波計で脳波を計測できている以上、ニューロンは他の多くのニューロンと同期した活動をするということである。これはとても神秘的な現象だと私は思うのだ。

ニューロンは、蛍が発光のタイミングをそろえるように、活動のタイミングをそろえる傾向にある。それも、太陽が24時間周期で昇っては沈み、心臓が1秒周期で拍動するように、ニューロンの同期もリズミカルにおこなわれる。

それが時には速く(ガンマ波)、時には遅い(デルタ波)。

※脳波は波の速さによってデルタ・シータ・アルファ・ベータ・ガンマと名前が付けられている。

脳波ではごくわずかなことしか分からないが、そのごくわずかなことの中にもいろいろと面白いことが潜んでいる。

ここでは語り尽くせない脳波の奥深い面白さは、また別の回で取り上げたい。

脳波研究の重要性

ここで、脳波研究の重要性についても少し触れておきたい。

脳波計ではごくわずかなことしかわからないという話をしたから、それでは脳波の研究なんて重要ではないのではないか、と思う人もいるかもしれない。

しかし、そんなことはない。脳波は神秘的な現象であると同時に、実用上も重要な研究対象である。

例えば、先ほどの例で言えばパーキンソン病は脳波と深く関わる疾患である。脳波の理解はパーキンソン病のメカニズムの解明に不可欠であり、ひいては治療法や予防法につながる可能性が大いにある。今後紹介するが、このような例は他にも事欠かない。

また、脳波計はあらゆる脳計測技術の中でもっとも簡便であり、日常に普及させることが容易である。他の計測機器、例えばMRIと呼ばれる機材は、価格にして数億円するうえ、巨大で持ち運ぶことができない。脳波計は数万円で片手で軽く持ち運べるレベルのものが市販されている。したがって脳波の研究は、あらゆる脳研究の中でも日常への普及にもっとも近い研究のひとつである。

最後に、脳波(すなわち「同期」と「リズム」)は脳のもっとも基本的な性質のひとつである。脳波が完全に失われるときというのは、人が死ぬときである。だから、脳波は脳死の判定基準のひとつとなっている。眠っているときでさえ、脳波はあり続ける。それは生物学における遺伝子ようなものであり、ニュートン力学における運動方程式のようなものともいえる。これを理解することは、私たちヒトとは何なのか、という哲学的な問いを解く上で欠くことのできないピースのひとつであるはずだ。

まとめ

脳波の導入となる初回は、脳波(つまり、脳活動のリズミカルなゆらぎ)の存在を体感してもらった。

そして重要なことに、脳波計では数百万個のニューロンの同期的な活動しか計測できないという厳しい制約があることを話した。

しかし、ニューロンが同期的に活動するという事実は、逆に捉えれば神秘的なものである。このニューロンの同期現象ひとつとっても非常に奥深く、まだまだ分からないことで満ちている。その未知を探求することで、さまざまな可能性が開けるはずだ。

この限界と可能性を知ることが、脳波を扱う最初のステップであると思う。

次回以降は、より具体的な各論に移っていきたい。

参考文献

1. Ushiyama, J., Katsu, M., Masakado, Y., Kimura, A., Liu, M., and Ushiba, J. (2011). Muscle fatigue-induced enhancement of corticomuscular coherence following sustained submaximal isometric contraction of the tibialis anterior muscle. J. Appl. Physiol. 110, 1233–1240.

2. Little, S., and Brown, P. (2014). The functional role of beta oscillations in Parkinson’s disease. Park. Relat. Disord. 20, S44–S48.

3. Mitchell, D.J., McNaughton, N., Flanagan, D., and Kirk, I.J. (2008). Frontal-midline theta from the perspective of hippocampal “theta.” Prog. Neurobiol. 86, 156–185.


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