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最近の若者は・・・は怠慢

気付けば、自分とは異なる、”Z世代”と括られる若者がたくさんいます。

私もそろそろ、自分を”若者”だと胸を張ることはできない年齢になってきました。(気持ちの上では、いつまでも若々しくいるつもりですが!)

そのため、会社同期との会話が「最近の若者は~」で埋め尽くされるのも時間の問題だなと感じています。

「若者」を巡っては、こんな指摘があります。(小笠原泰『なんとなく、日本人』2007年、早稲田大学出題)

  • 最近の若者は、空気を読むことを重視する傾向がある。(少し前には、空気が読めないことを「KY」なんて言ったりしました。)

  • そんな若者が使う「ビミョー」という言葉は、日本語を象徴する高文脈言語(文脈によって意味が左右される言葉)である。

  • 高文脈言語自体は全世代共通であるが、世代間の文脈が共通していないため、大人世代は若者言葉に違和感を覚える。

  • 要するに若者は、大人世代から見れば社会の和を乱す存在であるが、若者社会の中では空気・文脈を重視している。(一見、矛盾)

  • なぜなら若者は、地域共同体や大家族といった従来の帰属集団を失い、しかし欧米のような個人主義を確立することもなく、新たな帰属集団を設定しているからだ。

なるほど。若者との隔たりを感じるのは、社会構造の変化に伴い、世代間での文脈(会話の前提となる暗黙の了解のようなもの)が異なるからなのか。

彼ら(若者)を非難することは容易だが、努力をせずとも、彼らと文脈や倫理観を共有できると思っていたわれわれ(大人)世代の怠慢と思うべきではないか。
※()内は筆者補記

小笠原泰『なんとなく、日本人』(2007年、早稲田大学出題)

筆者によるこの指摘は、今後「最近の若者は~」と言ってしまいそうなとき、しっかりと思い出したいです。

ちなみに、こうした世代間のずれというのは、現代に限りません。
いつの時代も(古代エジプトやギリシアの頃から!)、「最近の若者は・・・」というのが話のネタであるそうですから。笑