学びを「取り返す」
私は、学ぶ力を奪われていると思う時がたくさんある。
そのことはこれまでもnoteでたくさん書いてきた。
1. 教育学部なら将来は先生だね!
例えば、私が教育学科に通っていることを誰かに伝えた時。
相手は「何の教科なの?」とか「将来は先生だね」とかそういう答えをしてくる。
人々はみな、学習とか教育という言葉を聞いた時、「学校」を真っ先に思い浮かべている。
本来、学びとは自発的に行われるものだ。それを誰かに教授してもらうことを無自覚的に前提とし、学校で行われるものだと勘違いしている。
他にもある。
2. これ絶対学校で教えるべき!
何か社会問題を描いた素晴らしい作品を観た時。
誰かが「これ絶対学校で見せるべき!」と言う。
ここでもまた、学校でやるべきという発想が登場する。
私たちが今ここでこの作品を観て、世界の問題を議論することではダメなのか?
これは学校でやるべきなのか?
インフォーマルな場での学びは、学校での学びより価値の低いものとされてしまう。
学校に学びが独占されてしまうのである。
繰り返すが、学びとは本来、自分でやることが大半であり、学校で教わることは人生のせいぜい1%だろう。
しかし、学校で教わったことこそが私たちの学びだと勘違いしてしまう。
3. だって、教えてもらったことないから
例えば、誰かの行いを批判する時。
私が「不勉強だ!」と言えば、
相手は「だって、教えてもらってないからしょうがない」と言う。
自分で学ぶことが前提にない。なぜ誰かに教えてもらうという受動的な態度になってしまうのか。
4. もう勉強しなくて良い!
受験勉強が終わった時、学校を卒業した時、期末試験が終わった時。
みな「もう勉強しなくて良い!」と叫ぶ。
勉強させられすぎて、学ぶ意義や楽しさを忘れてしまう(そもそも感じてさえいないのかもしれない)。
そして、競争のない学びは意味がないのだから、当然それ以降学ぶことはなくなってしまう。
学びを取り返すには?
学びを取り返すには当たり前の前提を思い出すしかない。
【自分で学ぶこと>学校で学ぶこと】
本当にこれだけなのだ。
しかし、これまでの事例でも分かるように、これが当然のように逆転してしまっている。
学びは学校に独占され、奪われてしまっている。
だからこそ、「学びを"取り返す"」という感覚が大切だと私は信じている。
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