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長い夜が明けた 朝陽のように

《地下アイドルの記録③-デビューライブ-》

私たちのデビューライブは、六本木のBeehiveという地下ライブハウスだった。
Beehiveは、事務所が定期的にやっていた所属グループだけの主催ライブで使われていて、言うなればホームのような感じだ。
主催ライブには事務所を昔から知っている古参のファンが多く来てくれる。彼らにまずちゃんと知ってもらうためにも、私たちのグループはその主催ライブでのお披露目になった。


地下のライブハウスに入ったのはたしか初めてだったから、デビューライブ当日に見たBeehiveの印象は強烈だった。
扉を開けるとまず薄明るい踊り場のようなスペースが広がり、どんっとバーカウンターがあった。(これも人生で初めて見た)
ちょっといかつい男の人たちが隅のソファで楽しそうに喋っていて、私が緊張しながら通ると、
「新人の子でしょ、今日頑張ってね」と和やかに声を掛けられた。向こうのほうが、新人のアイドルに慣れているみたいだった。


挨拶をしながら正面の扉を開けると、中は真っ暗で、下には小さなステージがあった。
開演前のがらんとしたその場所は、夢みたい、以上に、現実味がある、と思った。うまく説明できないのがもどかしいけれど、生々しく感じたのかな。そのしっかりと堅そうな床の上に立つ女の子たちの細い足とかかわいい歌声をイメージした時に、あ、ここからカンタンには開かない世界があるな、と。手ごわさというのかな。なんなんだろう。笑

右手には演者用のスペースがあり、着替えやお色直しができるようになっていた。外から見えないように大きな布か何かが目隠しになっているだけの空間で、そこだけが暖色系のあかりにぼんやり浮かび上がっていた。
いくつかのテーブルとイス、真ん中にはどこかの民族衣装みたいな柄の布切れがつつむソファがどーんと置いてある。まばらに座った女の子たちがみんな鏡に向かっていた。

ぼうっと照らされているその場所は、異様にうつくしかった。彼女たちの私物の鏡があちこちに置いてあって、そこで思い思いに口紅を塗ったり髪を巻いたりしている。魔術的というか、神秘的というか、私は「ハリーポッター」で見た談話室を思い出した。

ひとりひとりに挨拶をしていくと、「よろしくお願いします!」とみんな優しげで、凛とした目や、抜け目のない前髪が強そうだった。
メンバーが集まってくるとちょっと安心して、私もちょっと隅の方で鏡を開いて化粧をしたり、PA・照明さんに出すセットリスト表の書き方をグループのお姉さんに教わったりした。


開演の時間になると、フロアに男の人たちがわらわらと入ってきた。何人かのアイドルが控室から出て、上からそれを見下ろす。ファンの何人かがそれを見上げてニコニコ手を振ったり、アイドルの方から「今日は物販来てよね!」と無邪気に声を投げたりしていて、仲睦まじい親戚みたいな雰囲気。
お披露目なので、私たちのグループの出番は最後の方だったけれど、早くも私はステージに出る格好で上から先輩アイドルたちのライブを見ていた。


わ。わ。わ………!と、コーフンが顔に出ていたと思う。
とにかく眩しい、眩しい。
さっきまで空っぽだったステージが、スポットライトで光っている。ぱあっとシャワーが注ぐような綺麗なのや、ビカビカとスパークする激しい光。曲調が変わると今度は紫やピンクに照らされたりして目まぐるしい。同い年くらいの女の子たちの太い歌声。距離が近いから、マイクを通さない地声も聞こえそうだった。

「盛り上がっていきますよー?!」

ステージからかわいい煽りが飛び、ファンの歓声がさらに大きくなる。フロアをよく見ると、ファンの方は皆それぞれで、ぴょんぴょん飛んでいたり、背中を逸らせて叫んでいたり、身軽に振りコピしていたり、ほうっと眺めたりしている。
ホーム感もあってか熱気がすごくて、上から見ていても本当に楽しかった。


やがて出番の一つ前のグループが始まり、私はメンバーと螺旋階段を降りていった。
盛り上がっているフロアの横をそっと通って控室に入る。ドアの向こうから、ライブのどんどんと鳴る音源や歌声が聞こえてくる。

「次のライブは、〇月〇日、秋葉原×××で〇時からです。ぜひ来てください。
それでは以上、私たち、〇〇でした☆ ありがとうございましたーー」

フロアから”バイバーイ”とか声が聴こえて、アイドルたちがステージを降りて入ってくると、小さな控室はたちまち熱気がたちこめる。
ライブを終えたばかりの彼女たちはハードな部活の後みたいに真っ白な肌があかく火照って、前髪もぺたんこになって、汗だくだった。細い子も目が大きい子も黄色の子も紫の子も、汗だくじゃない子はいなかった。

立ち位置でマイク番号が決まっているので、「三番のひと?ハイ、がんばってくださいね!」と早口で笑ってマイクが手渡される。


受け取ったマイクは手の中でやっぱり、なんだか現実的な重みがあった。電源がつく前のそれは、ずっしりとした寡黙な機械、という感じ。
このマイクで、本当に私の声が届くのだろうか。
ここで、マイクで歌うことは、私にとってどういうことなんだろう。
私はどうしたいんだろう?


不思議な感覚があったのも束の間、私は暗転したステージの上にメンバーと駆け上がっていった。
立ち位置について下を向く。妙にしずかな感じ。
フロアでは、さっきまで盛り上がっていたファンたちが、まだうわさでしか知られていない私たち新グループをどんなものかと見上げているのがわかった。


不安より、ステージに立てるうれしさが百パーセントだった気がする。
暗闇の中で小さく胸が鳴ったとき、一曲目のはなやかなイントロが流れだした。同時に白いスポットライトがついた。

あとは、練習でやったことも何もかも忘れて、歌って踊るだけだった。

私はちゃんと小さなステージの上にいた。
それはずっと願っていた、光の中だった。

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