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橘玲「バカと無知」感想


何となく後味の悪い本だ。
書いてあることには納得できるし、この本を批判できる明確な指摘はできないのだが、スッキリと爽やかに理解できないのである。
それはひょっとしたら、この本に書かれているように、私の自尊心が警報を鳴らすからかも知れない。
「人間とはこうしたものなのだ」という決めつけに、単なる反発心を持ってしまうだけなのかも知れない。
確かに、ある種の誘導感は否めない。
この本では、様々な心理実験が紹介されているが、その結果と、そこから導き出される考察の間には、ちょっとした短絡的解釈があるようにも思える。
集団的様相と、個としての在り方を、利他的・利己的という二元論で片付けてしまうのにも、少し抵抗を感じる。
例えば、この本には、「見当外れな忖度」について論じている箇所がない。全ての論調が、「動機」と「目的」に基づいている。
しかしどうだろうか?実際には我々人類が一度でも「合目的的」であった試しがあっただろうか?

先日、配信サイトで1999年のウッドストックの記録映画を観た。阿鼻叫喚の地獄絵図、レイプや暴行、放火、破壊、糞尿まみれの凄まじい有り様で、それは最早「狂気」などという並大抵の言葉では到底表現の及ばない、人間の本質的宿業を垣間見た。
野生動物は「祭り」をやらない。周到に計画を立てて特定の日に騒ぐのは人間だけだ。また他の動物は宗教も持たない。
カーニバルやフェスティバルも本質的には狂気で、宗教的儀式に基づいている。
「この日この場所だけは特別に何でもあり」という、根源的煩悩の発露なのだ。
マツリには「奉」「祀」「政」など様々な文字が当てられているが、人類だけが持つ社会行動で、集団とその統治の為に定期的に行われるガス抜きのような役割りを担っている。それ程、日常が無意識に過酷なのかも知れない。
我々人類が知能や社会性を獲得する代わりに手放したものは、何だったのだろうか?


2023.10.1

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