すぐに泣いてしまうのは、どうしてだろう?

幼稚園の頃、兄とその友達とかくれんぼをしてよく遊んだ。10数えて、みんなを見つけに行く。みんなの隠れ場所を探し当てられず、泣いてしまうことがよくあった。そして、泣きながら家に帰ってしまうものだから、かくれんぼという他愛の無い遊びが遊びとして成立しない。

一番泣いたのは、高校生の時だ。音楽の授業の時にディズニー映画のアラジンを観た。ヒロインのジャスミンが自由に憧れ、アラジンと一緒に絨毯に乗り、広い世界を見せてもらう……

つーんと鼻に来るのを感じた瞬間、涙を流していた。自由が制限された生活から助け出され、広い世界を知ることの感動……そんな気持ちが強く伝わって来て、涙が止まらなくなった。授業中、音楽室は暗くされていたので、どうにかクラスメイトに指摘されることだけは免れた。

セーラームーンの映画を妹と観に行った時もそうだった。映画館で号泣してしまい、しばらく外に出られず妹に泣いてる姿をかくまってもらった。人の幸せをどこまでも願って、戦い続けるセーラー戦士たち。深い心の傷を持っているからこそ、心を開けず孤立したり、優しくなれなかったり……を理解している戦士たち。そんな彼女たちの美しい心に感動して、涙が止まらなかった。

周囲を見回すと、泣いているのは私だけ。

いつでもどこでも、涙のスイッチは簡単に入ってしまう。心の美しさや、心の琴線に触れるような美しい音色に感動して号泣してしまう。

クラシックを聴いても泣いてしまうことがある。

クラシックを聴いて泣いた曲。

ブルッフのスコットランド幻想曲 3楽章だ。

You tubeを検索したら、その曲を見つけることが出来た。もしよかったら、14:30秒以降を聞いてもらえたら嬉しい。ここに涙の地雷が埋まっている。

今も、涙を流している……この旋律が心臓にまで達して心を揺さぶる。美しい旋律に泣いてしまうのは、意識でどうこうできるものではなさそうだ。

他には、美しい心、旋律とは逆の時。

人が私に向ける激しい嫉妬、意地悪な態度や視線……人の悪意が私に一心に向けられた時。

その人の強い憎しみ、悲しみの感情が心の中に流れ混んでくるのがわかる。その瞬間に、涙が出て来てしまう。そして、号泣してしまう。

どうやら、HSPというものがあるらしい。

HSPの4つの特徴 〜DOES〜

D 「深く考えをめぐらせる(Depth of processing)」
O 「過剰な刺激を受けてしまう(Overstimulation)」
E 「感情が動きやすく共感もしやすい(Emotional response and empathy)」
S 「些細なことにも敏感(Sensitivity to subtleties)」

全部当てはまる……

考えすぎ、感じすぎとよく言われたものだ。深く考えるのが普通だと思っていたけど、周りを見ると、全然違った。思考回路が違うように思えてくる。

この世界で生きて行くのは難しいのでは……と真剣に悩んだこともあって、感受性の強さをどう活かすか、悩んでいる。

日本よりも、海外の方が生きやすいと思った。

日本と外国の2拠点生活に憧れを抱いていたりもする。海外で、今さらだけど……アマチュアでも良いからバイオリニストになりたい。学生の頃、オーケストラに入っていた。その時のように演奏したい。

曲を演奏する時の、みんなで作る空気感が堪らなく感動する。また、泣いてしまうかもしれない……

ブルッフが、ドイツのケルン出身だと知ったのはつい最近。ドイツ滞在時に知っていたらなぁ……思いを馳せながらケルンを歩けたかもしれない。



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