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源為朝・平重盛ゆかりの神社⛩ 丹塗の楼門が美しい六殿神社

こんにちは。先週末に熊本市南区の雁回山(木原山)山麓にある六殿神社に参拝してきました!六殿神社は、平安末期の保元の乱で活躍した強弓で名高い武将・鎮西八郎為朝(源為朝:頼朝や義経の叔父にあたる)が木原城に居城の折、西国安鎮祈願の拝殿を立てたのが始まりと伝えられてます。その後、1178年に時の内大臣・平重盛が、高倉天皇の勅願にて鎮西地方の鎮護の宮として本宮創建の御綸旨を賜り、阿蘇大明神、天照皇大神、埴安姫神、諏訪大明神、氷川大明神、稲荷大明神の六殿大明神を御祭神として六殿神社を創建しました。以前訪れたのは私が10代の頃友人とでしたが、とても居心地が良く、境内の藤棚の下で随分長い間お喋りしたのを懐かしく思い出した事、そして昨今ドラマやアニメで源平ブームである事からこの神社を記事に取り上げようと思い立ちました❣️それでは今回も散策実況形式でご紹介していきたいと思います🏃‍♀️

六殿神社の参道入り口です↓ ここから神社まで数百メートル車道の参道が続きます。

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参道脇には古くて立派な家々が建ち並んでいて、すでにいい雰囲気です✨

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参道沿いに建つ平江家長屋門(明治38年築)↓中央部に物見部屋が造られており、昔は例大祭当日に近所から人々が集まり、ここから流鏑馬を眺めていたそうです。リアル海鼠壁カッコいい✨

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神社の入り口、石段の手前に到着しました↓ 既にお山の神聖な雰囲気が漂っています😆🍃

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実際は石段の手前を左折して駐車場に駐車したのですが、石段から登るとこんな感じ↓ 新緑綺麗🍃

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拝殿脇の駐車場に車を停めると、早速、神社から出てきた地元のミ様がお出迎えしてくれました🐈‍⬛

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社務所と手水舎のある鳥居前の広場✨🍃✨🍃

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にある境内案内図です↓

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これから鳥居をくぐり、国指定重要文化財の楼門(釘無し門)をご紹介した後、拝殿・本殿、続いて平清盛・重盛親子を祀る⑥の大王宮→建礼門院徳子を祀る①の宿大神→創建以来の三代の大宮司を祀る④の中王宮をご紹介したいと思います。では早速行って見ましょう👟

国指定重要文化財 六殿神社楼門

楼門は室町時代の1549年の建築です。まずは鳥居前から楼門を望んだ写真です↓ 鳥居→楼門→拝殿と一直線に並んでいてとてもフォトジェニック📸

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丹塗りの楼門をじっくり鑑賞する前に、楼門前の説明板で事前知識を入れましょう↓

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     重要文化財 六殿神社楼門
この建物は室町時代の、天文18年(1549)に建てられた、三間一戸楼門という形式の門です。繊細で華麗な木割と、彫刻類の優美な装飾が、室町時代を代表する建築と評価され、明治40年に熊本県下では最も早く国の指定を受けました。
 柱の上にある斗栱(ときょう)と呼ばれる組物は、縁の腰組が二手先、上重は三手先とし、軒を二軒本重繁垂木(ふたのきほんしげだるき)とするなど、中央の都で培われた本格的な技術によるもので、屋根を入母屋造の茅葺としているところは、里の落ち着いた佇まいを感じさせます。
 また縁勾欄(えんこうらん)の逆蓮頭親柱(ぎゃくれんとうおやばしら)は地方色を見せ、正面を板壁として、向かい合わせに随神像を祀る形式は特殊なものです。
 木部は全面に丹塗(たんぬり)とされ、春夏秋冬、朝昼夕、晴・曇・雨の時々に色を変える様は特に美しく、いつ眺めても、いつまで眺めても飽きない歴史の深みを感じさせます。

さらにその横にあった石製の説明板も下に引用↓

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中世社寺建築の主流は禅宗様式であるが、この楼門は古代の和様を基調としている点に特徴がある。しかし、古代の社寺建築は木割りが大きく、力感を感じさせるのに対し、この楼門は木割りが小さく、全体的に繊細で華麗さを感じさせ、同じ和様を基調としていても、古代と違う室町時代の特徴をよく示している。

なんだか用語が難しくてよく分かりませんが、素人目にも本物が持つオーラって分かりますよね。この楼門にも有無を言わせない圧倒的な何かを感じます💫前置きが長くなりスミマセン💦それでは、優美で華麗な楼門の姿をご堪能ください↓

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ミニチュアなサイズ感が愛らしい。小人にならないと二階には上がれない笑
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天井も丹塗りの格子になっていて凝っています。
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楼門内部両脇には随神像と彩色狛犬
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楼門内部から拝殿を望む
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楼門を抜けて反対側から上部を撮影
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屋根の反り具合と茅の刈り込みが美しい
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絢爛豪華な本体と茅葺の組み合わせが斬新

いかがでしょうか。細かい所にも手が尽くされていて、隙がない美しさですよね😵私も全てに於いてこんな仕事がしたいです😖(←無理)室町時代から戦禍や災害にも耐えてよくぞ残っていてくださいました。建造した職人さん、そして宮司さんはじめ代々守って来られた方々に感謝です。文化財万歳╰(*´︶`*)╯♡

しかし美しいのは楼門だけではないんです。拝殿と本殿もとても美しいのでこれからご紹介します

拝殿と本殿

拝殿は昭和 12 年(1937)に建てられ、本殿は文政6年(1822)に改築したものが現存しているそうです。それではまず拝殿から↓ 外も内もハッとする美しさがあるのですが、その理由を明確に説明できない謎解きのような美しさなんですよね。

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板絵、天井画、提灯、畳、全てが調和して美しい内部
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源為朝が雁を射る場面を描いた天井画

普通、神社仏閣の天井画はマスごとに描かれるイメージですが、この為朝さんの天井画↑現代的で斬新なデザイン思いませんか?雁の配置もスタイリッシュだなと思ったんですが、記事を書いてて閃きました💡天井画は細川家の九曜紋を模したデザインになってるんじゃないか説😳

説明が前後してしまいましたが、雁を射る源為朝の図柄は、為朝伝説から取られています。最近、源為朝を主人公にしたアニメもあってたようで、興味がある方もいるかもなので、為朝伝説について熊本市観光ガイドHPから引用し、紹介します。

      【雁回山と為朝伝説】
雁回山は元々木原山と言われ、鎮西八郎源為朝の居城だったと伝えられています。若い時為朝は余りに乱暴だったので、父の為義から九州に追放されました。始め豊後にいましたが、やがて肥後に進んで阿蘇氏と結び、その後木原山に城を築いて住い、阿蘇大宮司忠国の聟(むこ)になって九州を領有し、自ら鎮西八郎と称しました。のちに父為義とともに保元の乱に奮戦しましたが、敗北して近江で捕まり、伊豆大島に流刑になったと言われています。
 その為朝は弓の名手として有名で、木原山に住んでいたころ、64人力の強弓で山を通る雁をいつも射落としていました。そのため雁は恐れをなして木原山の上を避け、この山を回って通るようになったので、雁回山と呼ぶようになったと言われています。

熊本市観光ガイドHP雁回山より

拝殿にて参拝を済ませると、ふいに、カラカラカラという微かな音がします。心地よい音だな、何の音かなと思って周囲を見渡すと、拝殿横の絵馬が風に吹かれて触れ合う音でした。いい音〜🍃

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音の話が出たので、この神社さんの五感で感じる美しさについて少し述べさせてください🙏まず引き続き音について。山の麓にあるので基本的に凄く静かなのですが、時期的に、訪れた日はウグイスの鳴き声のシャワーでした。あっちからもこっちからも同時に鳴き声が響いてもう大変😆
(イメージ↓)
ホーホケキョケキョケキョケキョケキョキョキョ…

あとトンビが低空で横切った際の翼が風を切る音
(イメージ↓)
ヒュンバッサ、ヒュンバッサ…

それから視覚的な美しさ。楼門や社殿の造形と配置の美しさは勿論あるのですが、他にも上手く説明出来ない雅な美しさが全体に漂っているのです。天皇勅願の神社だからでしょうか。分からないながらも考えた結果、新緑も含めた境内全体の配色の美しさと、境内に敷かれた白い砂!これが反射板の役割を果たして境内全体を光り輝かせているのだと感じ至りました💡

最後に、残りの全ての感覚と第六感を刺激するこの空気感✨適度な湿度と様々な樹木から発せられる芳しい香り。アニミズム的な神聖さを感じます

そしてこちらが拝殿奥の江戸時代改築の本殿です↓

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背が高くて重厚感のある本殿
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屋根の反りと屋根裏の木割が細くて綺麗

それではこれから、境内を囲むように配置されている摂社の中から、平家に関係のある3社をピックアップしてご紹介したいと思います♪

まずは鳥居横の大王宮↓
平清盛と平重盛親子を祀っています。

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今更ですが、天皇の勅願で内大臣創建って結構凄いですよね。西国は平家の拠点とはいえ、有明海も近い九州の端のこの土地を選ぶって、当時よっぽどの聖地と見做されていたのでしょうか。

次は建礼門院徳子を祀る宿大神社↓

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建礼門院徳子は高倉天皇の后で、壇ノ浦で入水された安徳天皇の生母です。子宝・安産の神様として崇拝されているのですね😲

宿大神社の近くに建っている古い石灯籠↓大保13年っていつでしょう??天保13年の間違いかな?

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最後は中王宮↓
スミマセン全体のお社の写真撮ってなかった💦

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宮司さんも平氏一族で紀州から下って来られたんですね〜。高倉天皇も平家の血筋ですし、厳島神社並みに平家の神社って感じですね🤔

さて、美しい境内をひと回りして、実はひとつだけ残念でならないことがあるんです。。もうそろそろだろうと見計らって来たはずの楼門横の藤棚、既に見頃を終えていました😱😱😱

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満開の紫色の藤の花と赤い楼門のツーショット写真をnoteに投稿したいと思っていたのに、残念でなりません😭悔しいので少しでも花が残っている箇所を切り取った写真↓

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意気消沈していた私ですが、最後に嬉しい事がありました!肉球の首輪を付けた、神社の可愛い猫様にお会いする事が出来ました💕ありがたや〜

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あとがき

六殿神社、平家の公達のように雅で美しい神社でした✨辺りは静かで清々しく、参拝には時折登山者や地元の方が立ち寄る程度で、ひっそり感が私にとっては最高でした🥰境内には江戸、明治、大正、昭和の年号が刻まれた石灯籠が普通に綺麗に立っていて、少なくとも江戸時代後期以降は戦禍や地震の影響は受けていないように見受けられました。その事実から見てもパワースポットだと感じました✨
 六殿神社のHPその他で神社の歴史を読むと、熊本の歴史をまるっとおさらい出来るほど、歴代統治者に大切にされてきた神社であることが分かります。神社創建以降の歴史は以下の様な感じです↓

・南北朝時代の延元4年(1339)南朝の征西大将軍・懐良親王が勅使として参向、参拝。
・天文18年(1549)宇土城主(地元城主)の名和氏が飛騨国より名番匠の甚五左衛門を招いて「釘無しの門」と称される楼門を奉建。
・天正16年(1589)、キリシタン大名の小西行長が宇土城城主となり、領内の社寺を焼討。本宮は勅願社の故を以って火難はまぬかれたものの、神領や宝物は掠奪され、社内は乱妨狼藉を極める
・慶長5年(1600)加藤清正は、宇土城に進撃した際に木原を通り、楼門が焼けていないことから由緒ある神社が無事だったことを喜び、「当神社に対する軍勢の乱暴、放火、竹木伐採を禁じ、違犯者は厳罰に処す」旨の制札を境内に建てる。この時の木製禁制制札は宝物のひとつとして現存。
・加藤家改易後の細川歴代藩主の尊崇も厚く、奉納の絵馬や安泰祈願大灯籠が現存。

木原山が持つ神聖な空気感、そして歴代統治者(小西行長除く)・地元民の敬愛の念の結晶として、この六殿神社のえもいわれぬ涼やかな美しさがあるのではないかと感じました。

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最後までお読み頂き、ありがとうございました☺️

【参考HP】
熊本市観光サイト 六殿神社
アクセス情報もこちらから

六殿神社HP

熊本市HP

【引用HP】
熊本市観光サイト 雁回山


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