微笑まない国ードイツ。そこには◯◯があった

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ドイツーあまり語られない現実の生活

「ドイツに3年間住んでいました」
と、私が話せば、ほとんどの人は、ドイツという国をアメリカ程は知らないために、素敵、とか、おしゃれ、エコ、お城、ワイン、ビール……様々な形容詞や名詞を出して、頭の中では、海外生活=セレブという図式を描いているに違いない。

そして私がどれほど、ドイツの生活で苦しんだか、ということには最後まで焦点が当たらずに話を終えることが多い。

しかし、敢えて言いたい。ドイツという国で生きるためには、バラエティ番組で取り上げられる、ある種の「サバイバル生活」を送る覚悟と技術が必要なのだ。

野菜の種類は限られる

食べ物事情がとにかく、とても厳しい。
戦時中でもないのに、日本人にとっては、戦時中のような食事をせざるを得ない。この国は、炭水化物、じゃがいもとパンが非常に安かった。野菜は種類が少なく、スーパーに行くと、野菜が萎びていて、食べる気になれない。

肉は分厚くて、硬く、直ぐに腐る。衛生状態があまり良くないのだろう。
次第に、食欲もなくなり、何を作ったら食事を取れる気分になれるのか、わからなかった。

スーパーマーケットでの実情

スーパーでトレーに入って梱包されている肉は買わないようにしていた。量が多く、分厚くて、何より硬いからである。この国の食べ物の多くは、硬い……のである。
その代わりにスーパーの中で、欲しい肉とグラム数、どういう切り方をして欲しいかを伝えて、切ってくれるコーナーがある。私は、そこで語学学校で覚えた、Scheiben Sie ganz dünne(かなり薄く切ってください)と必死に言ってみるものの、2、3ミリが限界なようで、分厚い。機械で切ってもらっているのに、分厚い。

そんな訳で、思っている食材は肉を始め、全体的に手に入らないのである。食事の栄養は、やはり食事が美味しい、楽しいと思えるからこそ取れるのだということを思い知らされた。

スーパーマーケットでのレジを通過する際の戦略

ドイツ以外に滞在した国で、私がどうにか生活することができたのは、その国に住んでいる人の優しさ、笑顔だった……ということに初めて気がついた。

ドイツ人は、普段ほとんど笑わない。
スーパーの店員、レジに座っている店員、全く笑わずに、むしろ無愛想に、客と目を合わせることなく、自分の職務を遂行している。彼らにとって重要なのは、笑顔ではなく職務を遂行することである。

接客のスキルは必要なく、レジ担当の店員は、レジに商品を通して、会計をすることだけである。疲れれば、素直にため息をつき、挨拶したくない気分であれば、挨拶もせずに、ため息をつきながらレジを通すのである。レジ台では、客がカゴから商品をレジ台に並べ、店員はそれをレジに通した後、物凄い速度で、レジ台のスロープに商品と商品を密着させながら、店員によって商品がどんどん押されるのである。まるで、商品をゴミ収集車がごみに押されながらゴミを飲み込んでいくかのような様に思えた。
ぶどうやいちごが潰されてしまうこともしばしばあった。でもー気にされることはない。だからこそ、レジ台に載せる際には、どの順番でスロープ台を流れていくのかという「戦略」とまた、店員に商品を押し潰されないようにするために素早くレジ台でショッピングバックに詰める「技術」が必要なのだ。
(日本のように、会計が終わってからゆっくり詰める場所はないのです〜)

ドイツという国の自由さ

この微笑みというのは、アジアだけの文化なのだろうか……とまで思ってしまった。
レジの人に、〇〇はどこにありますか?と聞いても、教えてはくれない。
(レジの係は、あくまでレジの係なのである。商品の場所は、商品担当に聞くべきだということを後から知ることに)
日本でこそ、お客様サービスのマインドというのがあって、お客様の期待に沿えるよう努力する。しかし、ドイツにはそういったマインドは、ない。
ドイツはドイツ人の間でも「サービス砂漠」と言われている。客と、店員は常に対等であり、客の要望に応えるのはお店が提供する、物のみであって、目には見えないサービスというものがコストがかかる不要なものであると考えている。つまり、消費者は、コストをかけず安く買いたいという需要の表れでもある。

私の感じたところを言えば、つまり、ドイツ人は、良くも悪くも他人がしてくれることを期待していないのである。全て自分たちで考えて自分たちが決めて、自分がしたいと思ったことをする。しかしルール(法律)はしっかりと守る。そんなところだ。

日本で空気を読むことができなくなる

日本社会では、本音と建前を踏まえて空気を読むことが必要だ。
帰国後の私は、知らぬ間にドイツっぽさが残っていて、空気を読むことが若干できなくなっていた。
しかし、あまりにも空気を読みすぎると、自分自身が身動きできなくなる場合がある。自分の人生が全て他人の無言の期待に応えることで終わってしまう可能性もある。同じ個性、背景を持っているわけではないのに、同じであることが求められる社会だ。

弱者に優しい社会ードイツ

ドイツ人は、お年寄りや子どもに、非常に優しい。弱者に優しいのである。微笑まないのに、優しいのである。電車でお年寄りが乗ってくれば、真っ先に自分の席を譲ろうとする。どの人もそうだ。一見、怖そうに見える人までがそうなのだ。

人は見かけによらない。
私たち日本人は、あまりにも人・物事を見た目で判断しすぎていたのかもしれない。

日常的には微笑んでいなくても、みんなすごく優しいのだ。

自分の気持ちやニーズにとても素直な人たちだ。だからこそ、他人に自分の期待を押し付けることなく、人に優しくできるのだ。自分の信念に忠実で、実直で、本音でぶつかり合う人たち。

ドイツでの3年間を経て、私は人に対しての見方が大きく変わった。

人と比べて同じである必要はない。自分自身が、成長していけるように努力し、自分の人生がより良いものになるように、自分の感性に素直にしたがっていくこと、何より楽しいことが大切だ。

日本での生活が、少し窮屈に感じる時もあるかもしれない。しかし、ドイツでの経験が私に与えてくれたものは大きい。他人に過度の期待をしないドイツ人の素晴らしいところを見倣いたい。


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