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秋岡芳夫さんが「竹とんぼ」を作り続けた意味:学習のデザイン13

デザイナーから学ぶ「学習のデザイン」6人目は、秋岡芳夫さんです。

このような人です

秋岡さんは20世紀の工業デザイナーで、戦後から活躍し続けた日本の工業デザインの草分け的な存在です。

秋岡芳夫 モノへの思想と関係のデザイン 目黒美術館 美術出版社(2012.03.31)

秋岡さんの活動は1970年ごろを境に、前後で大きく変わります。前半はカメラやラジオなどの家電・家具・オートバイなど、戦後から高度経済成長を象徴するデザインを数多く手掛けています。

一方で当時は、科学の教材や学研の学習ドリルの装丁など、子どもの学習に関する仕事もしていたので、このころからモノを通じた教育的な考えも意識していたのではないかと思われます。

後半はそれまでの大量生産の工業製品から一転し「消費者から愛用者へ」をモットーに、モノを大事に使い続ける活動を行います。

デザインの対象もプラスチックから木材へと変わり、クラフト的な要素が強くなるとともに、生産者との関わりや育成に力を注ぎました。

今でこそ製造業にともなう環境問題・適量生産への意識は当たり前ですが、当時このような活動はで社会性と経済性との両立を見出すには、時代がまだ追い付かなかったのかもしれません。

竹とんぼづくり

80年ごろになると、秋岡さんは竹とんぼを作り続けます。

なんとその数800以上。1つ6-8時間くらいかけるということなので、これはもうライフワークです。昔の本ですが、竹とんぼ作りを通じた秋岡さんのモノに対する哲学が伝わる一冊です。

竹とんぼからの発想 - 手が考えて作る 秋岡芳夫 ブルーバックス(1986.01.01)

よい竹とんぼを作るために、マーケティングや人気投票やコスト計算をする必要はありません。手元にある材料と道具を使って、つくってみて試してみて改良を繰り返す、それだけです。

改良を繰り返したこの竹とんぼが、とても美しいです。

秋岡芳夫 モノへの思想と関係のデザイン より

知識を得て終わりではなく、自分で考えて作ってみる、結果のフィードバックを受けて改善方法を考える過程で「気づき」を学ぶ、という行為を繰り返しています。これは学習の本質的な営みでないかと思います。

与えない、教える

秋岡さんは、学校で教えていたわけではなく、竹とんぼをつくっている近所の面白いおっちゃん、という感じで子どもと接していたようで、

窓からのぞいた子が「おじさんなにやってんの。ぼくにもやらせて」と入って来たら「一緒にやるかい」と竹とんぼ工作ができるように、子供たちの工作台も置きました。

竹とんぼからの発想 より

子どもが話しかけると、

通りがかりの子どもたち、窓の竹とんぼを見つけて「これ、おくれよう。欲しいよ」大人より子どもの方がまし。売れなんていいません。「竹とんぼは自分で作るもんだ。欲しけりゃあ作んな。道具なら貸すよ。竹もあるよ」

竹とんぼからの発想 より

お金があれば、だいたいのことは実現できます。でも、自分でやってみないと本当の意味で得られません。古典の「魚を与えるべきか、それとも魚の釣り方を教えるべきか」といった考えにも通じます。

竹とんぼからの発想 より

いま、与えすぎる教育が多いように思えます。なぜならその方が短期的に効果が上がるから。でも、考えたり作ってみる試行錯誤の過程がないと、ずっと与えてもらう習慣から抜け出せなくなります。

与えるものは知識や技術ではなく、キッカケ気づきです。

手で学ぶ

自分でやってみるとこは、知識偏重にならない学びもつながります。

別の本に書かれていたエピソードをもう1つご紹介。

ある大学の工学部の教授から「竹とんぼは理論的に10m以上は飛びませんよ」と言われた。この教授は、「科学とは、初めに理論ありき」と考えていたようだ。
科学とは、不可解なことがたくさんある中で、ある程度説明のつく事からだけをあとで理論的に説明しただけのものだ、ということをうっかり忘れていたらしい。たぶん、昔のとんぼだけで実験したのであろう。僕たちのとんぼは、30m近くも飛んでいるし、10mくらいは子供も作ったとんぼでも上がっている。

竹とんぼ夢中人 より

作る側と批評する側の立場の違いが顕著に表れた例。試行錯誤して研究している人にかける言葉ではありません。実践のない知識は偏見を生みかねず、偏見は可能性をつぶします。

話が逸れますが、環境問題も同じように、モノを大切に使いたいなら、モノを作ってみる経験が必要だと僕は考えます。作ってみると素材・製造工程・使用期間と廃棄などに対する意識は変わります。頭だけではなく手を使った、体験と試行錯誤のプロセスを学習に組み込むべきです。

竹とんぼからの発想 より

学んだこと

秋岡さんは竹とんぼとは何か?という質問にこう答えています。

「遊びです」

学習には「遊び」が欠かせません。遊ぶから、自分なりに試行錯誤してみるし、工夫するし、よりよくしようと競ったり協力しあったりする。

自省も含めてですが、最近の特に大学生以降の学びは、言葉を選ばずにいうと、小細工の知識を増やす授業が多いのかもしれません。そこに遊びはないし、協力や工夫をする必要性が出て来ません。

歴史家のヨハン・ホイジンガは、ホモ・ルーベンス=遊ぶ人という考えを提唱しています。くわしくは行動経済学がテーマのときに書いたこちらの記事をご参照ください。

ホイジンガは「遊びは努力をするために与えられた機能」といっています。学校の勉強は努力なしでは身につきません。どうすれば努力するようになるか、それは遊び要素です。ゲームに熱中する子どもを見れば明らかで、親からみると無駄なような努力を一生懸命楽しんで追及しています。

つくって学んだこと

手で作る、作るのは遊びであって楽しい。というわけで、僕も竹とんぼを作ってみました

天然の竹は手に入れられなかったので、竹の板から切り始めます。
小さいのでカッターでもカタチは作れます。
曲面をつくるヤスリ作業は永遠と続けていられます。
できました。
飛ばしてみました。が、大きすぎてあまり上には飛ばなかった…。

結果は失敗でしたが、やってみて分かったこともあるし、なにより作りながら「ああしよう、こうしよう」と考えるのは楽しいです。

確かな学びがありました。みんなも竹とんぼつくってみませんか?


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探究学習がすき

デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。