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インフォームドコンセントの限界を感じた話

先日誕生した我が子は、生まれてすぐ呼吸ができませんでした。その間、なんと30分。

よって、緊急での気管切開となりました。
(妻も意識がある中での対応でしたから、辛かっただろうと思います。)

手術の後、複数の医師から説明、そしていくつもの同意書にサインをしました。気管切開に関しては、もちろん事後同意となりました。

命を救ってくれた医療関係者の皆さんには感謝ですし、事後同意について何ら不満はありません。

ただし、サインしている際の私は、とにかく話を理解するのに必死で、子どもや家族の置かれている状況が全く分かっていませんでした。

「息が出来なかったから喉から管を入れた。それだけだよね?」と、またすぐに治せるものだと受け取っていたのです。

もちろん先生方はなるべく事実を述べ、見通しについては最低限しかおっしゃいません。これはリスクヘッジとしても当然ですし、過度に家族を不安にさせないという意味もあると思います。

しかし翌日以降、看護師さんらとの会話の中から、「気管切開とは、自分で考えていたよりも重大な事かもしれない。」と薄々感じ始めました。

医学のような、情報を自分で取捨選択できない分野については、なるべくネット検索は避けるようにしています。仕組み上、よくない情報ばかりが目に入ることになりかねないからです。

しかし今回は最低限、信頼の置けそうなサイトのみ閲覧しました。そこでようやく、自分たちの置かれている状況がぼんやり分かってきたのです。

参考までにいうと、新生児の気管切開は、成長とともに口から呼吸できるようになることもあれば、そうでないこともあるようです。
要するに、どうなるかわかりません。

もちろん、後日先生方からより適切な説明をいただけると思います。

しかし今回のことを受けて、いわゆる「インフォームドコンセント」には、当たり前かもしれませんが、その場での患者側の理解にどうしても限界があると再認識しました。

p.s.
初めのうちは大分放心状態でしたが、このnoteを使っての妻との交換日記や、時間が経つにつれて、少しずつですが前向きになってきていると感じています。そのことも、またいつか書いてみたいと思います。