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デザインの雑談03:変化するツーリズムとサービスの再編成

ACTANT内で、最近気になっていることについて話したものを書き起こしてみました。世界中のデザイナーが試行錯誤中のまだ生煮え状態かつ現在進行中の話題をゆるゆると繰りひろげる「デザインの雑談」です。これを読んでいただく皆さんにとっても、デザイン活動のこれからを考えるトリガーになれば良いなと願いながら無責任に放り投げてみます。ここで出てきたキーワードは今後じっくりリサーチしていく予定です。皆さんも一緒に考えていきましょう。

第一回ではサービスデザインからサービスエコシステムデザインへの変化について、第二回はサービスデザインとサステナビリティについて「オルタナティブヘドニズム」という概念をトリガーに雑談してみました。

今回は少し話題を変えて、「ツーリズム」という切り口からサービスエコシステムの変化を捉えようという試みです。

RYU:南部隆一
MASA:武山政直

ツーリズムの仕切り直し

MASA:最近、ツーリズムが面白いなと思って注目しています。それも東京のような大都市ではなく、地方都市の方に。日本の地方都市は人口減少や高齢化が進んで、存続が危ぶまれるところもありますよね。まちづくりの研究会でも議論していますが、これから企業を誘致したり、人に移住してもらったりするのは難しいので、交流人口に注目しようという話になる。ツーリズムもその手段のひとつですが、コロナで全面的に止まってしまいました。でもそれをきっかけに、コロナ以前から指摘されていたオーバーツーリズムなどの好ましくない状況への見直しを踏まえて、これからのツーリズムどうするの?という問題が考えられ始めています。

RYU:なるほど。パンデミック直前に京都のオーバーツーリズムを解消するサービスデザインの案件をやりましたが、コロナを経て主要なテーマが変わってきてるってことですね。

MASA:はい。最近のツーリズム研究には、ツーリズムをツーリストのためのサービスと狭く考えないで、もっと広げて考えようとする動きが見られます。例えば、旅行者が観光地域の日常の暮らしに参加したり、ツーリズム開発の目的を観光地の住民のウェルビーイング向上に置いたり、地域のライフスタイルと結びついたビジネスを生み出す起業家が現れたりしている。そのように、住むこと・旅すること・働くことが横断する中で、これらを連続的につなげていく「ホスピタリティのエコシステム」という包括的なフレームワークも出てきています。

日本で話題になっているワーケーションなんかも、観光なのか生活なのか仕事なのか、よくわからないところがありますよね。大都市と地方、働くことと生活すること、活動の拠点を持つことと違う地域に訪れることが交差するように、これまでの前提が揺らぎ始めているので、その行先を考えていくのが面白いなと思ってるんです。

RYU:「ツーリズム」と言いつつも、地域創生であったり、ライフスタイルや働き方であったり、がっちゃんこして議論している感じですかね。

MASA:そうなんです。ちょっと混沌としているんですが、がっちゃんこにして仕切り直しどうしよう、ということをいろんな人が言い始めている。さらに、地方に残る自然との共存の歴史や文化もツーリズムのコンテンツになっていますが、これはサステナビリティを考える上でも重要です。ツーリズムを切り口に、いろんなイシューがつながってきているんです。

RYU:ちょうど今、東京近郊の駅前再開発の案件で、とあるビルのコンセプトをつくりましょうという話に関わってます。そこは湘南の入り口で、観光人口は結構あって、かつ郊外で通勤する人も住んでいて、周辺には大学もあったり、スマートシティやロボティクス系の企業も力入れている感じなので、ビルのコンセプトも、観光や働き方やビジネス創出が合わさった「共生」というテーマになったんです。だから少し似ているなと。

MASA:面白そうですね。共生でいうと、ツーリズムの文脈で関連するのが「コンヴィヴィアル・ツーリズム」という考え方です。これまでのツーリズムでは、域外からやってくるゲストと、それを受け入れるホスト地域の関係として見るわけですが、そこではゲストを楽しませて地域にお金を落としてもらう合理的な取引の関係が成立します。でも、この発想でひたすら取引を拡大していくと、ゲストとホストの間に摩擦も起こり、観光地への弊害も生まれてくる。

これに対して、ゲストとホストという区分を明確に設けないで、ゲストがホストになったり、ホストがゲストになったりして、両者がダイナミックに入れ替わるような、相互的なホスピタリティの関係性でツーリズムを捉え直そうとするのが、コンヴィヴィアル・ツーリズムです。

RYU:おお、リビングラボ的な感じですね。市民と自治体、企業とデザイナーの立場がフラットになるという話と似てる。

MASA:そうそう。現在は、いろんな意味で共生的ではない価値観と経済の仕組みが力を持っているので、それを見直す必要があると思うんですよね。よく耳にするwin-winみたいな話も結局、自分も得して、相手も得して、何かそのために取引をするというパラダイムで捉えちゃう。さっきのゲストとホストが入れ替わるような場合は、同じ場に、環境や文化の違う人が居合わせて、混ざり合うことによって、相互的なウェルビーイングがもたらされる。そういう仕組みをどうつくり直せるかが大事だろうと。

RYU:なるほど、わかりました。どの分野でもコロナ以降の再構築に向けて、いろいろな試行錯誤がかたちになりつつあるということですね。

共生の価値とテクノロジーの役割

RYU:再構築が進むと、「観光」や「暮らす」「働く」みたいな従来のカテゴリーじゃなくて、別の体験の仕方というか、別のサービスのあり方やジャンルが生まれてくる可能性もあるかもしれませんね。共生というのは、別々だったものがごちゃごちゃになっている段階で、どうネットワーキングするかみたいな話だと思うんですけど。

さっきのビルの話では、違うものを掛け合わせて、それが混在する施設機能を入れましょうということを考えていて。全部ベタなんですけど、例えば、働く・暮らすの掛け合わせで、通勤じゃなくその場で働けるようなスペースをつくるとか、観光・生活を共生させるために、地元の食と出会って体験できる機能とか。とりあえず掛け合わせて、混在させて、新しい体験にしましょうと、二項対立を超えて、いろんな機能を施設に入れ込もうとしています。もし、うまく共生という状況で混ざり合えば、それって観光施設なのか、生活のための施設なのか、働くための施設なのかわからない、まだ誰も言葉で言えていないサービスになるんじゃないか。新しい言葉が生まれるのでは、と先生の話を聞いていて思いました。

MASA:そこで生まれてくるサービスの性質として、やっぱり異質なものが同じ空間に物理的に居合わせることで起こる、互いの認識や感覚の変化を、どう価値づけるかが鍵だと思います。さっき言ったように、サーブする人・される人とお金による取引、という関係性じゃない価値共創を、異質なものが交わり共存する空間でどうつくり出していくのか。

RYU:互いに変容することを許容したり、余白を取っておくというのが重要になりそうですね。その変化は、どのジャンルでも面白くなりそうですね。サステナビリティでいえば、トロントのスマートシティの話あったじゃないですか。

MASA:はい、Googleのやつですね。

RYU:そう。サイドウォーク・ラボです。コロナ前にサービスデザインネットワークのカンファレンスがトロントで開催されて、みんなでサイドウォーク・ラボの予定地を見に行って、「おお、ここがスマートシティになるのかぁ」とか言ってた記憶がありますが、その後コロナのパンデミックが起きてから中止になったやつです(笑)。その続報で「トロント市民はスマートシティをkillしたい」というタイトルのニュースが出ましたね。

MASA:はい、その記事読みました。

RYU:もともといろいろな反対はあって、結局、データ活用ありきのスマートな都市でなく、自然との共生に重きを置いたまちづくりみたいなことになったんだと思います。そんな話もあって、スマートシティも同じ「スマートシティ」という言葉を使いつつも、中身は全く別のものを指す概念になりそうな気もします。新しい言葉があってもいいくらいです。

MASA:今のスマートシティは、まちの担い手である行政やテクノロジー企業がデータをたくさん集めて、まちの機能を賢く無駄なくマネジメントしながら、ユーザーニーズに応じた最適なサービスを提供していくというパラダイムですね。でも、さっき言った共生の価値創造のゴールが先にあって、そこをテクノロジーがどうサポートできるかというふうに位置付けないと、トロントと似たようなことがいろんなところで起きそうです。これまでのシステムの効率化という発想だけでテクノロジーを導入していくと、これからのシステムにどんな新たな価値やその実現の仕組みが求められるのか、という視点が抜け落ちてしまう。そこが問題なんじゃないなんじゃないですかね、今の「スマートシティ」という言葉は。

RYU:共生というのは、それぞれ違う合理性が合わさらないといけないので、ある合理性にとって非合理なことも受け入れないと共生に至らない。

MASA:最近出た、『スマートイナフ・シティ』という本の中に、「意義ある非効率(meaningful ineffciency)」という考え方が紹介されていましたが、もっとそこに目を向けるべきだと。あとtakramの緒方壽人さんの『コンヴィヴィアル・テクノロジー』という本の内容も、今の話とリンクする感じで、異質なものの共存や、異なる環世界の交差がもたらす価値が大事じゃないか、というようなことが書いてあります。

RYU:「環世界」、ACTANT FORESTで考えているマルチスピーシーズ人類学とも共鳴する考え方ですよね。いろんなところで非合理性も含んだ共生や共存が注目されています。それをどうデザインに落とすかは結構難しいのですが……。

DAOとデジタル村民

RYU:最近流行りのWeb3やDAO(分散型自立組織)的な話でいうと、山古志村ってご存知ですか?

MASA:はいはい、別のディスカッションでも話題になってました。

RYU:冒頭の観光の話とも関連していて、要は関係人口を増やしたい、というところが根っこにあるんですけど。山古志村では、トークンを発行してデジタル村民を集めて、遠隔で関係人口を増やそうとしている。トークンを持っている人は現地に行きたくなるので、たまに現地を訪れて「ただいま」っていうようなアクションが生まれているらしいです。

MASA:この場合も、山古志村の持っているカルチャーとか独自性への共鳴がベースにあるのかな。デジタルな仕組みとしてはDAOですが、実際に人を動かしているのは、村の文化への共鳴みたいなものなんでしょうか?

RYU:今のところは、多分トークンを買える人が面白いことに参加してる、というアーリーアダプターの好奇心だと思いますが。鯉の画像を買うんです、仮想通貨で。それを持っていて、自分固有の画像で村民だと名乗れることがある程度ステータスになっている。twitterのプロフィールに「山古志村デジタル村民」と書く人もいます。そういう希少価値。

だからリアルな村に魅力を感じている人と、新しいコミュニティづくりの実験を面白がっている人が混在しているんだと思います。それが、村の保全につながりつつ盛り上がっている、みたいな感じになると面白そうだなと。

MASA:そうですね、リアルなつながりも含めて、エコシステムがそれでうまく回り始めるといいんでしょうけど。現地には一切行かないというレイヤーの人たちから、これをきっかけに村民と仲良しになったという人までの、ダイナミックな価値共創の生態系ができてくるといいし、そうなった場合の人の交流は、従来の観光客とは違うということですよね。

RYU:そう、関わり方が全く違うんですよ。僕の想像では、トークンを買って村民権をゲットするとお客さんじゃなくなって、村をなんとかしなきゃ、という感情が芽生えるような、自分ごと化される可能性がある。関係性が違うなと。

MASA:そのとき、地元の人が地域を何とかしようとする気持ちはわかるとして、我々のような外から興味を持って入っていく人間が、何を求めて、こういうものに共鳴してアクションを取るようになっているのか。逆側から見たときに、何を意味しているのかな?

RYU:僕もDAOには興味があって「City DAO」という、オンチェーンでのまちづくりを実験的にやっているコミュニティの市民権を買ったんですよ。アメリカのワイオミング州にある土地がベースになってます。Discordにコミュニティがあって、投票権があって、実際の土地をどうするかっていう話に加わる権利がある。City DAOの野望としては、世界中に場所があって、そこに参加している人もリモートで世界中に散らばっている、という新しい土地活用の方法を実験してるんだと思います。英語でのDiscordなので僕はまだタイムラインについていく時間が取れてないですが。フィールドリサーチ的に参加してます。

MASA:デジタルに地域に関与できるシステムを通じて、居住者やモノの集積としてではなく、アクセスできる資源やプラットフォームとして地域を見るような新しい捉え方が生まれているわけですけど、その延長線上に土地の管理や、身体的な交流というか、対面の接触をどうつなげていけるかがポイントでしょうね。さっきの話に戻ると、東京のような大都市に住んでいる人たちが、リゾートや「ハレ」のイベントよりも、自分の生活環境とは違う地域の日常との接触に価値を求めて、みんながそういうことをやり出す社会に移行するのかどうか、ですよね。

RYU:どうなんですかね。多拠点居住というのもありますが、一極集中という話もありますし。コロナ以降どうなるか、働き方も暮らし方も含めてまだわからない状態ですけどね。

MASA:山古志村の人とつながったり、たまにそこに足を運ぶことが、人の生き方として、さっき言ったウェルビーイングを高めることにつながるんだという実感を多くの人が持つようになれば変わるんでしょうけど。自治体やまちづくりの人と話すと、危機にある我がまちをどうやって守ろうかという議論になることが多いんです。そこに東京にいる人が寄ってたかって、どう助けられるかみたいな話をするんですけど、大事なのはシステム全体のつくり直しの話かなと思っていて。つまり東京も地方都市も含めた、国土全体。そこから考えていった方がいい気がするんですよね。

RYU:東京と地方都市という対立項がもう機能しないですよね。とくにDAO的な機能が入ってくると。僕は東京に住んでいながら、ワイオミング州や通っている八ヶ岳近辺のことを考える時間のほうが長いかもしれないですし。

人が旅することの意味

MASA:山古志村につながりを持って、足も運ぶ人が感じている喜びとか、体験価値があると思うんですけど、それって前回話に上がった「オルタナティブなヘドニズム(快楽)」と言えるかもしれなくて、そういうヘドニズムの新しい選択肢が出てきているという意味では、いい変化だと思うんです。

RYU:ツーリズムに話を戻すと、体験の価値観変容も重要ですね。ACTANTでは過去に、日本に「アドベンチャーツーリズム」を導入するためのワークショッププログラムを設計をしたことがあります。現地のガイドさんがアドベンチャーツーリズムを理解して、「点」の体験であったものをひとつの「線」につなげて、どんなコンセプトをつくれるか、というワークショップでした。

アドベンチャーツーリズムは、海外では結構盛り上がっていて、単純なアウトドア体験ではなく、コンセプトのある自然環境やローカル文化体験が重視されます。例えば「水の循環」というコンセプトで、そのエリアを山の上から海までぐるっと巡るというような体験が、富裕層ツーリストの間で人気が出てきているようです。

観光に対しても、リゾートホテルで優雅に過ごしたいという従来の価値観から変わりつつあるらしいのです。「サステナブルに旅行するための10のチャレンジ」というような記事がバズったりしていて。自転車を使おうとかそういう単純な話ですけども、そういった旅行における価値観変容や行動変容がちらほら出てきていますね。

MASA:その動きは出てきている気はします。「◯◯ツーリズム」みたいなものがかなり多様化してきている。その共通点には、土地の自然も含めて、固有の地域社会の循環システムや歴史的文脈に身を置いてみる、という体験価値がありますよね。

RYU:今年、リチャード・パワーズというアメリカの小説家の新作が出たんですが、気候変動をテーマにしたインタビュー記事でウェルビーイングの話をしていました。ウェルビーイングとは何だろうかと。個人が感じるウェルビーイングではなくて、気候変動に連動した環境や共同体のウェルビーイングにシフトすべきだ、ということが語られている。その辺の感覚とツーリズムやスマートシティがリンクしていくと面白そうですね。

MASA:ベースにある価値観の部分で、何が幸せなのかが変わってこないとなかなか社会も経済も動かないだろうなと思います。今は、より少ないエネルギーでモノが効率的につくれるとか、廃棄したものを別の生産の資源としてもう1回使うとか、そういう物質とエネルギー利用の効率化の発想に頼りすぎている気もします。地域のローカルな文化や伝統、日常生活の価値、暮らしのウェルビーイング、シンプルな楽しみ方、ゲストとホストの入れ替わり、既にあるものを再解釈して活用していく創造性。求める価値や、価値の生み方も変えていくことで、結果としてエネルギー消費が抑えられる。そういう包括的な観点が必要だと思うんですよね。

RYU:ツーリズムもスマートシティも地方創生も全部「コンヴィヴィアル」や「共生」、そういうキーワードに向かって、同じ方向を向いている気がします。

MASA:地域も地域で、その土地固有の環境条件に根付いた文化とか風習とか風俗をもっと大事にしていく必要があるというか。どうしても同じような施設をつくって、利便性の方へ走っちゃうから。目立つ観光スポットをつくって、ワーっと一時的に集客して、インスタグラム撮ってもらって、っていう形とは違うものですね。

そういうことを考えていくと、「人が旅することの意味は何か」という本質的な問いに行き着くのかもしれない。これまでは、まず生きていくための居住地があって、たまにそこから非日常の体験を求めて異郷の地に出かける旅という形がメインですよね。あとは出張のように、仕事・取引のために旅をする。今はワーケーションなども含めて、そうではない旅が出てきている。

旅や移動の価値や役割を考え直してみると、さっき言った国土の新しいつくり方の話にもつながるんですけど、山古志村にDAOで権利を持って参加してたまに訪れるという旅は、人の暮らしにとって何なのかってことですよね。

RYU: そもそも観光っていうのが、宗教的な巡礼が語源ですし、状況に合わせて中身も変わってもいいと思います。

MASA: 定住の歴史を辿ると、農耕が始まってからですよね。それまでは移動しながら暮らしてたわけだから。定住をベースに発想すること自体が、人類の歴史からすると長いわけではない。ということを含めると、もっと違うモデルがあってもいい気はします。現実的なところでは、はじめに言った地域の交流人口を増やすプロジェクトを一つひとつやっていくんでしょうけど。コミュニケーション、メッセージとしては、もっと大きい話を発信しても良いのかなと思います。

システムの内から考える

RYU:この「デザインの雑談」では、複雑な状況にデザインはどう対応していけばいいのか、ということを根本から考えてきました。今回はツーリズムの話でしたが、ここでもその課題は同様のような気がします。

MASA:そうですね。SDロジックは、初期のころはモノありきからコト(サービス)ありきへのパラダイム転換を唱えていました。まずコト(サービス)があって、その手段としてモノがあるんだという。そこをひっくり返すのを一生懸命やっていたんですけど、最近はもっぱらコトとコトが交わされ続けるサービスエコシステムという見方で経済や社会を考え直そうって話に移ってきた。サービスエコシステムがどう誕生して、それが新しいサービスエコシステムに時間をかけてどう変動していくか、あるいは変動できるかという議論が活発です。

RYU:うんうん。そこが「デザインの雑談」でポイントとなってきました。そういった発想で対象を見てみると、これまで使われてきた言葉で新しいエコシステムが括れるのか、括れないのか、あるいは中身が変わってくるべきではないのか、ということになるわけですね。

MASA:世の中を見てみると、我が社は何を売るか、自分たちの地域はどう魅力を提示するか、私自身はどう幸せに生きていくか、といった関心からスタートして、どんどん拡大してきました。その結果、社会や環境にいろんな弊害が出てきたのも事実で、今、外にも視野を広げようとしているところですね。人も組織も、もともとあるエコシステムの中に誕生して、そこに組み込まれて存在できているわけです。モノやお金の交換も、広い意味でのサービス交換の生態系が先にあって、それが姿を変えつつ誕生してきた仕組み。だから、ビジネスも順番として、客が何を欲するかという問いから発想するんじゃなくて、そもそもシステムの中でいろんなものが動いている状況の中でどう振る舞うか。そこから議論したほうがいいんじゃないかと思ってます。

RYU:企業としては、自社がギブしたものがエコシステムの中を巡り巡って帰ってくる、みたいな悠長なことは言ってられないし、投資したらいつ回収するんだっていうことになりません? どうしてもギブアンドテイクの発想ですぐに決着をつけようとせざるを得ない。

MASA:確かに思考法を変えるのは難しいとは思いますけど、そもそも世の中全てのものはシステム的に存在していて、自分もその中に組み込まれているので、自分が何かを新しく生み出したり、人に働きかけるということを、常にその中に自分自身を含んだシステムの変動として捉えていくことが大事ですよね。実は、エコシステムといっしょにビジネスがあって、エコシステムにもいいことをしていくと、組織もハッピーで居続けられる。あるいは組織同士がそういうことをコラボレーションして一緒にやっていくことが、組織の存在意義だっていう発想まで行ってほしい。

RYU:なるほど、なるほど。

MASA:デザインもそうです。デザインの対象をシステムとして捉えていくというよりも、デザインがシステムに組み込まれて、その変動を生み出すダイナミズムの中にプロセスとして入り込んでいると考えることが大切。そういう世界観を追求していくと、ツーリズムの再構築やリフレーミング、サステナビリティをベースにした価値観変容にもつながってくるし、いろんなものがリンクしてくるような気がするんです。

RYU:それが参加型のシステミックデザインという文脈につながるんですよね。ようやく具体的なアプローチが見えてきた部分もありますし、次回の雑談はその具体的な手続きをこれまでの話題につなげてみたいですね。キーワードは「コレクティブインパクト」と「システミックデザイン」になりそうです。